(その5)宝塚少女歌劇団26期生
2013年に宝塚音楽学校創立100周年、翌年に宝塚歌劇100周年を迎えた宝塚歌劇団。100周年を記念して阪急コミュニケーションズから「宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』(2014年4月)が刊行された。その中に母の記載があることに最近気が付いた。原典からではなく、ウイキベデイアからの孫引きになるがご容赦頂きたい。この本を購入しようと思ったのだが、すでに絶版になっており、定価5000円が2万円近くで取引されているとのこと。
「100年史」は全団員の経歴を記載している。それによると、1936年(昭和11年)入学の宝塚少女歌劇団26期生96名の中に母の旧姓があった。96名は1937年と38年に分かれて初舞台を踏んでいる。母は38年に「満州から北支へ」の公演でデビューしたようだ。宝塚らしくない演目だと思うが、前年までの華麗な公演は、この年から軍記モノが多くなっている。
●1938年初舞台 「芸名=音羽菊美 誕生日=3月1日、出身地=香川県仲多度郡多度津町、役柄=男役、退団年=1938年」
母のアルバムの多くは東京大空襲で消失してしまっているのだが、かろうじて残っていた1冊も写真がなくなっている個所が多々ある。後年欲しいと請われて持って行った人がいたそうだ。残った1冊の中に宝塚時代の兵隊さんに扮している1枚がある。それがこれである。
左下に<音羽菊美>のサインがある。これが母たちの宝塚デビュー作だったようだ。
宝塚には13歳で入学しているが15歳で退団して上京し、市川紅梅さんの内弟子になって新派の道に進む。紅梅さんは9代目市川団十郎の孫にあたる。母は歌はあまり巧くはなかったが、ダンスや日本舞踊は得意中の得意だった。新派時代の写真も何枚か残っている。
数少ない宝塚時代の写真に、なぜ兵隊さんの姿があるのか長年疑問だった。これが26期生のデビュー作だったので残していたのだろうか。いずれにせよ、「100年史」には」一度目を通してみたいものだ。

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