今日の稽古に、先日のJOCジュニアオリンピックカップ(カデット)で惜しくも2位になった選手が、身体のケアに来ていた。
ケアの後、テーマを決め寝技に挑戦。
40歳を超えた人達は、入れ替わり立ち替わりで相手をしなければ、若い体力についていけない。
じっくり一つの事に取り組むと、色々アイディアが湧いて来ることを体感したようだ。
「どうすれば良いのか」ではなく、「アイディアが湧くように」
つまり、自分で感覚出来るように、感覚と共に動けるようにということだ。
昼間に書いた「何に気づいて、何が出来るか」を即座に出来るようにということだ。
もちろん、基本的なことは大事だが、実は、これも基本的な考え方なのだ。
私に何が出来るのか?
そんな事を考えとして上がって来るようになったのは、「見習い」という形態のおかげだと思う。
どんな仕事でも、今のように「これと、これをやるように」という指示の元に始まらない。
だから「見習い」なのだ。
先輩達の仕事を観察する事で、今、それぞれの現場では何を要求されているのか、自分は何が出来るのか、そんな事を言葉がないから考えられるようになったのだろうと思う。
何かを指示されても、これらの事が既に頭に入っていれば、指示されている事の周辺や、その流れを理解する事が出来る。
だから、仕事が早い。
もちろん、演奏でも同じだ。
「その曲」を演奏するのだが、そこにある状況や、前後の曲の流れ等々が、自然と理解できて「その曲」になる。
もちろん、その曲自体も、そういった状況を持ち誕生してきている。
それらが、「生きている」を証明するものだ。
しかし、指示された事だけが自分のやる事だ、としか分からなければ、その指示された事を生かす事は出来ない。
例えば、掃除一つにしても同じだ。
どこからどう掃除するのが、全体にとって合理的かを考えられるから掃除だ。
単に掃除機を動かすのが掃除なのではない。
というよりも、全てをそう考える事が出来る事が、自分を活かすという事だ。
自分が考え、自分が行動している。
それ以外に自分を活かすなどはない。
そういえば、人の細胞は入れ替わるのだ。
もちろん、それは私の意見ではない。
医学的な見解だ。
であれば、当然10年前の、つまり還暦の私とは全く違う筈だ。
違う人間になっている筈だ。
という見解がある。
還暦の時、その25年前の現役を退いた時の落とし前を付ける為にドラムソロを行なった。
今回は古希、それから10年だ。
武道に関しては、私の進んでいる方向や、そこで培った技術は、絶対に間違っていなかったと確信を持った10年だ。
であれば、その10年で磨いた感性や身体は「ほんまか?」と自分に突きつける。
10年前とは、全く違う「本当か?」そこへの挑戦だ。
もちろん、今練習をして、ということではない。
この10年で何が削がれ何が磨かれたのか。
そこを見極めるのが、10年後のドラムソロだ。
身体は磨かれていると私はいう。
感性が磨かれていると私はいう。
それを武道の世界では証明してきた。
では音楽、いやドラムではどうなのか?
その答えが4月12日と6月1日だ。
答えであり、スタートだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ
世間というところは、誰にとっても数は少ないが話の通じる人と、大多数の話の通じない人も混在している。
だから、話の通じる人としか交わったことのない人は、ストレスだらけになるだろう。
その意味で、若い時から色々な人を知り、自分でその事を認識する必要があるのだ。
「世の中には話の通じない人もいるよ」と聞かされても、その意味は実際として何も分からない。
そして、その言葉は聞いて知るものではなく、自分の体験として体感する必要があるのだ。
そうすると、顔を見ただけで、この人とは話は通じないと分かる。
分かっていると、そこでストレスは発生しない。
もちろん、ここもややこしい構図になっている。
自分とは通じない人でも、誰かとは通じる。
その通じた誰かも、他の誰かとは通じないという具合だ。
もちろん、これは良し悪しの問題ではない。
「人は違う」のだ。
だから、気持ちを切り替えたり、考え方を切り替えたりグレードを上げたりする必要がある。
人間関係は難しい、というのは、そういった能力を培って来なかった人のセリフだ。
もちろん、難しいのには変わりはないが、人間関係で、自分はどういう立場に立ちたいのかで、それは変わる。
今日の武道の稽古は、基本中の基本をした。
中段突きに対して、自分の側に呼び込むのだ。
これなども、「中段突き」と決めて入るが、10人寄れば10人ともその動きは違う。
それを、一つの決められた動きだけで捌くのだ。
最初は自分の身体がピクッと反応したり、反射するのが分かる。
それが無くなるまで、稽古を積んで行くのだ。
そうすると、どんな突きが来てもその一つの捌きだけで呼び込めるようになる。
人間関係の能力とはそれと同じなのだ。
昨日のTVの提案を聞いている時、ふと思った事がある。
人は自分の知識の範疇、常識の範疇にないものと出くわした時、「インチキ・やらせ・トリック」だと反応する事だ。
