その19/東京宝塚劇場開場80周年
11/15付の毎日新聞都内版に、<園井恵子:よみがえる原爆死の宝塚女優 無声フィルム「悲しき道化師」日比谷であす上映>という記事が載っていた。さっそくなので日比谷公園にある日比谷図書文化館に見に行ってきた。行ってみて解ったことは、来年宝塚歌劇団が100周年を迎えると同時に、東京宝塚劇場開設80周年を節目に、様々な宝塚舞台に関する調査研究が立ち上がっていることであった。その中で昭和初期にカメラや8ミリで日比谷界隈を収めた藤岡宏さん(2009年に92歳で亡くなる)という方の存在を知った。特に東京宝塚の舞台をおさめた画像が貴重な映像資料として評価されている。その古いフィルムを画像処理して見やすくしたものが今回上演された。会場には藤岡さんの息子さんやお孫さん、宝塚OGの方が多数出席されていた。
画像は1936年頃のもので、当時大スターだった芦原邦子を中心に(藤岡さんは芦原の大ファンだった由)、銀ブラをする歌劇団の生徒(まだ和服姿だ)などが収められていた。私の母は宝塚26期生(1936年入学)なのでまだ舞台には上がってないと思われるが、背後に踊っている中にいるのではないかと思って凝視してみた。画像処理で見やすくなってはいるが、背後の人物を特定することは出来なかった。
当日上演された画像は、古いフィルムに写っている方々の氏名を特定するプロセスをドキュメンタリー風に記録したもので、西宮市でまだお暮しの超OGの方や古くからの宝塚ファンの方へのインタビューは大変貴重な資料解析として興味が沸いた。社会学の基本的フィールドワークなのだろう。
画像に出てくる方々は母より上の世代の方々ばかりだったが、私がかつて宝塚音楽学校を訪ねた際には、戦前の写真は集合写真を含めてほとんど残っておらず、まして上演中の舞台の画像などは全くないとのことだったので、藤岡さんの残されたフィルムは舞台演劇の一次資料として大変貴重なものだろう。
画像の中で個人的に興味を惹いたのは、東京宝塚のバレエシューズは銀座の「ヨシノヤ」製だったこと。後年母は時々ヨシノヤで靴を買っていたが、こういう背景があったのかとあらためて認識した。「靴だけはちゃんとしたのを履きなさい。足元を見られる」これが母の口癖だった。
後日ヨシノヤで確認したところ、バレエシューズの店頭売りはもうやっていないとのことである。

当日の案内チラシ。

当日パンフレットには、藤岡さんが撮られた写真の一部が転載されていた。

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