御機嫌よう
輪灯を吊りたくてうずうずしている釋證眞です。
笠径7寸で30万円強。サマージャンボに賭けようかと半ば本気で考えているところです。
そんなことはどうでも良いのですが、さてさて。
最近SNSでよく見る御法衣のありようについて思うところがあります。疑いアリ。
常々申しておりますように本派の服制は最早滅茶苦茶ですが、一応服制条例と法式規範に載っていることが規範として″正しいとして。
うん。
あれです。七條袈裟を着けるのに色衣に僧綱襟を付けない人は一体何なんだというお話です。
怒り心頭ですよ。
それでお葬式に来られたもんならたまったもんじゃありませんよ。
前にも書いたことがありますが、本来、着けるお袈裟によって法衣は種類を変えます。
TPOによって服装を変えるのは現代も同じなのでこれは理解できるでしょう。
礼服でキャンプに行く人はいませんしTシャツで晩餐会に行けば顰蹙を買います。
いわゆる燕尾服にあたるのが「法服」…袍裳とも言いますが。
これは最礼装にあたり七條袈裟しか着けません。
上着の袍と腰回りの裳とに分かれています。
袷仕立で有文、僧綱板が付属します。
次、セミフォーマルくらいでしょうか。これは鈍色です。
にびいろ、ではありません。どんじき、です。同じ字ですが。
もとは純色と書いたのがどこかで鈍色になったようです。
形状は法服と同じですが、単仕立で無文です。
七條袈裟を着けるときもあれば五條袈裟を着けるときもあります。
次、ビジネスくらいですかね。素絹です。
精好地で仕立てます。昔は丈が長かったのですが、多くは今の色衣の形です。
ここからは五條袈裟しか着けません。
裳附というのが同形式でありますが、何となく羽二重地のイメージがあります。
こちらは墨色のものを指して言うことが一般的。間違っても黒色ではありません。アリマセン。
墨裳附はカジュアルのような気がしています。
次、ラフ。直綴。
色直綴というのもありますが、それは道服なんじゃ…と思ったりもします。
が微妙なところなので調べないといけません。
え?布袍?
あれは法衣の括りに入れていいのかわかりませんが、さしずめ道中着〜ラフです。畳袈裟・輪袈裟オンリー。
(無論、ここでの分類が適切であるとは思いません。イメージしやすいように、の例え話です。)
本派ではこれらのものを廃して…いや廃してというよりは継承しつつマイナーチェンジという言い方のほうが適しているような。
つまりは、形状は素絹の形状にして、七條袈裟を着けるときは別付けの僧綱板を付けて法服(または鈍色)の体裁を保とうとしたわけです。
…本題に戻りますが。
あなた人の葬式やら「無二の勤行」たるべき報恩講に、ビジネススーツに蝶ネクタイ締めてお勤めするの?ん?
というツッコミを心の中でします。
どれだけ素晴らしい御法話をされても、御寺院の運営に力を入れられていても、お勤めをしっかりされていても、立派な方であっても。そうやって思います。
僧綱襟を付けずに七條袈裟を着ける、それは僧綱襟を付けない、
タダソレダケノコトではありません。
不遜で不躾で失礼な物言いであることは重々承知しておりますが。
法衣はお坊さんのユニフォームでは無いんですよ。
あれは御装束なんですよ。
御装束によってお坊さんはお坊さんたり得るんですよ。真宗は。
御装束を着けて法要儀式を執行するということがお坊さんと門徒の境目だと思います。
門徒でも教学の勉強はできます。御法話もやろうと思えばできます。
御荘厳も、何ならお寺の経営も。外陣で力いっぱいお勤めもします。
ただ御装束を着けて御内陣に入りお勤めをする、ということはできません。
そこは御浄土の領域だから。
御装束を着けない限り凡夫はどう見ても凡夫です。
美しい御装束を着けて、美しい御内陣で、美しくありがたいお勤めをする。
我々門徒に御浄土とはかくありなん、と感じさせてくれるのがお坊さんなのではないかな、と思うのです。
それがお得度するということの、門徒と変わらぬ凡夫でありながら御浄土側のありようを身を以て「表現」しなくてはいけないということの重み、であるのかなと。
そこのところを押さえていただかないと、困ります。
ましてSNSにあげるのなら猶更。
誰がどんな思いで見ているのかわからんのです。
恐懼謹言。

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