デジタル時計で気がついた、娘の理解度の変化  ブログ

私の家では、転居してからずっとデジタルの時計をすぐ目につくところに置いていました。
その時計は時刻だけではなく、日にちやその部屋の温度などがわかるすぐれモノ
だったのですが、その時計を飾ることで一つ問題となることがありました。
それは娘の問題でした。

娘は年中の頃から、少しずつ時計が読めるようになってきました。
最初はちょうどの時刻から、そのうちほとんど時間が読めるようになってきまし
た。

しかしAV動画に変えてしまったことで、最近時計を読むことが減り、娘も少し読めなくなってきたのです。
私はもうすでに読むことができるものだと思っていたので、娘の様子を見て驚き
ました。

このままではいけないと思い、私は次の日すぐに針の時計に交換をしました。
壁がコンクリート作りのため、鋲が打てなかったので、置くことができるデジタ
ル時計にしていたのですが、私は皿立てを持ってきて、掛け時計を置くことにし
ました。

娘はすぐにその変化に気付き、最初は少し戸惑っていましたが、最近では以前の
ようにスラスラと時計を読むようになりました。
私もその時計で「今、何時?」とクイズを出すなどして、親子で楽しんでいます。

針の時計に交換して、部屋にも少し暖かみが出たような気がします。
やはり昔から慣れ親しんでいた針の時計が一番だと、私は思いました。
またこのような少しのことで、娘の理解度まで変わってしまうのだということに、私は驚きました。

今春から小学校に入学する娘、時計のことに早く気が付いてよかったです。
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混沌としてしまった哲学者  ブログ

世の中に真実があるのかということです。世の中には絶対真理はないと言ってしまっていいのではないかと思います。だからあれこれと新興宗教も誕生し、自分たちの真理を主調している訳です。
もし真理が一個だけなら宗教も一つであるはずですし、それを私達が認知しているのなら宗教すら生まれてくる必要もないのではないでしょうか。

宗教とは、人間の真理がないための救いの隠れ蓑でもある訳です。
その混沌の中で人間ってひょっとしたらいくら頭がよくても使い道に限界があるということなのでしょうか。

そこで一つ疑問がおこる訳です。
科学者の人たちって何か完成品として作り出している訳ではありませんか。
科学者の作り出すもの全部、人間が真理を見つけだすことが出来なくて混沌としているわりには、科学者というものは一歩一歩まるで自信を持ってつき進んでいるように見える訳です。

人間とは何かについて考えて混沌としてしまった哲学者。
そして、一つずつ研究を結実し積み重ねていく科学者。一体ここにどのような違いがあるというのでしょうか。

哲学者とはあるべき態度を間違えてしまったのかもしれませんね。人間のことについては本当はそれ以上触れても意味がなかったのかもしれません。
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