打たれ強い、とか、へこたれない、という気概というか、気持ちを持っているという事が、人間的に「強い」という事だろうと思う。
それ等があるから、何があっても自分として歩けるのだ。
しかし、この強さは育つものなのか、生来のものなのか、そこのところが分からない。
自分の事を振り返った時、よくある話のように幼稚園や小学生時代は、皆んなの中に入れなかった。
いわゆる人見知りという奴だろう。
幼稚園の頃は、叔母に毎朝幼稚園の門の前まで送ってもらい、門の中から先生が声を掛けてくれなければ入れなかった。
この光景は鮮明に覚えている。
そこから考えると、私の打たれ強さはここには無い。
小学生の頃も似たり寄ったりだ。
ただ、私自身が学校にも勉強にも興味が無かったので、学校を抜け出したり学校に行かずにさぼる事を覚えていた。
この行動は、もしかしたら打たれ強いという事の下地だったかもしれない。
と考えると、生来のものだろう。
しかし、それは特別なことでは無い。
その生来のものが発揮されるチャンスがあるかどうか、タイミングに巡り会えるかどうか、そんな事では無いかと思う。
今、生きているのだから、間違いなく誰しも絶対に強いのだ。
打たれ強いし、へこたれないのだ。
しかし、それを発揮させない要因を、これも誰しも持っているからだ。
それは、常識観だったり、固定観念だ。
常識観も固定観念そのものは持っていて当たり前だ。
ただ、それを自分で作り出す必要があるだけだ。
世間の風潮や、世間の流れに惑わされることなく、自分自身の独自の常識や固定観念を作り上げる必要があるのだ。
「打たれ強い」というのは、へこたれないという事だ。
もちろん、自分で決めたことをやり遂げようと、へこたれないのは当たり前の事だ。
しかし、世の中には、相当理不尽な事があるし出くわす。
そんな時に、「理不尽な事」という認識を持つ人は、その理不尽なことに対して、ある意味で敵対する。
もちろん、私もそうなるし、多分、多くの人よりも強いと思う。
しかし、そんなことをしても意味がない。
それは、世の中は「何でもあり」だからだ。
それは無秩序ということではなく、色々な人がいるのだから、色々な考え方があるからだ。
その人にとっては理不尽ではないのかもしれないのだ。
と私は考える。
そんなくだらないことにエネルギーを使いたくないのだ。
そこで私の思考としては「ま、ええか」だ。
これを言うには、へこたれない心の強さが必要だ。
いくら言葉として「ま、ええか」と言っても、また、そう思っても、それ等は思っているだけ、言っているだけだから、結局のところ、自分自身に大きなストレスとして残るのだ。
ここが、思っても考えても意味が無い、ということの根っこだ。
言葉の暴力という言い方もあるが、その言葉や風潮を盾にするのではなく、自分自身も強くなる必要があるだろう。
へこたれない、というのは、ここにこそ必要なのだ。
先日、家を持たない、家財道具を持たない他、一般的に言われる生活習慣に囚われない生き方をしている、どちらかと言うと若者達を紹介していた。
なるほど、「今だからこそ」のスタイルのようだ。
よく思い出せば、私も10代の頃は、家も部屋も持っていなかった。
全部「住み込み」という形式だった。
彼らと異なる点は、私は就職し使われているという立場だが、彼らは起業した社長だったり、学生だったりだ。
これは合理的だ。
何よりも、くだらないプライベートという考え方が薄くなるのが良い。
その事によって、自分自身の拘っていることや、枠は薄くなるかもしれないのも良い。
昔、ビルの洗い屋をやっていた事がある。
ある現場の昼休みに、良い天気だったから公園で同僚とお弁当を食べていた。
そこに、自分で作った木製の小さな小屋を引っ張っている、ホームレスのおっちゃんが来た。
「兄ちゃん、美味しそうやな」と声をかけてきた。
「おっちゃん、お腹減っているんか」と聞くと、「良いや、今食べたとこや」と世間話をし出した。
「ところで、兄ちゃん今の仕事儲かるんか」
「いや、人工ぶんや」
