やはり、身体を繋げて使えれば、最小エネルギーで力が出る。
身体を繋げて使う、というのは、全神経を繋がる要素に集中すれば良い。
だから前段階で、繋がる実感が必要だ。
そして、その為には、繋げる使い方をしていなければならない。
ただ、使い方をしても繋がらない。
そこに必要なのは、繋がっている部位に対して感覚が働いているかどうかだ。
感覚するというのは、文字通りのことで「感覚するだけ」でよい。
もちろん、それらを引っ張り出して練習を重ねるのだが、練習の題材が曲者で、つまり、題材が組み稽古として作ってあるから、そこで力みが出たり、逆に緩んでいて何も感じることが出来ないという事も起こる。
ドラムが向いているのか、その世界が向いているのか、それは分からないが、とにかく、ドラムを仕事にして良かった。
全部、自分一人の力で、その世界にアピールし実力を上げて行かなければ、次のチャンスは無かった。
どこそこの学校を卒業した「それが何?どうしたんや」
芸大であろうが、バークリーであろうが関係がない。
「何をどう叩けるのか」それだけが基準だからだ。
しかし、大方の人は誰かに習っていた。
私のようにボーヤという立場から、独学でレギュラーになっていくのは皆無だ。
歩合制の営業マンと同じで、給料を沢山欲しければ上手になるしかないし、レベルが上のバンドに行ってオーディションを受け、雇ってもらうしか無いのだ。
まさに勝ち抜きドラム合戦なのだ。
もちろん、他の楽器も同じだ。
こういった競争社会が私にとっては好都合だった。
明石市の市長が暴言、感情的な、、、、というような記事が賛否両論起こっている。
いや、メディアが視聴率を稼ぐ為に、発言を切り取って流しているからだ。
もちろん、これは当たり前のことだ。
メディアにとって都合の良いところを「切り取って流す」のは、情報操作として当たり前だ。
それに踊らされている人達が、賛否両論というよりも、感情的否定、感情的は悪い側へどんどん流れ込んで行っているだけだ。
その昔、感情的にならないで、とロボットのような表情のない人によく言われた。
そういった方向で育って来た人は、子育てノイローゼに陥るのでないか、あるいは、虐待側へ走るのではないか、とも考えられる。
赤ちゃんや幼児は感情を制御できないし、感情そのものだからだ。
それをコントロールできない親、あるいは、それを当たり前だと思えない親がパニックになるのかも知れない。
また、巷で感情的な人に対して対処出来ない、反応できない、あるいは、どうして感情的になっているのかを理解できない人が増えているのだろう。
そんな人達は、理知的とか知性的な人だと思っているのかは分からないが、単にロボット化された人間もどきだ。
しかし、「思い立ったら」だから最短で、では無い。
思い立つ何かが必要だ。
人は、その「何か」を引き寄せるのか、湧き上がらせるのか、あるいは、作り出してしまうのか、そのどれかは分からないが、とにかくそうならなければ、本当には動かない。
本当に、というのは、義務でもなければ、意識的に強制されたものでは無いという事だ。
「本当に」だから、それを実現させる為のどんなことでも消化させる力があるのだ。
そして、その「どんなことでも」に気付いていけるのだ。
これが義務や強制的なものであれば、まずそんな事が起こらない。
だから、言われなければ分からないから、一つの行動に穴があちこちに出来るのだ。
言われなければ分からないとしたら、言われたことしか分からないということだ。
だから、そこに連関性も全体性も見いだす事が出来ないのだ。
当時の私にとっての「何か」は、ジョン・コルトレーンの音だった。
ファラオ・サンダースと2本のテナーサックスが作り出している音、それを支える情熱が私にとっての「何か」だった。
それが私に火をつけてくれたのだ。
身体が熱くなって、ジャズ喫茶を飛び出したのを覚えている。
店を飛び出し「とにかく練習をやろう!」と全身が止まらなくなったのだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ
「練習をしなければ」と思い立つと、居ても立っても居られない状態になる。
