8月2日、第5回となる加藤秀樹監督作品完成披露試写会2013無事終了しました。
去年はペットボトルで乾杯したけど、会場の人にあんまりいい顔されなかったので、今年は乾杯したつもりの「エア乾杯」で締めさせていただきました。
3.11以降、被災地の出身の一人として、表現者の端くれとして、何かをやらなきゃいかんという、使命感というよりも、脅迫観念のようなものにとりつかれていましたが、この度の試写会でやっと溜飲が下がったような気がします。
以下に「いつも心に太陽を」を制作するにあたり、最初に協力を仰ぐ方々に送った文書の中から「いつも心に太陽を」の背景となったものを抜粋して添付いたします。
いつも心に太陽を
はじめに
私(脚本、監督)は、この作品に、
「浪江町の友人のこと」
「中学の遠足で原発を見学させられたこと」
「動燃に就職した同級生のこと」
「原発で働いていた友人のこと」
「被災した佐糠町の岸壁に立ったとき号泣してしまったこと」
「原発事故後に地元住民が電力会社社長に土下座を強要したこと、そしてそれをマスコミが一斉に報道したこと、そしてそれを見た人々が福島バッシングを始めたこと」
「同郷出身の社会学者開沼博氏のフクシマ論を読んだこと」
「家屋が大規模半壊と認定されるも決して家を離れなかった父のこと」
「何の親孝行もできずに十年前に逝った母のこと」
以上の思いを込めて制作します。
そして、
「3.11以前、原子力を声高に推進してきた人々」
「3.11以降、にわかに脱原発を声高に叫ぶ人々」
「3.11以前も以降も、物言わず原発のそばで暮らし続ける人々」
以上の人々を描きます。
原発再稼働住民説明会に参加させられた原発作業員、吉田明夫の一日を追いながら、原発を置いた側と、置かれた側という、2つの「原子力ムラ」を、戯画化して描く作品です。

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