「そうか、わしは大体朝からお酒を2合ほど飲んで、夜はビール2,3本飲むやろ、それで10,000円くらい貯金出来るくらいかな」
「ええ〜〜、おっちゃん貯金あるんか」「
見せたろか」と言って、小屋の中に頭を突っ込んで通帳を引っ張り出して来た。
確か500万円ほど残っていた。
「俺等より、よっぽど金持ちやな」と驚いた事がある。
人生は、自分自身の価値観だけの問題だと、そのおっちゃんに教えて貰ったようなものだ。
その若者達が、次の世代のライフスタイルの一つに定着すれば、現在の「マイホーム」という幻想から、抜けでる人も増えるのではないかと思う。
面白い。
「共感できません」と意見をいう。
もちろん、それが良い。
しかし、そこに含まれるニュアンスを感じ取ると、意見の交換ではなく、単なる遮断が多い。
それは、その人の自由だから、そのことをとやかく言う権利は誰にもない。
もちろん、私にもない。
しかし、もう少しそのニュアンスを確かめていくと、いわゆる「おばちゃん」や「おっちゃん」は、「共感」と言う言葉は使わない。
それよりも、「ふ〜ん」とか「何を話しているの?」「それは違うわ」となると思う。
でも「共感」と使っているところに知識が見える。
もちろん、それが間違っているのではない。
前提として「人はそれぞれに違う」というところが見えないから、違和感を覚えるのだ。
先日の岡山ワークショップの打ち上げで、そんな話になった。
大方の人は「人はそれぞれに違う」と言うことを知っている。
しかし、どう知っているのかが問題だ。
言葉として、概念として知っているだけなのか、あるいは、体験的に知っていて、その体験から何かを導き出して知っているのかだ。
私は、自分自身の生き方を見直した時、人とは違う事を知っている。
同時に、であればAさんBさんCさんと、同じように高校や大学を出て、会社で働いているとしたら、同じなのかと言うと、それは違うだろう。
両親も家庭環境も、育った環境も全て違う。
と言う具合に考えを巡らした時、「人はそれぞれに違う」ということが、それこそ立体的に浮かんでくる。
しかし、大事なところはそこではない。
そのそれぞれに違う人を、自分自身は「尊重している」のか、という点だ。
と私は考えているし、そう生きている。
子供の頃は褒められた事がない。
「あかん、何してるんや」「これはあかん」「アホちゃうか」とにかく罵詈雑言の日々だった。
と書けば、何という環境なのか?と誰しも思うだろうが、それが普通なのだ。
普通というのは、日常だという事だ。
親にも褒められた事もない。
今なら、「愛されていない」等と意味不明、実体のない言葉が飛び交うのだろう。
そんな言葉は、本の中にも見かけた事がない時代だ。
じゃあ、愛されているって、どんな事?と突っ込む。
「言葉に出さなければ分からない」となるのだろう。
では、その愛とかいうものは、言葉に出せば成立するものなのか?というと、それでは駄目だとなるのだろう。
何れにしても、上っ面の、上っ滑りのものには興味はない。
罵詈雑言というのは、大方の場合、明確な対象があり、そこに発せられるものだ。
だから、「私に言っている」と体感出来る。
つまり、関係そのものが間違いなく有る、という事だ。
逆にいうと、その罵詈雑言は「その人」に向かわなければ発する事は出来ないのだ。
そこには、余程の覚悟がいる。
それは、その言葉を発することによって、必ず何かが起こるからだ。
何が起こるか分からない何かだ。
子供の頃の、子供の世界の出来事は感情も精神も鍛える為に有る。
そこをどう育って行くかで、打たれ強い心を持つ人間になるかどうかが決まるのではないかと思う。
ワークショプの打ち上げでは武道の話や、身体の話もあるが、大方は人生の話になる。
人生相談になることもある。
そうなると、ワークショップ中よりも、突っ込む時間になっているかもしれない。
会話はいくらでも出来るが、その言葉にその人の人生が見えない時、すかさず突っ込む。
「それ、どこで読んだの?自分の中から出てきた言葉か?」等と。
誰かの言葉と、自分の思い込みがごちゃ混ぜになっている話ほど聞き辛いものはない。
