2012/8/3

商品を受容すると  

そのミスが、まあ、トラウマになるようなミスもあるけども、多くは、後から見れば笑い話じゃない。何でこんなことしちゃったのかな、という。で、そういうことでやっていく、とクライアソトと決めたわけです。


ある明確なバーソナリティに向けて作られれば、全体の世界観が統一できるから、多くの人々は、高校生になる前の子供も、高校生をとっくに終わっちゃった人も、自分の生高校時代を思い出したり、その主月春のやや甘酸っばい味とともに、商品を受容すると。でその結果、万人に到達するということだけど、そういうことが、よく分からない人もいる。


もちろん、実際に、多くの人が買っている商品は、キャソペーソの後に多くの人が反応を起こさなければ、うまく動いたとは言えない。だけれども、表現を創るとき、キャンペーンを作るときっていうのは、切っ先を鋭くして入っていかないと、その多くの人にも到達できない。で、切っ先を鋭くすることに対して、みんなとても抵抗がある。

「どうしてそこまで絞り込むんだ」っていうやつ。
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2012/7/17

古着屋で見つけるしかなかったのだ  


少年のよ、つなCちゃんと私は「パズル」とりっ女の子五人組のバンドを結成した。テクニックはなかったが、衣装だけは派手だった。そしてアイデアとハッタリとパワーだけは誰にも負けない自信があった。

最初の頃は、プロンディやB-525などのコピーをしていたのだが、そのうちオリジナル曲も作るようになり、いろいろなコンテストにも出るようになった。いよいよバンド活動が本格化してきたのだった。

この頃になると、ニュー?ウェイヴ、テクノ?ポップの影響で髪もバッサリと短くなった。そしてはじめてデップ?ローションというものを知り、毎朝ツンツンに髪を立てることに精を出していた。服装の方は、ロック?ファッションからも抜け出し、DCブランドと古着のコーディネイトといった感じだった。先取りでミニスカートをはきたくても今のように簡単に見つけることはできなかったので、古着屋で見つけるしかなかったのだ。

よく行っていたのはラフォーレや文化屋雑貨店、古着屋は原宿の未告田士。ミルクやフイオルッチの服なんかも着ていた。

この頃、バンド活動を通じて、少年ホームランズ(ハルメンズの前身で、佐伯健三くんや上野耕二くんがいたバンド)や、SKといったバンドと交流をもつようになる。当時渋谷にあったナイ口ン100%に、よくライプを見に行っていた。
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はじめて8%の久保田古落くんに会ったときのことが忘れられない。彼は採み上げがまったくないツヤツヤのマッシュルームのようなテクノ?カットで、目の覚めるようなカラフルなチェックのジャケットに短パンという姿でとても目立っていた。

彼の周りにいるイラストレーターやデザイナーの友達も、本当におしゃれでカッコよかった。彼らとはその後すぐに親しくなるのだが、ファッションやアート、遊びにいたるまでずいぶんと影響を受けたと思う。

さて、パズルのほうはというと、いつもコンテストでいいところまではいくのだが、なかなかレコード会社と契約というところまではいかなかった。

英語の専門学校の卒業も迫ってきて、私はあせっていた。が、結局親の手前もあって知り合いのム祥仕に就職することになってしまう。
私がOLだなんてー現実は厳しかった……。
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