2012/3/26

だいまるしょうゆ  
大改造ビフォーアフターで有名になった京丹後市の醤油屋さんに行ってきました。

先月昼飯を食べに行ったら、観光バスで団体が入っていて貸し切り状態で入られなくて、
昨日はコーヒーを飲みに行ったのですが、午後3時で閉店ということでコーヒーは飲めませんでしたが、すっかり有名になったあの女将にわけをいうと、「見るだけならいいですよ」と優しく言ってくださり、あつかましく記念写真まで撮ってきました。夕方からは本来の醤油の仕込みや配達などの仕事があるため、店は早く閉めているのだそうです。

ほんとに醤油やさんとは思えないおしゃれな店でした。
京丹後のあたらしい観光スポットです。

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2012/3/14

ミクタンに企画参加します  
『 mixひとびとtango2012 』に参加することが決定しました。
略してミクタン、その目的は、自由に京丹後を歩いて ひと・もの・自然・風景との出会いを楽しむことです。出会いと交流のひとときから、新たなつながりや気づきが生まれ、それが地域の活力になる、ということです。市内の有志の皆さんが発起人となり、補助金に頼らず手弁当で企画運営されています。

この趣旨におおいに賛同して、わが「エンジョイ丹後」が参加することにしました。
題して「歴史ロマンの旅〜縁城寺1300年の歴史を訪ねる〜」(仮称)
日時は、5月20日(日)午前9時から午後3時まで
内容は、峰山駅から縁城寺と銚子山古墳をめぐり、網野駅まで約14kmを歩く
というものです。 縁城寺では今村住職さんに講話していただきます。
詳細はこれから詰めてこのページでお知らせしますが、興味のある方は予定しておいてください。また、歴女、歴マン、ハイキング仲間などの知り合いがおられたら声をかけていただいたら嬉しいです。
なお、この運営のスタッフも募集していますのでよろしくお願いします。


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2012/3/4

縁城寺  
今日、とてもすてきな家族にお会いでき、心が温まっています。

京丹後市橋木の縁城寺の住職さんとその奥様、息子様です。
初対面でしたが、何とも心優しくお話しいただき、あつかましいお願いを快諾していただきました。帰りには私の車を三人そろって最後まで見送ってくださいました。ほんとに手を合わしたくなるような縁城寺の皆さんでした。

さて、この縁城寺は西暦717年の開祖だそうで平成29年には1300年を迎えます。寺には国の重要文化財「千手観音菩薩立像」と「宝篋印塔」など重要な宝物があります。
この丹後最古級の古刹・縁城寺の和尚さんに1300年の歴史を語ってもらえることになりました。5月20日(日)を予定しています、詳細はこのブログでお知らせしますので、お楽しみにしていてください。

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  縁城寺本堂
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2012/2/25

海の幸  
(前回の続きです)
 さて、岬巡りの路線バスに乗って丹後半島の最北端の集落、袖志で下車した私は、招かれていた宴会の席に。「飲み会をするからおいで」と声をかけられ、誰と何の宴会なのかも聞かずに一つ返事をしていたのですが、会場のMさんの家に行くと20名近くが集まっており、「ラベンダーの会の新年会」が始まっていました。夏の暑い時期に碇高原のラベンダー畑で毎日草刈りをして丹誠込めて見事な花を咲かせている皆さんです。全くのボランティアで大変なご苦労でしょうが、そんな皆さんが集まると満面の笑顔で話も弾み、なんといってもパワーがあります。
ところで、袖志でいただく料理は、いつも驚きと感激があります。夏には目の前の海でとれたサザエやワカメの味の濃さ、おいしさに驚きましたが、今回は「ハバご飯の岩のり巻き」に大絶賛。
袖志でとれた海藻の「ハバ」のご飯を、これまた地元でとった岩のりを干して板のりにして、海苔(のり)巻きに。
この海苔の香りのすごいこと。皿の上においてあるだけでも磯の香りがして、これを口に入れたら一気に香りが広がりました。もちろんお酒は宇川の地酒「最中屋茂平」、なんとも贅沢な一日でした。今年もラベンダー畑で頑張らねば。

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  「ハバご飯の岩のり巻き」

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     雪がとけはじめた袖志の棚田

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2012/2/15

経ヶ岬巡りのバス  
峰山発の経ヶ岬行きのバスに初めて乗りました。(津軽海峡冬景色の歌に乗せて)
バスに乗る人の群れはとても無口で、足元だけを見ていました。
峰山駅から網野駅を廻り間人へ向かう海岸線はとてもきれいで、
海鳴りだけが聞こえていました。
日本海の荒波は自然の厳しさを思い知らせ、人間を寄せ付けないぞといわんばかりに感じられます。
てんきてんき村から経ヶ岬までの間はどこで乗り降りしてもよいフリー乗降区間だそうです。
ただし、だからといって気楽に途中下車しても、次のバスは2時間待ちになります。
この路線の海岸線はほんとに景色のよい『岬巡りのバス』です。鼻歌を口ずさみながら楽しい小旅行です。
皆さんも是非一度乗ってみてください。峰山から経ヶ岬まで約1時間20ほどかかりますが、なんと200円でいけます。ものすごいお徳感で満足できた一日でした。
なお、経ヶ岬にバスの乗務員さんの宿舎(といってもどう見ても小屋)があり、毎日始発に備えて2人が厳寒の地で宿泊されているそうです。ご苦労様です。
ところで私は用があったので岬の手前の袖志集落のとある家の前で下車をしました。この後がまたすごかったのですが、続きは次回に。