「今、俺はあなたと話しているのだから、自分の話をしてよ。でないと、時間が勿体無いからね」そんな話になるのは、寿命の話、限られた生命の話があるからだ。
もちろん、私自身が古希だと言うこともあり、「戯言を言うな。自分の人生だから、自分で物事を考え、自分で決めて歩け」と突っ込むのだ。
「こうしたら、こうなる」と言う方法はあるが、その前提として「気持ちが有るのか」が有る。
それをそうしたい、と言う気持ちが無いのに方法があっても、それが出来る筈もない。
逆に気持ちがあれば、方法が少しくらい間違っていても、何とかなるものなのだ。
それが、今回難関をクリアした高校生たちだ。
今時にしたら珍しく、気持ちが先に有る高校生だった。
ここで、私の中で整理できていない言葉が、「思う」と「気持ち」の違いだ。
何れ明確になるだろうと思うが。
岡山ワークショップを受講してくれたみなさん、ありがとうございました。
そして、お疲れさまでした。
何時ものことながら、あっという間にワークショップは終わった。
打ち上げ2次会は深夜1時30分くらいまで。
1年間会えないのだから仕方がないか。
毎年、この時間まで付き合う学校の先生が、よる年波には勝てないと1次会でお別れ。
そりゃそうだ、私が古希になっているのだから。
一般の人は朝は早い、仕事に支障が出るようでは困る。
岡山ワークショップも今年で10回、つまり、10年を迎えた。
この人口の少ない町で続けていくのは難しい。
芯になって動いてくれている人たちが、手を変え宣伝してくれているおかげだ。
主催者の藍ちゃんが、結婚・出産と多忙だった為、周りの人達がサポートしてくれたおかげでもある。
ここで、改めてワークショップの在り方や方向性を考えるのも、一つの節目を迎えた自覚が必要だろうとも思う。
岡山ワークショップの場合も、福岡と同様にダンサーや役者主体のワークショップとして始まった。
しかし、時代と共に、時間と共に、一般の方たちが増え、何とは無くワークそのものを変えていった。
もちろん、私自身の気持ちも動機も変化している。
今、一番私にピッタリのワークショップは沖縄だ。
そんな雰囲気が岡山でも作り出せないものか、そんな話で深夜1時30分にもなった。
もちろん、そのことと地域性がピッタリくるとは限らない。
だから、岡山の地域性にあったワークショップになるのが一番良い。
中日終了。
今日は、毎年受講してくれる高校のダンス部が来た。
毎年見ているが、今年の高校生は一味違った。
大人達、中でも常連も苦戦するコンタクトを、実現する高1高2の男性が出たのだ。
また、昨年受講してくれ、お兄ちゃんが相撲部屋に入り現在序二段になった。
その弟が中学1年生になったので、受講した。
この子が、常連も出来ないコンタクトを実現した。
恐ろしきミラーニューロンの力だ。
そんなエピソードもあった、中身の濃い中日だった。
途中の休憩の時、近くで即興演劇のワークショップを開いていた、今井純さんを一瞬陣中見舞い、というか一瞬お見舞いした。
明日は最終日。
思い切り汗をかこう。
今日から岡山でのワークショップが始まった。
冒頭で主催者が、今年で10年を迎えたという話をし、来年はもっと仲間が増えるように、全員で呼びかけて下さい、と拍手を受けていた。
初日は、ほとんどが常連の方たちだった。
ガタイの良い青年たち4人が初受講。
こういう人達がいると、自ずとワークが変わる。
それでも、女性やお年寄りは楽しんでくれていた。
表現塾は、沖縄を追い付き追い越せの気分で、延々と「目で聴く」を行った。
あちこちで煮詰まり、首をかしげる風景になった。
ま、それは仕方がない。
東京・明鏡塾の理学療法士と大阪・明鏡塾の柔整師が初対面。
切磋琢磨を誓い合っていた。
明日は日曜日で、人数が相当増えるそうだ。
それはそれで楽しみだが、余り多すぎると散漫になるのを心配する。
今、即興演劇の今井純さんも岡山で、しかもそう離れていないところでワークショップを展開中だ。
「会いたいね」とお互いに思っているが、終了の時間が遅く会えそうもない。