2010/5/20

阿久根空襲の写真か 工場火災や河口周辺 米軍機が撮影 ネットで入手  ニッポン屋根裏考古学会

平成22年5月16日付 南日本新聞

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阿久根空襲の写真か 工場火災や河口周辺 米軍機が撮影 ネットで入手

 第2次世界大戦終戦直前の1945年8月12日、阿久根市街地を空襲した米軍機が撮影したとみられる写真が見つかった。澱粉工場の火災や、河口の州が干潮で浮き上がるなど、当時の状況をそのまま写しており、被災した住民らは「阿久根空襲の写真である可能性が高い」と話している。

 写真は、大分県宇佐市議の高橋宜宏さん(57)が今年上月、インターネットのオークションで入手した。うち1枚は、阿久根を空襲した元米空軍兵が2000年に市へ提供した写真と同一とみられ、当時あった田野澱粉化工場とみられる建物や周辺の住宅が炎上。近くの州は潮が引き、ほとんどの船がそのままの形で残っている。

 当時、中学生だった折田康彦さん(77)=出水市高尾野町柴引=は「火災を避けようと、水かさが減った川の支流に隠れた。市街地は一瞬にして燃えたが、船は機銃で撃たれて穴が開いているだけだった」と証言しており、状況が写真と一致する。

 同じく中学生だった船元謙一さん(77)=阿久根市本町=は「澱粉工場の炎上はすさまじく、数日間続いた。石炭を貯蔵していたので消えなかったと聞いた」と話す。

 写真は低空から撮影されたとみられる。折田さんらによると、空襲で市街地はほぼ壊滅し、それまで自宅から見えなかった阿久根大島が見えるようになったという。

 市によると、空襲は1945年3〜8月、断続的にあった。確認できるだけで死者14人、被災戸数850戸。

 市は2002年、元米空軍兵から寄せられた写真や体験記をまとめた「阿久根の空襲」を発刊した。市教育委員会生涯学習課の馬見新誠課長は「新たに見つかった写真の広報を検討したい」としている。
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