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2012/1/29

大雪です  
丹後は今年も大雪です。

2年続きで豪雪はないやろ、と思っていたら甘かった。

言葉ではよく言い表せません、写真をみてください。京丹後市大宮町五十河の雪です。(モノクロ撮影ではありません)

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埋もれそうです。来週には埋もれているかもしれません。
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2011/8/5

久美浜界隈  
 京丹後市の峰山町から城崎まで歩く旅の最終回は、KTR丹後神野駅から久美浜駅まで約9kmの旅です。
 丹後神野の駅に降りるとすぐに「川上摩須郎女」の案内板が目にとまりました。大和朝廷の時代に
丹後(丹波)の支配者としてきた丹波道主命の妻となった川上摩須郎女がここ久美浜の出身ということで、丹後七姫の一人になっています。

<川上摩須郎女>(かわかみのますのいらつめ)
「丹波の国王として君臨していた丹波道主命の妻。丹波国の豪族、川上摩須の娘として生まれ、丹波道主命の妻となり、一男三女をもうけ、その息女ヒバスヒメは垂仁天皇の后となり、景行天皇をはじめヤマト姫などの子をもうけました。この一題勢力の遺跡が久美浜町須田ホウキダニに存在します。」
 

さて、駅から長柄の町を歩き始めるとすぐに趣のある看板を見つけました。
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中に入るとご主人が朝早いにもかかわらず、丁寧に案内してくださいました。なんでも、50年ほど前に始めたコレクションの趣味がたまりたまって「久美浜百珍亭 富澤趣蒐館」となったそうで、無料で見学できるそうです。ご主人の本業は建具などの木工業だそうで、ときどき古いふすまの修理をするとその中に和紙の古文書が貼られていることがあり、それを解読するのが楽しみだそうです。
この趣蒐館は久美浜百珍亭と呼ばれ京丹後市商工会の久美浜百珍に登録されています。(久美浜百珍はこちら)さすがに海に近いので、漁師さんが使った者など珍しいものがあります。

百珍亭をあとにして久美浜湾沿いを歩き「かぶと山」へ200mほどの低い山ですが、暑いのと急なので結構しんどかったです。でも山頂からの眺望は、「絶景かな、絶景かな!!」何も説明しません、皆さん自分の目で確かめてください。
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かぶと山を下り、甲山(こうやま)集落の中を歩くと珍しい火の見櫓があり、横に古き良き時代の「甲山自衛消防団」の詰所がありました。
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ここからいざ久美浜の町へ、ですが、道中に二つの造り酒屋があります。それぞれで休憩して試飲させていただくと結構いい気分に。おいしい酒をちょっとだけいただくのがいいですね、浴びるように、飲んでいるのか飲まれているのかわからないような酒の飲み方は品がないですね。といつも反省しています。
 「玉川」の木下酒造
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 「久美の浦」の熊野酒造
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久美浜町での見所といえばやはりこの「豪商 稲葉本家」ですね。国登録有形文化財に指定されていて、京丹後市が管理しているということで無料です。ここで庭を見ながらゆっくりしていると「豪商」になった気分が味わえます。
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それから久美浜の旅の土産といえばやはり「元祖 鯛せんべい」でしょうか。
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2011/8/2

丹後は食の王国だ!!  
天然の丹後トリガイが食べられるというので、宮津駅前の「平の屋」へ。丹後トリガイは普通のトリガイの5倍ほど、手のひらほどの大きさで、甘味があり、丹後の特産品として養殖され、高級食材として人気がありますが、天然のトリガイは珍しく、なかなか出回りません。
阿蘇海でとれたトリガイは、甘くて肉厚もあり、軽く炙ると身が締まり、より濃厚な味わいになります。また岩ガキもジャンボでクリーミー、塩味が効いていてそれはそれは美味です。


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2011/8/1

丹後いいとこ  
転勤で丹後に来ています。京丹後市峰山町からお届けしています。
丹後の楽しいところ美しい自然を紹介させていただきます。

 ここ京丹後市は平成の大合併で丹後町、峰山町、網野町、弥栄町、久美浜町、大宮町の6町が「京丹後市」となりました。丹後には前から時々遊びに来ていましたが、ほぼ10年ぶりに見る丹後の海の綺麗さは変わっていませんでした。丹後といえばこの海、海岸線の美しさ、カニ、カキ、ブリなどの魚介類、それに温泉でしょうか。まだまだいろいろありますので、これから旬の情報をお届けしていきます。

