(その13)89回目の誕生日とひな祭り
あす3月1日は、生きていれば母の89回目の誕生日です。生前母の誕生日と3日のひな祭りが近接していたので、我が家では一緒にお祝いしていました。ひな祭りに際して雛人形を飾るのは母の仕事でした。母は雛人形は持っていなかったので、私の妹のひな人形を飾るのを楽しみにしていました。このひな人形は妹が生まれた時に、父が買ってきたきたものです。昭和37年の春のことだったと思います。当時住んでいた福岡県大牟田市の四ツ山(熊本県との県境)にあった「田中屋」というデパートというかスーパーというか、そこで買い求めたものでした。炭鉱景気の中で大牟田・荒尾の町は活気あふれていました。
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母を語る/妹の誕生と上京
父は材木で五段飾りが乗るような台枠を作り、赤い毛氈を敷いてひな飾りをしました。母は「灯りを点けましょボンボリに・・・」を口ずさみながら雛人形を飾っていました。これは母の晩年になっても続きました。母が飾らなくなって3年が経ちますが、お雛様も寂しいのではないかと思っています。
あすは、母の好物だった茶巾寿司と白玉ぜんざいをお供えしてみようと思っています。夜はこれまた好物だった「焼き肉」を食べに、近くの行きつけの店を予約しました。わずか数100mの所にあるのですが、歩くのが遅くなって以後は、父より早く家を出て店に向うも途中で追い越されるのが常でした。先に歩き始めても後ろを心配して振り返り振り返り歩くのでした。
昨年リフォームした部屋に雛壇を設けた。三人官女や五人囃子もあるのだが、近年はお内裏様とお雛様だけ飾るように簡略化してしまった。

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