(その72)喪があけました
きょうは父の四十九日の法要を行ないました。墓がある平和公園墓地にお寺さんに来ていただき、納骨と法要を行ないました。先に管理事務所に出向いて、埋葬許可証などを提出する手続きを済ませておきました。いま平和公園の管理は市の直轄ではなく指定管理者が行う制度に代わっています。
門前の石材屋さんの待合所でお寺さんと待ち合わせをしたうえで、お墓まで車で行きました。石材屋さんがお墓を開けて待っていてくれました。家から持参した父の骨壷を収めました。関東の埋葬方法は九州と違って焼いた遺骨を全て納める方式のため骨壷が大きい。他方、既に墓に入っている祖母や母の姉夫婦の骨壷は小さいのです。九州の火葬では主要な骨しか集骨しません。
30分余の読経ののち、四十九日の法要が終わりました。お寺さんが「きょうで喪が明けました」と宣して終わりました。お寺さんを見送りして私たちも帰宅しました。門前の近くの蕎麦屋に入って昼食を食べました。初めての店でしたが、絶品でした。父の供養になったことと思います。
父がいなくなったので車椅子ごと乗れるファンカーゴ(トヨタ)を廃車にしました。代わってどんな車種にしようか迷いましたが、長距離を走ることはめったになく、高速道路も使わない近場だけの使い方なので、思い切って軽自動車にしてみました。いつもお世話になっている町内の自動車屋さんにいいのが出ているとのことだったので、HONDAのNボックスという車にしました。アイドリングストップ機能が付いており、路線バスみたいなので気に入っています。

1