こんばんは。
裁判の傍聴は神経を使います。釋證眞です。
殺人の事案だったからなおさらです。
判決の日にもう一回傍聴してきます。
さて、何となくお木仏の御姿について考えたいと思います。
カタチに拘ってしまうのは凡夫の悪いところ。
名号本尊に形像本尊が「カナワナイ」所以です。
(なぜ「カナワナイ」と片仮名にしたかというと、御本尊の形態で優劣をつけるのに違和感を感じたからです。)
(もう一つ言うとすれば、カタチに拘るのは形像本尊だけではありませぬでしょう。ちょっと書を嗜んだ人間であれば、名号本尊の「字」もまた拘りの対象になりうるわけです。文字にしろ身体にしろ、「カタチ」を持ってしまえば拘ってしまうのが凡夫というものかと…。…この辺り、釋證眞も深く勉強した訳ではありませんので、読者の皆様には「釋證眞がまたアホなこと言うとる」くらいでホドホドにご理解されたいと思います。)
とはいえ、真宗にここまで深く入り込んだよりも
もっと先に、「仏像」「仏教美術」に親しんできた釋證眞としては
下手に目が肥えてしまって?
たとえばお仏壇屋さんで売っているような
5000円や10000円のシロモノのお木仏は、
いわゆる「御本尊」として迎えたくないという、そんなレベルです。
以下、本日の記事は「真宗的なこと」からは大外れします。あしからず。
まずですが、当派の御本尊は、通肩のお衣を着ておられます。
これが大谷派になると、その上に衲袈裟を着けられるわけです。
阿弥陀様の右肩を見ればよくわかります。
デザイン的にどちらがいいか、と言われれば甲乙つけがたいですが
大谷派のは彫刻がちょっと複雑になる分だけ良いといえば良いし
本派のはすっきりしていて良いといえば良いということになります。
御本尊の本体に関してはどうもこうもありません。
・衣紋の流れ
・御顔
・バランス
この三つがすべてです。
もう一つだけ、御本尊の本体で気になることがあるとすれば、
頭の中央にある「肉髻珠」でしょう。
こんにち、肉髻珠は多くは水晶を嵌めます。
頭に孔を彫って、朱色で彩色し、水晶を嵌めることで
正面から拝すれば肉髻珠が朱色に見えるわけです。
割と透明感があって、綺麗です。
ただし水晶の肉髻珠には欠点があります。
つまり、水晶には彩色をなされていないので、
横や下から見ると、透明なのです。
昔の作例だと、瑪瑙を用いました。
これは正面から見ても横から見ても、もちろん赤色になります。
ですから、瑪瑙を用いた御本尊、これが最上になるでしょう…。
ただし、これは今ではもう稀少でしょう。
大手はほとんど水晶の肉髻珠でした。
そうそう、それと御本体にする彩色ですが、
螺髪には青系の彩色を、お体は金箔あるいは截金にします。
多くは、お衣が金箔で、お身体とお顔が粉溜になります。
つまり、お衣はピカピカの金色で、
お肌は控えめな金色で少しだけサラサラした感じがするわけです。
やっすいお木仏だと、全身に金箔を貼るか
金色のスプレー吹っかけるかしてくるので
えげつない金色になります。はっきり言って、下品です。
在家用のお木仏は、截金もよく見受けられます。
まあすごく上品です。金泥書きというのもあります。
ただし、仏さまの金色相ということを考えれば、
金箔でお荘厳するというのが本義的に正しいのかもしれません。
昔だと、粉溜截金という手法がありました。
文字通り、粉溜の上から截金を施すもので、
安阿弥こと快慶がよく使った手法です。
これは、年季が入れば入るほど美しくなります。
粉溜の部分に香の煙が入って、截金部分が引き立つわけです。
個人的には粉溜截金を猛プッシュしたいと思いますが
やってくれる職人さんはいはるんやろか…。
螺髪に関して言えば、多くは群青で彩色されます。
真っ青です。それはそれは綺麗な青です。
経典にも群青だと説かれた部分があったと思っていますが
(記憶違いかもしれません…)
実は、明るすぎてシマラナイという面もあります。
個人的にはちょっと濃い、紺色を推したいです。
これだと一応青色になりますし、
なによりもお木仏全体がしまります。
ご本体だけでこんなに書いちゃったか…
うん、話が長くなりそうなので分けます(笑

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