武道での技に対する反応など、その最たるものだ。
その癖、詐欺に引っかかったり、世間にある色々な騙しには抵抗なく引っ掛かる。
この違いはどういうことか?と思った。
引っ掛かるのは、常識の範疇をうまく使っているからだろうし、常識で考えられる範疇スレスレのトリックだからだろう。
これは、何時も書いているいるように、欲と絡んでいるからだ。
先日、一旦停止無視でパトカーに乗せられた。そこで警官が注意して欲しいという事で、「お金が戻ってくるという詐欺が、田辺でも被害者が出ているから」というものだ。
お金という欲が、引っ掛かる元だ。
テーブルマジックの達人級の技を見て「インチキだ」とは誰も言わないのは、技術だという認識があるからだ。
スポーツの世界でも同じだ。
金メダルを取る人の身体能力をインチキだとは言わない。
では、どうして武道の技では「インチキだ・やらせだ」と取る人がいるのだろうか。
と書いていて思うのは、武道をそもそも認識している人が少ないから、あるいは、殆どいないからだろう。
スポーツをインターハイレベルでもやっている人は、そのレベルがあるから「インチキとかトリック」という見方はしない。
それは、私自身が様々なスポーツ選手に頼まれて指導する事があるから分かる。
先日、JOCジュニアオリンピックの日本での大会で2位になった選手も、小学生の頃から指導に一役かっている。
競輪選手もそうだ。現パラリンピックの強化コーチも、現役のトライアスロン時代は指導した。
その意味で武道は凄い、ということではなく、その人達は「使える何かがある」と感じ取った人達だ。
海外でも「武道のインチキ」について取材を受けた。
私は「見方は人それぞれだから興味はない」と答えた。
本音のところで、人がどう思うかはどうだっていいからだ。
私は、インチキだという人からお金を貰って生活しているのでもなければ、生きさせて貰っているのでもないからだ。
「やらせでしょう」と聞かれれば「そうですよ」と答える。
そこで、どんな仕組みがあり、結果どういう状態になる、というような事を説明しても、理解出来ないのが手に取るように分かるからだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ
「大阪・明鏡塾2期」が終わった。
最後は、少し難しい課題を出した。
「患者さんの笑顔をどうしてもみたい」という受講生は熱が入る。
「ああだ、こうだ」と思案しながら、ワークを続ける。
このああだ、こうだの思案や工夫が自分自身の宝物だ。
それが現場でのアクシデントもクリアさせるのだ。
今期が初めての香川からの柔整師も、「何も分かりませんが、確かに日常の現場が変わりました」と報告してくれている。
分かるような事は、成長を妨げる。
もちろん、これは現代の風潮の真逆の発想だ。
大概の場合、世の中の流れは間違っている。
だから迎合する必要も、流されることも無い。
しっかり、自分を創ったものだけが、生き抜けるのだ。
もちろん、「東京・明鏡塾」の受講生も同じく「患者さんの笑顔をどうしてもみたい」という受講生ばかりだ。
だから、ワークの時間は笑いが溢れている。
もはや、深刻になる人はいない。
深刻になっても意味が無い、ということを何期も受講することで、骨身に染み込んだからだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ
「おっと〜!」妻との話に夢中になっていた。
トンネルを抜けてバックミラーを見ると、白バイが赤色灯を点灯する直前だった。
オートマなのでエンジンブレーキに頭が切り変わらず、ブレーキペダルを踏み減速。
といっても一般道なので、高速道路程は出ていない。
しかし、罰金はもったいない。
バックミラーを見ると、白バイがUターンする姿が見えた。
多分、速度超過で走る距離が足りなかったのだろう。
うっかり話し込んで、速度の出る道を走るのは危ないで。
しかし、やはり一般道路で追い越し車線に入ろうとして車の流れを見る。
一台の軽バンが走ってくるが変だ。
別段蛇行しているわけではないが変だ。
だから、その車をやり過ごそうと見送ると、スマホでメールを打っていたのだ。
「このボケが!」と思ったが阿保らしいからやめた。
まだ、こんなアホがいるのかとあきれるが、いるのだから仕方がない。
明日は、大阪明鏡塾の体験セミナーだ。
今回の熊野は修理は出来なかったが、ドラムの練習はたっぷり出来た。
セッティングも変えたが、割合手もスティックに馴染んで来たようだ。
エンジンのかけ方も覚醒しつつある。
もちろん、本番になれば全く違うモードになるから、この辺りの事はさほど役に立たないのだ。
ま、気休めだ。
気休めでも、コントロール出来るのと出来ないのとでは気分が違う。
今日が終わるまで、寝るまではドラムのモードで行く。
チケットの伸びが止まっています。
お誘いあわせの上、足を運んでくださいね。
ここまでやるか!日野晃
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