2010/9/17

22、東京のM君との夏休み  

東京のM君は父の6人兄弟・姉妹の2番目の妹の子です。夏休みになると叔父が近所だと言う事で、毎年遊びに来ました。私より一歳年上で、しかも東京生まれと言う事で、いろいろ知っており、山の中でクワガタムシやカブトムシを採りに出かけました。彼は木を知っており、ドスンと足で蹴ると、バラバラと虫が落ちて来るのでした。小さいのは採らず大きいのを中心に採るよう私に指示しました。そんな点で尊敬していましたが、小学校3年生の時に既にもう英語のアルファベットの歌を知っており、私も必死になって覚えたものです。もう一つ彼に教わったのはジャガイモ畑から大きなジャガイモを掘ってきてゆでて塩をふって食べた事です。畑から掘って来てと言う事は私の知識にはなく、それ以来自分一人でも掘って来る事を覚えました。流石に人参とかはゆでて食べても余り美味しくは感じませんでした。”いなかっぺ”という一種の差別用語を教えてくれたのも彼です。彼自身東京の下町育ちだったのでしたが。彼との関係は彼が中学校に入る迄続きました。
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2010/8/21

21、初めて買って貰った本  

それは幼児用の本では有りませんでした。小学校1年生用の本でした。母は僕が一刻も早く言葉を覚えて貰いたくて選んだのだと思いました。そこに載っていたのは”赤胴鈴之助”でした。どこに引かれたというと、勿論彼の使う”真空切”の威力でした。そして剣道の強さでした。悪人を懲らしめる姿も私の性格にはとても合っていました。その他覚えているのは”たらふくまんま”と言う漫画で、内容は、ひどい暴れん坊が、或る人に諭されて鍬柄で雑草地を何処までも耕すというものでした。私にとって惹かれたのは草むしりとの類似性でした。そして種を蒔いて野菜を作るのですが、こうした行為が他の人の役に立つという事でした。この生き方は、今でも私の生活の骨子になっています。二年生本になると今度は”かりこうの冒険”という漫画です。鼠が一人の少年と共にあちこちの島で活躍するという物語ですが、一般的には”ダンキチ少年の冒険”として紹介されていると思います。この物語は主としてカリコウの英知に負うところが、面白かったのではないかと思います。
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2010/8/6

20、旧和田村の親戚の家について  

そこは母の実家でした。お爺さんお婆さんの他に母を含め子供は女5人、男2人(もう一人は死亡)という大家族でした。私は自分の家よりもこちらの方が好きでした。何故かというと、母の実家には週刊誌が有ったからです。文字は殆ど解りませんでしたが、漫画は何とか理解出来たからです。それに叔父さん叔母さんたちは皆年齢構成や考え方が違っていて、話を聞いていても面白かったからです。叔父のIとMは年齢が少し離れていて、どちらかと言うとMの方が優しい面がありました。馬を1頭飼っていて、私を乗せてくれましたが、そのあまりにの高さへの恐怖心で泣き出してしまった時、「可愛そうだから降ろしてやれ」と言ってくれたのはM叔父さんでした。お爺さんの名はUと言い、H県議の選挙には参謀として力を振るったと聞いています。五十数歳で現役引退をしてしまった言う事でした。(かなり後になってからの話ですが)しかし和田には大門にない文化の香りが有りました。
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2010/7/9

19、私のおねしょ癖  

私は恥かしい話ですが、冷え性のせいで小学校高学年迄おねしょの癖が直らなかったのです。そんな時母がどこかからか聞いてきて”きねずみ(リス)の丸焼きが効くと言う訳で冬の雪深い中、父が散弾銃で取りに行ってきてくれたのです。あらかじめ調理されていればなんて事は無かったのですが、皮から剥いでいくところを見てしまった私は、とても可愛そうで口にする気になれなかったのです。母は無理やり私の口に詰め込んで食べさせようとするのですが、唇から血が出ても食べようとはしませんでした。其れでも母は強引に食べさせました。食べて見ると醤油味のアッサリした味で、思ったより美味しかった思いが有ります。
其れでもおねしょは直りませんでした。一番効いたのは道路に面した庭に世界地図を描いた布団を干される事でした。通学してくる女の子に冷やかせるのが一番だったのです。女の子から「今日はどこの国。」と言われるのが一番辛かったのです。そう言われてから翌日以降ピタリと止みました・
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2010/6/23

18、母性  

コタツで母と一緒に昼寝をして居た時の事です。未だ貰われてから何日も経っていなかった時でした。私は母の乳首を吸ってみたのです。勿論何も出る訳では有りません。その時母は寝たふりをしていたのですが、初めて私を自分の子として育てる自信が付いたと、後日語っていました。その後母は妊娠したと言って診療所へ行った事が有り、私は実子と差別されるのでは無いかと思い、間違いで有るように祈ったものです。結果は想像妊娠であり、私の願いはかないました。実は父はフィリピンで従軍しており、マラリア熱で精子が出来なかったのです。そういう理由で私を里子として、迎える事に成ったのです。





























































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