2016/10/23

語り部バス その2  おでかけ

 バスは移動して「戸倉中学校」へ。

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 ここは行政が避難場所に定めた「安全なはず」の場所だったが、津波がおしよせた場所である。海から回り込んだ海水が、山手からも押し寄せたらしい。校舎の反対側にはコンテナのような仮設住宅が、ぎっしりと並んでいる。校舎の時計は、津波が来た時間のまま止まっていた。屋根は震災後、新しく作られたもの。

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 2柱の石柱は、海をみつめるモアイ像。

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 赤土の台形盛り土が延々とつづく。道路を行き交うのは、ほとんどが工事に関わっている大型トラックだ。
 次の目的地「高野会館」に到着する。バスの中でガイドさんの説明を聞く。

 「南三陸ホテル観洋」の系列だった「高野会館」は、結婚式や会議やセミナーなど、幅広く使われた施設だった。地震が起きたときには、南三陸高齢者芸能大会が開催されており、閉会間際だったらしい。

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 大パニックになる参加者を、「死にたくなければ、ここから出るな!」とスタッフさんたちが人の鎖をつくり、外に出さないように頑張られた。津波は4階にいても、膝まで水が来るほどだったという。幸い、ここにおられた方は全員助かっている。

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 しかし向いにあった公立志津川病院では多くの方が津波に巻き込まれ、その流されて行く様子を、高野会館の人たちは、なすすべも無く見ているしかなかったそうだ・・・。

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 次の目的地へ向かう風景は、盛り土の山、また山。台形の山の間を走るバス。

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 次は有名な「防災対策庁舎跡」。赤い鉄骨だけが残る、悲しい場所だ。到着すると、ここでは希望者だけがバスを降りて、献花台まで歩くことになっている。

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 そんなつらく悲しい場所に行く途中、こんなにかわいい魚介類のマンホールがあった。

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 周囲は、雑草の茂る荒れ地か盛り土かの、どちらか。

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 あの見上げる3階建てを津波が飲み込むなんて。建物の鉄筋だけを残すほどに、津波がコンクリートを破壊してしまうなんて。その存在感に圧倒されてしまい、とても写真は撮れないので、ウィキより拝借↓
南三陸防災庁舎

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 しっかりと手を合わせて、失われた数々の命を思う。とともに「自然」の巨大な力もまた、見せつけられる。

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 この美しい青空をバックに風にそよぐススキたちもまた、同じ「自然」なのだ。

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 バスに戻ると、ガイドさんが「女性職員が最後までアナウンスを流し続けた、と思っておられる方もいらっしゃると思いますが、実は彼女の上司が、途中でアナウンスを替わっていたのです。証拠として声のデータも残っていました。アナウンスの途中で、ぶっつりと声が途絶えてしまっていました」と。

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 やはり、なかなか関西までは届いて来ない情報もあるのだ。いや、私が知らないだけなのかもしれないが。

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 以上でバスツアーは終了。以下はガイドさんの最後の挨拶。

 「こんな赤土だらけの場所に、わざわざ来てくださり、泊まってくださり、バスツアーにも参加くださって、ありがとうございます。来年には今の仮設の商店街が、ちゃんとした商店街になります。どうかまた再び、南三陸を見に来てください。どれくらい復興が進んだか、どう変ったかを、ぜひまた見に来てください。それがなによりの復興支援だと思いますから」

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 一旦はホテルまで戻り、今度は送迎のシャトルバスとして、バスに乗り込む。

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 スタッフの方々のお見送り。なんか晴れがましい。

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 「現地で体験者から直に話を聴く」。いつか必ずそれを体験しなければ!と思い続けていたが、この圧倒的なリアルの実感は予想以上だった。凡庸ないい方だが、まさに「百聞は一見にしかず」。東北旅の主要な目的地のひとつを後にする。

*おまけ「震災から5年」 by「南三陸ホテル観洋」
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