1988年 デビュー
1999年 活動休止
2004年 クレヨン社ってまだいたの?
2010年 クレヨン社はここにいる。
2020年 公式 クレヨン社は『まだ』ここにいる。
以降、細々と現在に至る。
いわきでの父の一周忌を終え、川口の自宅へ戻り「さあ、これから!」と決意を新たにした矢先、血尿が出てしまいました。
たった一度の血尿でしたが、無症候性肉眼的血尿という良くないパターンのやつでした。
泌尿器科でCT検査をしたところ、腫瘍が見つかってしまいました。
奇しくも父の命日2019年1月7日のことでした。
柳沼の創作意欲を奪い、木下と親父の命を奪ったガンが、私にも忍び寄ってきたのです。
翌月の9日に内視鏡による腫瘍の摘出手術を行いました。
腫瘍はそれなりの大きさだったにもかかわらず、幸いにも筋層には浸潤しておらず、膀胱全摘は免れることができました。
もし、たった一度の血尿を見逃してれば、大事に至っていたことは間違いありません。
そして手術の翌日、入院中の病室に朗報が届きました。
https://youtu.be/wauBQzhSf4Y
ドキュメンタリー「めぐみ、ファイト」が、東京ビデオフェスティバルにて、大林亘彦監督をはじめとする審査員が選ぶ大賞と、一般の視聴者が選ぶ市民賞の二つの賞を受賞しました。
木下恵の生き方が多くの人たちの共感を呼んだのです。
膀胱がんは再発率が高いため、長期に渡り検査と経過観察が必要ですが、私も木下のように強く生きなければと自分に言い聞かせました。
そのために彼女はあの映像を私に作らせたのだと…。
木下の死から3年、親父の死から2年、そして自身の手術から1年が過ぎた今、私は何かを乗り越えられたような気がしています。
木下と親父、そして柳沼に心から感謝しています。
それでも何とか闘病記「めぐみ、ファイト!」の編集にとりかかり、何とか木下の一周忌を終えた直後、いわきの実家の父から悪い知らせが届きました。
喉頭がんが見つかったとのことでした。さらに悪いことに親父もステージ4の状態でした。
父は2ヶ月間に渡り地元の病院で放射線治療を行い、もうすぐ退院というところまで元気に過ごせていたものの、年末に突然容体が急変し、年明けの2018年1月7日、亡くなりました。
父は絵描きでした。そして私が最も尊敬できる芸術家でした。
私は何よりも父の残した作品を寄贈するために奔走しました。
そして父の一周忌までには、多くの作品の寄贈と、姉の潤子(クレヨン社の表紙絵作家)と共に、加藤秀雄遺作集を完成させることができました。
その4へ続く