思い立つと、とにかく行動をしている、という私だ。
「練習をしよう」と思い、住んでいたアパートを出て、知り合いの山の家に篭った時、それがこの写真だ。
トレーニングセットを担ぎ、山で納得するまで1週間程だったか過ごした。
「1日何時間位練習をする?」バンドボーイだった頃、バンドボーイ仲間での会話だ。
3時間だ、4時間だと、適当なことを言い合う。
それぞれがライバルだから、本当のことなど言う筈もない。
私が「ジャズで食べていこう」と決めた頃、大阪の難波辺りには、相当数キャバレーやクラブ、アルサロ、ダンスホールが立ち並んでいた。
そこには、必ずフルバンドやコンボが2つ以上入っていたので、ボーヤだけでも数十人いた。
近大の学生が多かったが、私のようなプロのボーヤも沢山いた。
多分、日本が一番活気のあった時期だったのではないかと思う。
そんな中で、一番短期間でレギュラーの席を取ったのは私だった。
ボーヤになって8ヶ月、つまり、ドラムを始めて8ヶ月でコンボのレギュラードラマーになっていたのだ。
これは「思い立ったら即行動」の性格のおかげだと思う。
もちろん、完璧に何もかもがやれていたのではない。
ソツなく演奏出来た、と言う程度だ。
キャバレーに入っているバンドだから、ジャズから演歌まで、そして毎日入るダンスや歌手のショーの伴奏がある。
何よりも、音楽など聞きたくない大半の客に聞かせる、というバンドの立場が、私の「絶対に聞かせてやる」と言う気合を育んでくれたのだ。
その意味で、アウエーというのは、有難い場所なのだ。
思い通りにならない、だから、思い通りにならせてやる!が育つのだ。
71歳ドラムソロコンサートが、後2か月チョイと近づいて来ている。
友人弟子たちが宣伝活動を繰り広げてくれている。
ワークショップを受講してくれている人達も購入してくれている。
チケット発売から3週間。
客席の1/3は埋まった。
私を知る人が応援してくれているのがよく分かる。
何とも嬉しい話だ。
最近では70歳といっても、昔のような年寄りは少ない。
その意味で、ドラムを1時間叩いても、何ら不思議ではない、と思う。
ただ、チンタラ1時間もたすのではない。
怒涛の1時間だ。
現役時代、「お前らの1年分の汗をかいてやるから、それを見に来い!」というようなキャッチコピーを出したことがある。
そうだ、私のドラムはジャズでもなければロックでもない。
もしかしたら音楽でもない。
楽器を使っているから「音楽」というレッテルの中に入るのかもしれない。
その癖、クラシックの音楽家と知り合いは多い。
私が音楽であれば、それは音楽だ。
こんな切り口は世間には通らない。
世間はメディアや教育の垂れ流す情報を鵜呑みに育っているからだ。
現役当時は、ロックのコンサートやフォークのコンサートに乱入(ジャンルを偽って出演)し、観客達から大ブーイングを何度も受けた。
しかし、演奏が終わった時のアンコール拍手に変わるのが快感だった。
その反対に、客が一人もいなくなったこともある。
それが怒涛だ。
そして「私自身の音」だ。
そんな現役時代と、今回のコンサートは同じだ。
クオリティはむしろ高くなっている。
若い頃は情熱だけで突っ走ってきたが、その情熱がなんら衰えていないからだ。
大阪に早く着いたので、久しぶりに友人と「串カツで一杯」を天王寺で堪能した。
串カツ専門店は、殆どいった事が無い。
貧乏性で足が向かないのだ。
で、友人も何年かぶりというので行ってみた。
久しぶりなのだが、明日は「大阪・明鏡塾」なので早めに切り上げた。
「明鏡塾」の特徴は、一つのワークで何に気付いて欲しいかがあるが、その「何に」が、受講生のこなし方を見ていて変更していくことだ。
だから、ワークがどんどん高度になっていくのだ。
特に大阪は、自営の方が多く、それだけ色々な意味での経験が豊富という事だ。
だから、受講生が求めていること自体のレベルが高い。
だから、余計に「明鏡塾」でいう「関係」に興味を示すのだ。
明日は、相当高度な事を求めるワークに取り組んでみる。
多分、世界中でこんな要求はないだろう、というものだ。