(その16)母の海外旅行/中国桂林
古い乗車券アルバムを見ていたら、香港と広州を結ぶ九龍鉄道の硬券乗車券、それに中国民航の広州−桂林間のチケットが出てきた。1981年9月に母と父が夫婦で香港経由、広州、桂林へ旅行したときのものである。
中国との国交正常化は1972年に行なわれたが、その後も観光旅行はなかなか復活しなかった。しかし1981年になって、香港経由で広州や桂林へ入れるようになった。そこで旅行社(読売旅行?)が募集したツアーに夫婦で参加してきたものである。
母の海外旅行は生涯2回だった。戦前の宝塚歌劇団時代に船で台湾に慰問公演に出かけたハズだが、それを除けばこの中国旅行が最初である。まだ中国国内のインフラ整備は十分ではなく、よくぞツアーが催行されたものと感心している。
このときの行程は、成田空港からJALで香港へ。香港からは運転再開されたばかりの九龍鉄道に乗車して国境線を超えて中国の広州へ入っている。今のように乗・降車時に出国手続きは行なわれず、途中駅の深センと羅湖間でいったん下車して出入国管理事務所を通過している。そのときの話は晩年までよくしていた。本来は航空機利用だったが、中国要人が航空機を利用するため急きょ鉄道利用に変わったのだそうだ。添乗員は大変だったろう。
広州からは奥地の景勝地・桂林へ中国民航機で飛んでいる。ソ連製の小さなプロペラ機だったようで、冷房装置がないため、機内には家庭で使われている首振り扇風機が置いてあったという。別にセンスが配られ、地上では乗客はセンスを扇いでいたそうだ。中国民航のマークの入ったセンスは長らく使っていたが、いまは行方不明だ。
桂林では河川航路に乗船したり、犬のスープを飲んだりと、今なら尻込みするようなツアー行程だが、まだまだ若かった二人は好奇心旺盛で旅行している。ヨーロッパやハワイではなく、当時神秘性に富んでいた中国を初の海外旅行先に選んだ母の見識がうかがえる。ともあれ、母が元気ならばどこへでも連れて行ってあげるのだが、32年前のチケットを見ていて感慨新たなるものがあった。

左側2枚が広州−桂林間の航空券。右側は手荷物のタグ。下は九龍鉄道の広州から香港までの帰路の乗車券。硬券だが券面に席番シールを貼っている。乗車日は、1981年9月19日とある。
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