こんにちは、釋證眞です。
先日の御本山宗祖降誕会逮夜法要の話。
先の入仏法要で、読者様から頂戴した経本入で初☆上山です。
鳥獣戯画柄。
この読者様はよくわかっていらっしゃる笑
さて、宗祖降誕会の逮夜には、無量寿会作法がおつとめされます。
本願寺派に残る作法で唯一「論議」形式のお作法で
明如上人が天台宗の法華大会を範として御制定になったものです。
本来は階高座が設置されるのですが
近年はもっぱら礼盤を高座と見做す略式の法式です。
論議の諸役をご紹介します。
証誠(ショウジョウ)
御門主様の御役目で、論議が正しく行われることを確認する。
論題を選ぶ題者の御役目を兼ねておられます。
講師(コウジ)
紅朽葉色のお衣の講師さん。今年は善福寺の麻布さんです。
論題について講じ、問者の発問に解答する役目。
経題を読誦する読師(ドクシ)も兼ねているので正確には「講読師」。
近年は紅朽葉色が緋色に近付いてきて紛らわしいので
確認しておきますが新門様ではありません。念のため。
問者(モンジャ)
講師に発問する役目。
結衆のうち、南側の末臈の人です。
堂達(ドウタツ)
証誠に命じられて論議の終わりに磬を打つ堂達さん。
要するにゴングの係です。
結衆のうち、北側の末臈の人です。
ちなみに磬は

こんな風に置かれています。衝撃的。
喚鐘、調子の中
まず新門様が御入堂、御焼香。
そうそう、ご覧になればわかると思いますが
お仏華は松一式になっています。
そして御門主様以下結衆が入堂。
御門主様も御焼香なさいます。
御着座の後、楽。
講師が高座に上ります。今年は礼盤で代用。
三奉請。
散華頭が立ちますが、一人です。
水谷豊似(だと釋證眞が個人的に思っている)の平川さん。
結衆復座ののち、表白。
華麗な文体です。
こういうのを聞くと、やっぱり表白は文語体だな、と思う訳です。
しまりますよね!
次いで画讃。
おなじみの「韜名愚禿」ですが
博士は簡単になっていると思います。講師独吟。
次いで「揚経題」。
読師(講師が兼ねる)が経巻を頂戴し、経題を誦します。
ですから、法要に際しても立経台が撤去されません。
立経台と説相箱が向卓に並び置かれる不思議な光景。
そして講師が経釈を行います。
「大意とは〜、題目とは〜、文に入りて判釈せば〜」
というように、今回だと大無量寿経の説明をするわけです。
講師が経釈をしているうちに、脇卓の横に円座が賦され
意気揚々と問者がやってきます笑
そして論議が始まります。
証誠、講師、問者は半跏の姿勢をとります。
半跏とは胡坐の姿勢から左足を右太ももに乗せる座り方で
有名な「半跏思惟菩薩像」とかありますよね。
要するに考えるポーズをします。
問者の発問。業義(ゴウギ)、副義(ソエギ)の順で発問します。
今年の業義は「出世本懐」、副義は「行信一念」であります。
問者「大経の『如来、無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して群萌を拯ひ、恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり』の御文によって、宗祖聖人は大経が釈尊の出世本懐であると示されたが、どうしてわかるのか」
問者「また、大経十八願成就文と弥勒付属の文にそれぞれ『乃至一念』の語があり、意味合いが違うように思われるがどう理解すれば良いのか」
発問中、講師は柄香炉を手に聞き、
問者に「如何が意得可きや!」と言われると
如意に持ち替え、副義、業義の順に答え始めます。
講師「行文類に『おおよそ往相回向の行信について、行にすなわち一念あり、また信に一念あり』、信文類に『真実の信心は必ず名号を具す』とあり、他力の信行はともに阿弥陀如来から回向されたもの、信と行は一体であって不離であると示されている。成就文の一念は信心が起こった最初の時(信の一念)、弥勒付属の文の一念は一声の念仏(行の一念)をそれぞれ表し、それぞれの一念のところに、阿弥陀如来から回向された行信に備わる徳義を示されたものである」
講師「『光闡道教』は釈尊一代の聖道門の経典を指し、『真実の利』とは大経に説かれる御本願の救いという唯一無二の教えの利益を指すものであるから、この経説はこの経を説いて『真実の利を恵まんと欲する』ことに釈尊の本意があることを示すのである」
このように講師は答えましたが問者はまだまだ納得しません。
ちょっと厳しい口調で(と管理人は感じた!)更に問い詰めます。
問者「諸宗にはそれぞれに所依とする経典があり、大経を以て釈尊の出世本懐とすることは諸宗が認めないところである。この点疑いあり!」
問者「浄土に往生する正因が信と行の二つであることは、宗祖聖人の『信心正因、称名報恩』の宗義に反するのではないか」
発問をし終え、問者は音を鳴らして中啓を置くのですが
「どや!」みたいな意味なのかなあ、とか思ったりしていました。
まず副義について、講師は行文類、信文類の御文を引いて丁寧に答えます。
長いので割愛(笑
業義についても、「当来の世に経道滅尽せんに…」の御文と
五徳瑞現を併せて、やはり釈尊の出世本懐であると答え
「若し爾らば、講答両重、共に正意を失することなからんと、答え申すべし!」
と念を押して間違いないことを述べたところで
証誠が「カネ」と一言、お命じになり
堂達が仰磬一音して論議は終わります。
講師は回向(稽首阿弥陀〜)を唱え
問者は自席に復します。
おおかたこんな流れです。
そうそう、降誕会は須弥壇上に「サル」が出没しました。
サルノコシカケに似ているからなのか、
燭台が乗っているこの黒塗面朱の台が「サル」です。
阿弥陀堂のお荘厳もちょっと変わっていまして
常香盤撤去なし、前卓設置なしで
打敷が掛かっています。不思議。
打敷の不思議と言えば
御真影樣前前卓は水引なしの打敷、そして筆返し有り。
イレギュラーなお荘厳が多く
それこそ釋證眞にとっては「疑いああああり!」
といった感じでした…
面白い御法要でした。

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