2012/7/25

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2012/7/25

『歴史知と学問』覚書  

目の前に、石塚正英『歴史知と学問論』が置かれている。この興味深いタイトルの書物を、一つ一つ紐解いてみたいと思う。

メモ:著者が「はしがき」で提出している「自由と不自由、完全と不完全、光と闇、といった(いわゆる対立)概念は相補的関係である」との見解に、一体どこまでの現実的な妥当性があるだろうか?

素直に語るならば、「自由だとか不自由」だとか概念が余りに漠然としていて、具体的にどういった事例を指しているのか不明瞭で判断不能と言わざるを得ない。

「光と闇」というのが物理学的な光線の当たる当たらないということならば、それら両者は必然的に現れ存在しているものであっても「互いに補い合っている」とは言えないだろう。「光と闇」が何らかの文学的なメタファーだとしても、具体的事例を語らずして「相補的」とは言えまい。

「自由と不自由」というのも然り。「不自由」というのが例えば前時代の奴隷制を指しているならば、支配階級の自由と奴隷階級の不自由とが「互いに補い合っている」という認識も正しくないだろう。

思うに著者(石塚)の「対立概念が相補的」という記述は、「対立関係(互いに打ち消し合う関係)ではなく相補的関係(互いに補い合う関係)なのだ」という「具体的事例としては有り得ることを、不当に一般化」した所謂、思弁哲学者の発想でしかない。

彼が「歴史知学」を従来の「歴史学」とは区別されるべきものとして強く主張しているのも、学問的な必然性は殆どなく、おそらくはアカデミックな現実世界において自らのポストを確保するための戦略的な試みに過ぎぬと感じられる。歴史解釈学と言ってもいいのだろう。




つづく
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