今日の「武道塾」では、本当に久しぶりに回し蹴りをした。
もう数年はやっていなかった。
回し蹴りは、上半身のねじれを原動力とする。
つまり、上半身のねじれにより下半身が動くという図式だ。
この蹴りの典型的なのが、ピーター・アーツだった。
絶妙の左フックが左回し蹴りを誘導していた。
全盛時代は、このコンビネーションでKOを奪っていたのを思い出す。
もちろん、それを目的としているのではない。
先程の上半身のねじれと下半身の関係を身体で知ることが目的だ。
35年前は、基礎訓練と原理習得の為に初心者は全員した。
下半身の力が抜けてくると、蹴りが効果を現してくる。
空手時代「日野、まだ蹴っている」とよく注意されたものだ。
私の道場ではあり得ないくらい、全員汗をかいて終わった。
「東京・明鏡塾」体験セミナーを終え、懇親会、そして帰宅。
終わりました。
今回の体験では、介護福祉士の方が2人も受講してくれた。
そして看護師。
何れも、「これは重要だ」と気付いた人達だ。
だから、その意味で熱心な時間を共有できた。
懇親会では、医療や人生他色々な話で盛り上がった。
話としては、講座よりもまとまった本質的な話が出来た。
意味など無いから、意味を見つけてから、意味を放れと、何時ものようにまるで禅問答だった。
しかし、それに皆よく食い付き、アッという間に解散の時間になった。
看護師の女性は、8年前大阪でのダンスのワーク・ショップに来てくれており、結婚し東京の方に越したそうだ。
そんな昔話も入り、和やかなうちに終わった。
明日は今日の振り替え稽古日だ。
フィンランドでワーク・ショップを受講してくれていた振付家が来る。
片言の英語で対処するしかない。
そういえば、9月にはForsytheCompanyで踊っていたティルマンが、1週間程ワークを受けたいと来日する。
クルベルバレエ団の振り付けもやり、ヨーロッパで活躍するダンサーだ。
彼の稽古相手が必要だから、ワーク・ショップでもやろうか。
どうしたら自分の扉をこじ開けることができるか?
1つは、自分自身にこじ開けなければならない必然が巡って来た時。
1つは、その時期に、誰と出会えるかだ。
この二つの偶然が重ならなければ、絶対に無理だ。
というのも、自分の扉をこじ開けなくても生活が出来るし仕事も出来るからだ。
人それぞれという風潮も、それを後押ししている事もある。
今から5.60年前なら、社会そのものが、うだうだいう間がなく、敗戦復興に燃えていたから自動的に扉を叩けた。
しかし、社会経済が安定してくると、どんどんそこが閉ざされていくのだ。
机上の空論が幅を利かせ、社会がギスギスしてくる。
その意味で、現代は個人を強く逞しくするには不向きな時代だ。
もちろん、この強く逞しくというのは、肉体的な事を指すのではない。
考え方や感性というこころと直結した話だ。
今日は「明鏡塾」の体験セミナーだ。
医療従事者は、特にここの強さが必要だ。
何を背負っている患者さんとでも、向き合わなければ行けないからだ。
明日は、「東京・明鏡塾」の体験セミナーだ。
果たして、どんな人が何を体験してくれるのか、それが楽しみだ。
先日の特養での話の中で、利用者さんと会話が出来ない人が多いと聞く。
それは意味が分からない。
一体、専門学校や大学で何を習っているのか、そこを疑ってしまう。
何よりも一番重要なのは、利用者さんや患者さんと会話が出来る事だ。
会話が問診にも繋がるし、今、どんな気持ちなのか、何を求めているのかを探り出す唯一の手段だからだ。
「腰が痛いです」「はい、それでは」という会話ではない。
「どうされました」から入るが、その展開は「雑談」だ。
どんな話題が利用者さんや患者さんの気持ちを和やかにするのか、どんな体験からその症状に行き着いたのか、どんな気持ちで日常を過ごしているのか。
そういったことを聞き出せる雑談が必要なのだ。
また、どうすれば利用者さん、患者さんから笑顔を引き出せるか。
最も重要なところはここだ。
真面目腐った顔をしていると、患者さんや利用者さんを緊張させるだけだ。