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京丹後市の日本海の海岸線は山陰海岸ジオパークとして認定されており、1500万年前に自然が造ったこの壮絶な景観を守り次世代に残す運動が行われています。(山陰海岸ジオパーク構想はこちらを参照してください)
 山を守り、海を守ることが里を守ることになるんだと思います。中国に海と山を表した言葉があります。「海はあらゆる川の水を分け隔て無く受け入れるから広大で、山は無欲であるが故に高く剛い」。

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        丹後松島(丹後町犬ヶ岬あたりから)

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かぶと山から望む久美浜湾
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丹後の絶景ポイントを見つけました。久美浜湾を一望できるかぶと山公園です。200m程の山を登ると、頂上の展望台から見る久美浜湾と小天橋は最高です。(写真下)是非一度登ってみて下さい。

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 静御前生誕の地

 丹後七姫の一人、源義経と共に生きた「静御前」の生誕の地が京丹後市網野町磯集落の眺めのよいところにあります。

 静は磯に生をうけ、父は磯野善次といい「磯の衆」と呼ばれた海士の一族であった。幼名を静尾といい、七歳で父を失い母に連れられて都へ上った。母は白拍子として有名になり、静も都で指折りの白拍子へと成長していった。
 やがて義経に見初められ、愛妾となるが義経はその後、兄頼朝に追われる身となり、はなればなれに。その後疲れ果てた心身を休めるため、生まれ故郷の磯へ帰ってきた。
 静は眺望のよい出生地跡に草庵をつくり、義経の無事と、由比が浜で殺された愛児の冥福を祈りつつ花月を友として暮らしたと伝えられています。今もこの屋敷跡下の海岸を「尼さんの下」と呼ばれています。義経が磯の惣太という船持ちに宛てた手紙が江戸時代まで静神社に納められていたそうですが、火事で焼失したそうです。

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 羽衣伝説と乙女神社

 むかし、比治の里に三右衛門という刈人が住んでいました。
 ある日、三右衛門はいさなご山の頂きの池で水浴びをする八人の天女を見かけ、その羽衣の一つを隠しました。三右衛門は羽衣を隠された天女を連れて帰って妻とし、三人の娘をもうけました。天女は農業や養蚕、機織り、酒造りが上手で、この家はもとより比治の里はたいそう豊になりました。
 しかし、天恋しさに耐えかねた天女は、三右衛門の留守中に娘達から羽衣の隠し場所を聞き出し、羽衣を身につけると外から戻った三右衛門に「七日七日に会いましょう」と再会を約束して大空に舞い上がっていきました。
 この乙女神社は、天女の娘の一人がお祀りされており、お参りすると美女が授かるといわれています。(乙女神社案内板より)
 羽衣伝説は全国にありますが、この丹後の羽衣伝説は「丹後風土記」に記載されており、日本最古のものといわれています。

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ガラシャ夫人の幽閉地

明智光秀の三女・玉子は永禄6年(1563年)に生まれ、16歳の時に織田信長の命により細川幽斎の子忠興の嫁として田辺城(舞鶴市)に入りました。その後、父光秀が本能寺の変を起こし、光秀から味方になるよう誘われたが忠興はこれを拒み秀吉軍につき、玉子を丹後の山奥、味土野(京丹後市弥栄町)に隔離・幽閉しました。光秀の死後、家来は玉子に自害を勧めましたが、玉子は「私は忠興の妻、主人の命を聴かずして、ことを決することは妻の道にそむくことです」といって2年もの歳月をこの地で過ごしました。やがて秀吉が憐れみ忠興は再び妻として呼び戻しました。

 ガラシャ夫人幽閉の地は丹後半島の山の上にあり、標高は500m位の所でしょうか、急峻な山間にあり冬には雪が2〜3m積もるといいます。宮津市の世屋という集落から登ってきたということで、「ガラシャ古道」というのがあります。残念ながらまだ古道はみつけられていませんが、車でも15kmほどあり相当厳しい道程です。(弥栄町側から登るとわりと道はよいです)
 さて幽閉地は女城と男城と呼ばれ、女城に玉子が住み、男城には玉子を警護する護衛の兵がいたといわれます。女城跡にはちょうど「キキョウ」が咲いていて、遙か北の地で光秀を偲ぶことができました。

 忠興は、関ヶ原の合戦で徳川方についたが、玉子は石田三成の軍勢に囲まれ、大坂城に人質として入城するよう迫られたが、人質になれば夫の足手まといになるといって断り、自ら屋敷を焼いて壮絶な最期をとげました。享年38才の夏のことでした。辞世の句は有名です。

  ちりぬべき時知りてこそ世の中の
            花も花なれ人も人なれ 
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タグ: 京都府 地域 観光


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