ガラスみたいな青い瞳でその鳥を見つめる彼女の表情は悲しそうだった

2011/9/30 
 ぼくの両親は五年ほど前に事故で死んでしまった。ぼくに残されたのは多額の財産と、両親との大出の詰まったこの森の中にある屋敷だけ。森事態が私有地なので、近くに人の気配は一切ない。誰かが通りかかることもない。
誰もいない、一人きりの屋敷でぼくは無気力にぼんやりと過ごしていた。両親が死んでから急に、ぼくは他人と触れあうのが怖くなった。屋敷を出て街に住むという選択肢もあったのに、そうはしなかったのはそのためだ。そんな僕のもとを訪れるのは餌を貰いに来る小鳥と、食糧を運んでくる業者の人間だけ。業者の人間にしたって代金は銀行からの振り込みにしてあるので、荷を門の前に置いて帰っていく。
一人きりの家で、本を読みながら、両親が死んでから二度目の冬がやってきた。その頃には、ぼくは何のために生きているのだろう、なんて思っていて、いつ死んでも構わないという気になっていた。きっとぼくが死んでも誰も困らないし気付きもしないだろう。無気力に生きるくらいならいっそ、と何度も考えていた。
そんなぼくが、外に出ようと思ったのはいつ以来だろうか。
 あの日、久方ぶりに家の門を開けて敷地の外に出たのは、ほんの偶然。降り積もった雪がとてもきれいだったからに過ぎない。
 真っ白い雪に足跡を付けながら門を潜る。目の前に広がるのは雪で覆われた白い森。
 そんな森の中から、ふらふらと何かが出てきた。その何かは、覚束ない足取りでぼくの目の前にやってきて、力尽きて倒れ込む。
 そこに倒れていたのは、ボロボロの黒いドレスを身にまとった一人の少女だった。頭や肩の上には雪が降り積もり、寒さにやられたのかその顔は蝋燭みたいに真っ白で、まるで人形のようだった。
 流れるような白い髪を雪の上に散らし、少女は浅く、今にも死んでしまいそうなくらい弱々しい呼吸をしている。その目は固く瞑られたまま開く様子もない。よく見ると瞼を糸で縫い付けられていた。薄い胸がわずかに上下しているのが生きている証だが、それ以外は職人が丹精込めて作った人形のようで、ピクリとも動かない。生命力を根こそぎ奪われた人間は、こうも美しく見えるものなのか、それとも少女が特別なのか。
 どちらでもいい。
 少女を目にした途端、ぼくはこの人形みたいな少女を自分のものにしたいと本気で思っていた。そのことを考えるだけで背筋がゾクゾクと震える。
 しかし、まぁ。
 そんなことより何より、まずは少女の命を繋ぐことが最優先だ。倒れ伏したまま身動き一つしない少女を抱えあげる。冷たい。まるで氷みたいな冷たさだ。生きているのが不思議なくらい。いや、もしかしたら生きてなどいないのではないか? 少女の肌は血の気がなく真っ白で、人形ですと言われればそう信じ込んでしまいそうだ。
 軽い。骨の浮いた身体を抱きかかえ、ぼくは少女を家に運び込む。ぼく以外の人間を家の中に入れたのは、いつ以来だろう。
 兎にも角にも、ぼくは久方ぶりに自分以外の人間と触れあったのであった。
 それから……。
 少女が再び目を覚ましたのは、一週間が経過してからだった。彼女が目覚めるまでの間に、ぼくは彼女のための部屋や服を用意していた。それ以外の時間は、寝るとき以外彼女の寝顔を眺めていた。そうしていると心が落ち着いて、幸せな気分になる。
 彼女の瞼を縫い付けていた糸は既に外して、キチンと治療もしてある。どうして瞼を縫い付けたりしていたのかは知らないが、小さな穴が無数に空いて、そこから血を滲ませている様は、とても痛そうで、見ていて辛かった。
 体中、擦り傷や打ち身だらけだった。目を開けられない状態であの森を抜けてきたのだろう。雪に埋もれた手足は凍傷寸前で、場合によっては切断の必要もあった。
 誰があんなことをしたのか。ぼくは、ぼくの人形を傷つけた者のことを考えると、泣きそうになった。
 一刻も早く、彼女と話をしてみたかった。
 だから、彼女が目を覚ました時、ぼくは泣いて喜んだ。自分がどうなっているのか分からずうろたえる彼女を抱きしめて、声を殺して泣いていた。
 恐る恐る、彼女の手が僕の頭を抱え込む。小さくて冷たい掌が、ぼくの髪を優しく撫でた。ぼくが落ち着くと、小さな掠れた声で彼女はぼくに訊いた。
「あなたはだあれ? ここは、どこなの? わたしは、生きてる?」
 掠れ切ってとても小さな声だったけど、それが耳に心地いい。包帯を巻かれた目をぼくの方に向けている。
「ここはぼくの家だ……」
「あなたの?」
「そう。ぼくだけしかいないから、ゆっくりしてくれて構わない。色々訊きたいことがあったんだけど、いいや。君が目を覚ましてくれたことがすごく嬉しいんだ」
 ぼくがそう言うと、彼女は首を傾げた。銀の髪が肩から滑る。
「変わった人ね、あなたは」
「そうかもね。ところでひとつお願いがあるんだけど……」
「お願い……? わたしに出来ること?」
 簡単だ。むしろ君にしか出来ないことだ。
「ぼくの人形に……、それからぼくのお姫様になって欲しいんだ」
 ぼくは彼女の真っ白で細い手を握って、そう言った。