しかし、そういった人が多い。
「私は治療をしている」「私がリハビリを指導している」そんな意識の人が多いからだ。
そんな事は思う必要もなく当たり前のことだ。
であるならば、最初にやれなければいけないのは、患者さん利用者さんの笑顔の引き出しだ。
カフェなどで、聞くとはなしに他のテーブルの会話を聞いていると、お互いに自分の話しかしない。
会話にはなっていないのだ。
相手の話を聞く、話に好奇心を持つと、相手にも相手の話にも興味が湧く。
それをお互いにやることが会話の入り口だ。
自分の言いたいことだけしか言えないのでは、会話は出来ない。
思い出せば分かると思うが、自分の話を聞いてくれる人に、何だか仲良くなった感じがするだろう。
そこが基本だ。
自分の話を聞いてくれる人にこころを開く。
当たり前だ。
妻が稽古着の上着を縫ってくれた。
25.6年ほど前はピシッとした洋服を買うお金がなかった。
だから、講演や研修を頼まれた時、何時も作務衣だった。
作務衣だと、「そんな人」という印象があるので、どれだけ安い生地でも、男性には分からないからだ。
道場を建てるのにお金を稼いだが、それは全部道場に消えてしまった。
道場建設の為の費用の一端を担っていたのは、大衆演劇の役者達の衣装作りだった。
その時に、着物を縫ったり、早変わりの工夫を凝らしたり、ありとあらゆる珍しい、奇抜、あるいは豪華な衣装を作り上げた。
スパンコールで作った打ち掛け。
そこに色とりどりのスパンコールでパーツを作り、背中に歌舞伎絵を立体的に作り上げた。
ハードロックのように、鋲を打った皮の着物。
エナメルの着物。
妻と二人で考えた衣装は、大衆演劇の世界で爆発的に支持された。
私が動けるから、動きやすいかそうではないか、が分かる事も支持された原因でもある。
衣装屋さんとは、全く違う発想だからだ。
おかげで、道場を建てるのに一役かった。
その時々で出会う状況。
その状況の中で考え抜く。
そうするとアイディアが湧いてくる。
そんな体験を山ほどしている。
それもこれも、会社で働かず、別段事業も起こさず、武道だけを追求したかったからだ。
1つのことを、やり通してしまうには、現実的に相当の壁がある。
しかし、それは、1つの事をやり通す為の力を付ける為のものでもある。
やり通す集中力に必要不可欠の力だ。
だから、同時に生活をする、生きるという強さが育まれるのだ。
好きなことだけを、あるいは、これだけをやろうとした時、当たり前だが同時に現実の生活もある。
そこで生まれる工夫をする力は、好きなこと、やろうとすることの下支えになるのだ。
今日は思いついたことがあるので、研修先の特養へ行った。
働き方改革ではないが、どうすれば現場が面白く回るようになるのか。
そのことで幹部研修を行ってきたが、それが現場に全く活かされていないに等しい。
それは何故か?
今まで、現場そのものの状態は、幹部からの報告だけだったから、そこから推測して、という具合に研修をしていた。
しかし、現場に「明鏡塾」から医師が入った。
そのことで、いっぺんに現場の状態を把握できた。
結果、今日特養に出向き、改革の骨子を上層部と確認したのだ。
おまけに、介助ロボットHALを体験してきた。
想像したセンサーではなかった。
筋電図的なセンサーが感知し、介助される人を動かしているのだ。
であれば、センサー位置にもっと工夫が出来るし、もっと改善・回復していく人が増えるであろうと思う。
これは、今後実験を重ねる必要がある。
もちろん、現在ドイツやアメリカ等の病院やリハビリセンターに導入され、相当素晴らしい効果を上げているという。
まずは、そこに追い付けであり、短期間で追い越せとなる。
「明鏡塾」の役割は、この場面を見ても重要だと改めて感じた。
もちろん、介護や介助の現場でも「明鏡塾」のカリキュラムは必須だ。
■医師も薦める、武道家日野晃が教える医療従事者の為の「明鏡塾」
東京の体験セミナーは4月29日を予定しています。
定員は残り僅かです。