(その70)旅立ちました
4月上旬から食事を食べなくなり、水分も取れなくなっていましたので、施設長の医師からそろそろだと告げられていました。そして、4月22日は夜まで付き添いましたが、18時過ぎにいったん帰宅しました。そうしたら21時ごろ、老健から呼吸が荒くなってきたとの連絡がありました。すぐに老健へ取って返しました。地元なので5分で到着しました。下顎呼吸になっており、当直のベテラン看護師さんがてきぱきと措置をしていました。耳元で呼びかけ手を握ると、わずかですが握り返してきました。しかし、22時52分に呼吸が止まり、心停止しました。看護師さんが本院の医師に連絡し、23時08分死亡が確認されました。死亡診断書の時刻はこの時間が記入されました。死因は脳梗塞ではなく老衰と記載されました。
亡くなったあとは懇意にしてきたお寺に連絡。さっそく遺体の引き取りや葬儀の準備にスタッフを手配してくれました。そして、深夜に自宅に帰りました。葬儀社のスタッフが区役所に死亡届を提出し、お寺さんのアドバイスで千葉市の葬祭場を確保してくれました。火葬の日時を決めて、通夜が4月25日(水)、告別式は26日(木)となりました。式は予定通り家族葬ということにしました。
23日朝、さっそく自宅にお寺さんがやってきました。枕経というのだそうです。諸事のアドバイスを受けて、葬儀の準備をしました。写真の準備をしていませんでしたが、母が亡くなったあとに家族で北海道に行った時の写真を使いました。背景がよく晴れた旭岳連峰で、合成写真ではないのに素晴らしい遺影になりました。
葬儀は本当に内々だけで、10名程度で執り行いました。父らしい式典だったと思います。
父の遺影です。首元の青いものは、かつて四国88か所を巡った時に身に付けていった母の写真のストラップです。

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