 これが、ぼくと彼女が初めて会った時の話である。


「あの時は驚いたわ。いきなり人形になって欲しい、なんて言うのだもの」
「だけど君はなってくれてるじゃないか」
「そうね。だってわたしは、あの時死んでもいいって思っていたのよ」
 ガラスみたいな青い瞳にぼくを映して彼女は言った。ぼくも彼女も、あの時死んでもいいと思っていたのだ。彼女に素情や生い立ちを訊いたことはない。どうして一人で森をさ迷い歩いていたのかも訊いていない。そんなことはどうでもよかったからだ。彼女はぼくの人形に、それからお姫様になってくれた。それだけで十分だ。
 だけど、彼女の仕草や時々語ってくれる昔話を聞いていて、なんとなく分かることもある。恐らくだけど、彼女もぼくみたいな富裕層かなにかの生まれだろう。それがどうしてあんなにボロボロになっていたのかは分からないけど。
「人間なんて大嫌い。他人になんて会いたくもない。あぁ、あなたは別よ? だからわたしはあなたの人形になることにしたのだから」
 髪を風に踊らせながら、クスクスと彼女は笑う。青い瞳は空と同じ色をしていた。
 きっと、この瞳のせいだ。この普通じゃない色の瞳のせいで彼女は瞼を縫い付けられ、ボロボロにされた。普通じゃないものを恐れる人間は少なくない。
 確かに長く見ていると怖くなる。彼女の眼に心の奥まで覗かれているような気になってくる。ぼくはそれでもいいかれど、皆が皆そうとは限らない。
 ぼくがずいぶん昔、両親と行った近くの街では彼女みたいな目や髪をしている人はいなかった。
「わたしは人形でいい。あなたの人形がいい。あなたはすごく優しいし、この家はすごく暖かい。あなたがわたしを必要としてくれている限り、私は死なないわ」
「ぼくは、君がいてくれて、君に尽くさせてくれる限り、死なないよ」
 初めて彼女を見た時からぼくは彼女に尽くしたくて堪らなくなった。彼女を手放したくなくて堪らなくなった。一目惚れというよりも崇拝に近いかも知れない。身体が冷え切って人形みたいに真っ白になりながら、それでも必死に生にしがみつく彼女の姿に心震えた。
 彼女がぼくの人形になってくれると言った時、ぼくは一生彼女に尽くして生きようと誓った。彼女の命令にはなんだって従うつもりでいた。
 だけど、彼女は自分の意思を持たない。
 たしかに彼女はぼくの人形だけど、同時にお姫様でもあるのだ。もっと我儘を言ったり、命令してくれても構わないのに。しかし彼女にそう言ったら彼女は
「今のままで十分だわ。十分あなたは尽くしてくれているし、なによりわたしは人形だもの」と、笑っていた。
 彼女はぼくに言われた通りの、人形としての自分を演じきっている。ぼくに与えられたドレスを着て、毎朝ぼくが起こしに行く時間には椅子に座ってまどろんでいる。大人しく、文字通り人形のように。ぼくに許可されたこと以外はしようとしないし、それで満足しているみたいだった。もっと自由に振舞ってくれてもいいのだけど。
 彼女がぼくに命令してくれるのは、おやつを食べたくなった時や、散歩がしたくなった時ばかりだった。ぼくは彼女に命令される瞬間が大好きだった。彼女からのお願いや、命令がもっと増えればいいと思っている。そうすればぼくはもっともっと彼女に尽くすことができる。
 だから、この日の夕方、珍しく彼女から呼び出しがかかったことが嬉しかった。
 チリンチリンと薄暗い廊下に呼び出しベルの音が鳴り響く。静かに、それでいてハッキリとその音はぼくの耳に届いた。キッチンで今日の夕食の用意をしていたぼくは、その音を聞いて急ぎ足で彼女の部屋へ向かった。彼女の部屋は階段を上がってすぐのところにある。木製の重いドアを開け、彼女の部屋に足を踏み入れる。甘い香りが鼻に届く。彼女の髪と同じ香りだ。
 彼女は、全身に夕陽を浴びながら窓際に立っていた。白い髪が夕陽を浴びてオレンジ色に染まっている。ぼくの姿を確認すると、彼女は困ったように細い眉を下げて笑った。
「ねぇ、どうしたらいいと思う?」
 彼女は窓の桟を指さしてそう言った。近寄ってみると、一羽の黒い鳥が蹲っている。黄色い小さな嘴を震わせている姿は、助けを求めて喘いでいるようにも見えた。
「気がついたらここに倒れていたの。さっきまで鳴いていたのだけど……」
 窓にぶつかったか、それとも獣か別の鳥に襲われでもしたのか、怪我をしているらしい。
 ガラスみたいな青い瞳でその鳥を見つめる彼女の表情は悲しそうだった。
「怪我、してるのか。………君はどうしたい?」
 ぼくは、ぼくのお姫様に命令を求める。ぼくの意図を察してくれたのか、彼女はぼくを真っすぐ見つめて言った。ちょっとだけ困ったような顔だ。
「助けてあげて……。かわいそうだわ」
 ぼくのやるべきことは決まった。あとはやれることをやるだけだ。
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2011/9/30 
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