(その2)明治座
早朝散歩で明治座前を通過した。JR馬喰町駅からメトロ日本橋駅まで30分の行程だった。明治座は母が新派の市川紅梅さんの内弟子だった際に一番なじみのある劇場だったようである。しかし、生前明治座の思い出話は聞いたことがない。戦前の明治座は歌舞伎座、新橋演舞場、帝劇などとともに東京を代表する劇場として松竹が経営に当たっていた。しかし、1945年3月の東京大空襲で焼け落ちている。
母は東京で2度空襲にあっているとのことだが、どちらの空襲だったかは解らない。明治座は焼け野原の中にコンクリートの瓦礫のままで放置されていた。明治座の再建は敗戦から5年後だった。戦前の松竹から個人経営の劇場となり、現在の建物は1993年にオフィスビルに建て替えられ、低層階が劇場となっている。また、都営新宿線開業にあたっては「浜町駅」には「明治座前」の副称が付けられた。
戦前の明治座でどんな公演が行われていたのかは知識がない。「4つの恋の物語」というお芝居で、4人姉妹の末娘役を演じて水谷八重子(初代)などと共演したとは聞いたことがある。この舞台の最中に母親が亡くなったが、公演中のため葬儀には参列できず、そのかわり四国のお墓の前に
母名義の灯ろうを建てて供養した話は別のところで紹介した。
明治座の前にはお芝居のチケットを求める人がストーブを持ち込んで並んでいた。戦前の歌舞伎や新派の殿堂から、現在では現代劇やミュージカル、演歌の公演などが中心のようだ。「ささめ雪」など東宝お得意の劇の名も見かけた。

馬喰町駅から歩くと、まずはこの建物が見えてくる。

建物の正面玄関。

劇場上部の高層階はオフィスビルになっている。

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