先進国と自殺者その2

2012/2/13 | 投稿者: チリツモ


マネーゲームに負けた者、マネーゲームの才能がない人達はいったいどうなるのか?



確かに人類は豊かになった。
豊かになった分、道義的なものまでも豊かになった。
悪辣な企業利益を得ることは悪と断罪され、民衆の自由と権利を第一目的とする世の中にはなった。
現在においては「個人の人権を尊重する」というのが民衆の普遍的な感覚として扱われていると思う。

さて、先に書いた「マネーゲームの才能がない者」これはこの人の個性である。
すなわちは個人が生まれ持ったモノである。

では、いったい現状はなんなのか?
マネーゲームに負けた者が豊かに暮れせない現状はなんなのか?

自己責任?
確かにマネーゲームに参加する自由があるように、参加しない自由もある。
そういう意見から鑑みれば、自己責任という側面があることも否めない。

だが、マネーゲームに参加しなければ、「金を勝ち取らなければ豊かな生活ができない」と刷り込んだのは誰であろうか?

社会である。
民衆である。
政治家である。
メディアである。

「お金は大事なんだよ」小さな頃からそう刷り込まれる。
本当に大切なのは「生きるのに必要なあらゆる物」であるのがたった一文字「お金」である。

我々の腹を満たしてくれるのは金ではない。

新鮮な野菜であり、肉である。
もっと言うなら、生産者であり、更に追求すれば、他者の命である。

住居もしかり、道路もしかり、水もガスも電気も、生産者がいてこその我々であり、木を育み、水を循環させ、ガスを発生し、発電材料を生産するのは地球である。

我々にもっとも大事なものは、金ではなく、そういったものなのだ。

金の奪い合いに適合できない個性は抹殺される。
これのどこが「個性の尊重」なのか?

矛盾した社会体系に意を唱えたところで理解は難しい。
なぜなら、先進国において、大概の人は問題なく暮らせているからだ。

自分の子や孫たちが、そういったことになるかもしれないと想像できない。

自分が豊かだから。
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