1988年 デビュー
1999年 活動休止
2004年 クレヨン社ってまだいたの?
2010年 クレヨン社はここにいる。
2020年 公式 クレヨン社は『まだ』ここにいる。
以降、細々と現在に至る。
HDを整理してたところ、文字化けした不審な音声ファイルが出てきました。
捨てようとしたんだけど、一応中身を聞いておこうと思って開いたのがこの秘蔵音源でした。
全く歌わされた感がなくて、純真で屈託のないあの日の子供たちの表情が浮かんできて胸が熱くなりました。
誰にも媚びない音楽、だけど誰もの心を動かすパワーのある音楽。
もしかすると、そんな音楽が偶然作れてしまったのかも知れません。
しかも、たった一日で。
この歌を歌った子供たちは、もう30歳近くになるのでしょうか?
あのときの誰かが、もう一度、あのころの自分に出会えることを願って、この動画をアップしてみることにしました。
今回のyoutubeへのアップロードは、ビデオカメラを買う前の映像作品「嘘」。
静止画だけで構成した動画です。
最近、全く手つかずで放置のままのwebサイトや、ブログを整理しようと動き始めました。
しかし、これまた放り込みっぱなしで放置のままの己のハードディスクも、過去の音源やら映像で整理不能状態になっていることにも気づきました。
というわけで、まずはこれらを整理してyoutubeにアップしていくことから始めることにしました。
こんなふうに古い順から徐々にアップする予定でいます。
プレゼンターは田中麗奈さんでした。
クレヨン社のデビュー曲で、1988年に制作した「痛み」のMVは、どういう経緯なのかわからいけど、今もyoutube上に何本か上がっております。
「痛み」のMVは、撮影と編集には大変な手間をかけた力作なので、このブログでも紹介したいところなのですが、当時の音源の原盤権は現在もホリプロが所有しているため、クレヨン社本人と言えども、自らがネットに晒すことはできませんでした。
そこで思いついたのが、クレヨン社自らが原盤権を持つ、2004年セルフカバーの「痛み」の音源に、1988年の映像を同期させてしまうことです。
音源と映像のテンポが微妙に違っていたので、映像の同期には苦労しましたが、なんとかアップロードできました。
「痛み」2004年バージョンは、歌と弦楽器以外は何の楽器音も入れないシンプルでストレートな編成です。
「痛み」のメッセージと、柳沼の発信力が今も健在だからです。
いわきでの父の一周忌を終え、川口の自宅へ戻り「さあ、これから!」と決意を新たにした矢先、血尿が出てしまいました。
たった一度の血尿でしたが、無症候性肉眼的血尿という良くないパターンのやつでした。
泌尿器科でCT検査をしたところ、腫瘍が見つかってしまいました。
奇しくも父の命日2019年1月7日のことでした。
柳沼の創作意欲を奪い、木下と親父の命を奪ったガンが、私にも忍び寄ってきたのです。
翌月の9日に内視鏡による腫瘍の摘出手術を行いました。
腫瘍はそれなりの大きさだったにもかかわらず、幸いにも筋層には浸潤しておらず、膀胱全摘は免れることができました。
もし、たった一度の血尿を見逃してれば、大事に至っていたことは間違いありません。
そして手術の翌日、入院中の病室に朗報が届きました。
https://youtu.be/wauBQzhSf4Y
ドキュメンタリー「めぐみ、ファイト」が、東京ビデオフェスティバルにて、大林亘彦監督をはじめとする審査員が選ぶ大賞と、一般の視聴者が選ぶ市民賞の二つの賞を受賞しました。
木下恵の生き方が多くの人たちの共感を呼んだのです。
膀胱がんは再発率が高いため、長期に渡り検査と経過観察が必要ですが、私も木下のように強く生きなければと自分に言い聞かせました。
そのために彼女はあの映像を私に作らせたのだと…。
木下の死から3年、親父の死から2年、そして自身の手術から1年が過ぎた今、私は何かを乗り越えられたような気がしています。
木下と親父、そして柳沼に心から感謝しています。
それでも何とか闘病記「めぐみ、ファイト!」の編集にとりかかり、何とか木下の一周忌を終えた直後、いわきの実家の父から悪い知らせが届きました。
喉頭がんが見つかったとのことでした。さらに悪いことに親父もステージ4の状態でした。
父は2ヶ月間に渡り地元の病院で放射線治療を行い、もうすぐ退院というところまで元気に過ごせていたものの、年末に突然容体が急変し、年明けの2018年1月7日、亡くなりました。
父は絵描きでした。そして私が最も尊敬できる芸術家でした。
私は何よりも父の残した作品を寄贈するために奔走しました。
そして父の一周忌までには、多くの作品の寄贈と、姉の潤子(クレヨン社の表紙絵作家)と共に、加藤秀雄遺作集を完成させることができました。
その4へ続く