今日の稽古は、この間来ていたスペイン人が来てくれていた。
私のやっている事に???で、4年くらいは来てくれている。
スペイン人には珍しく口数も少なくおとなしい。
身体もかなり素直な方だ。
それだけに稽古ははかどった。
私をスペインに呼びたいという。
もうええやろ、という感じだ。
もう一人、少し変わった女性が来ていた。
右半身麻痺の女性だ。
何でも9才の頃の病気が原因で、そうなったという。
それでもめげずにスキーや水泳をしているという。
スキーを滑るのに、7,8年はかかったそうだ。
その気力や粘り強さは、見習わなければダメだ。
様子を見ていて、動きのアドバイスや感覚の確認をした。
「足は麻痺をして分からないのですか」「いいえ動かせます」とおっしゃる。
では、という事で確認のチェックを繰り返した。
「それは、違いますよ、動かせてないですよ」
「ええ〜動かせてないのですか」
当人にとっては、足が動いているから「動かしているものだ」と誤解しているのだ。
そこを細かくチェックしていく事で、足の親指までたどり着いた。
「では、ここは感じますか?押してください」「いいえ、違います」それを繰り返し、数分後には足の指全部を知覚できた。
「では歩いてみてください」右足首から足がぶら下がっている感じだ。
そこから、2時間後、殆ど足の支障が気にならないようになった。
その間、その女性はずっと私の指示に従って、歩く訓練をしていた。
そこから更に2時間後。最初からビデオを撮っていたので、最後のビデオを見せた。
「これ本当ですか?普通に歩いているように見えます」「でしょう、本当に身体は素晴らしいのですよ、それを妨げているのは固定観念や思い込みなのです」
「感じるって凄いでしょう」
「みなさん、感じましょう!」と最後に、稽古をしている皆んなに声をかけてくれた。
50年間感じなかった足を、今日感じられたのだ。
足が痛いという事も、足が疲れたという事も、踵が痛いという事も、今日この時間に感じたのだ。
「これはあなたの足でしょう、自分のものにしてくださいね」
何か魔法を施したのではない。
言葉で誘導し、「明鏡塾」で教えるストレッチをし、あと少しあちこちを触れて感じただけなのだ。
改めて「身体は素晴らしい」と感じた。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ
東京と聞くだけで何故か寒い感じがする。
もちろん、熊野よりも圧倒的に暖かいのだが。
今回の“古希”1時間ぶっ叩きドラムソロコンサートは、10年前よりも心身共に柔軟になっているから、そこから出る「力・元気」を感じ取って欲しい、と言っている。
しかし、そんなことは当たり前の事だ。
普通に考えて一つの事を追求したとしたら、それに関わる時間は相当長い。
その追求するものの奥行きが浅ければ、それだけ時間は短くてすむ。
とした時に、10年前に追求していたことの、何かしらの答えが身体に出始めている筈だ。
そうなると、当然、10年前よりも心身共に柔軟になっている筈だ。
そこを考えずに、単純に「人は老化する」と決めつけているところに問題があるのだ。
昨日、10数年振りに知人から電話を頂いた。
大阪の公演の案内を出したからだ。
その人は、パンに拘り本当に美味しいパン作りをしてきた。
ホテルを始め色々なところから注文が来るが、全部パン作りの邪魔だと断っていた。
10数年前、病に倒れたと聞いた。
それっきり連絡が途切れてしまっていたのだ。
昨日の電話では、パン屋さんは息子さん達に譲り、自分はベーカリーカフェをオープンしたという。
80歳近い年齢だ。
写真を見るとおしゃれなカフェだ。
病に倒れたのは、多分今の私の年齢に近かったのではないかと思う。
そこからカフェのオープンへ持っていったのだ。
元気で力強い声に嬉しくなった。
「老化」というのは、何もしていない人のものであって、このパン屋さんや世間に沢山いる、「やることのある」高齢者に老化はないのだ。
70年代と書いたからかもしれないが、久しぶりに当時のレコードを鳴らした。
アーチー・シップというテナーの「ワン・フォオ・ザ・トレーン」。
このレコードを、梅田にあった「インタープレイ8」で初めて聴いた。
その時、何故か涙が出た。
もちろん、意味も何も分からない。
フリージャズだから、スタンダードの曲のようにメロディがあるわけでもない。
しかし、何か悲しげなものが、私を支配したからだ。
後から知った事だが、アーチー・シップが、亡きコルトレーンに捧げた演奏だった。
本当に、コルトレーンを敬愛していたのだと、その音から分かった。
つまり、ミュージシャンの心情に、スタンダードやフリーだという、垣根は無いということだ。
もちろん、フリーというだけで毛嫌いする人は、そういった入り口さえ入れないということだ。
当たり前だが、それは自由だ。
人それぞれの勝手だ。
ただ、私はそのレコードから、そう感じたというだけのものだ。
音を出させるのは気持ちだ。
その意味でも、フリーもスタンダードも無い。
その証拠に、お亡くなりになったピアノの田中武久さんが、一度私のドラムソロに乱入して、ピアノを弾きまくってくれたことがある。
田中さん曰く「フリーもスタンダードもないで」だった。
今日は、ブラシでの練習をしてみた。
私のブラシでの演奏は、スティックで叩いているような迫力がある。
しかし、これは間違いだ。
ブラシの良さが出ていない。
スティック並みの迫力なら、スティックで叩いた方が良いに決まっている。
この年になって気付いた。
で切り替えた。
これがスピードも出て中々良い。
バスドラムの音が小気味よく聞こえる。
今日は、40分叩いてみた。
いけるで!!
コンサート迄後2週間を切っています。
席がどんどん埋まって来ていますが、まだ50席は大丈夫です。
70年代は、色々なジャンルの人と今でいうコラボをやった。
もちろん、真剣勝負だ。といっても、今の人には何一つ想像出来ないだろうと思う。
「音楽で一体何が真剣勝負なのか」
自分の持っている音楽性、技術、精神、それらを総動員させ、お互いが出す音や動きに反応し、新たな「何か」をその舞台で創り上げる。
あるいは、その場でしか出来ないことを見せる、聴かせる そんな事だ。
もちろん、それらは言葉として現代でもあるだろう。
しかし、その当時の舞台には、お互いに「もし、くだらない音を出すとお前を壊すぞ!」という気迫が大前提としてあった。
もちろん、それは言葉だけのもの、雰囲気だけのものではない。
お互いに本気なのだ。
実際に、ライブやコンサートの舞台を成立させなくしたことは何度となくある。
その意味で「潰しのアキラ」と呼ばれていた。
そういう真剣勝負なのだ。
もちろん、観客もその緊張感を求めていたのだ。
その緊迫感を聴きに、あるいは見に沢山の人がきてくれた。
だから、「金返せ!」「こいつにギャラを払うな!」というヤジはいくらでも飛んだ。
そんな観客が、私を支えてくれている舞台だから、共演者が緊張のあまり、本番前にお酒を飲み過ぎ、勝手に壊れたこともあった。
アウエーの舞台で私はビールの空き缶を集中的に投げつけられたことも、一升瓶を投げられた事もある。
そんな場や舞台で、ドラムソロをし最後にアンコールを取るのが快感だった。
共演者と、そして観客とは、常に対峙して勝負をしていたのだ。
そんな緊張感の持つ舞台を息子と出来れば最高だ。
https://hinobudo.wixsite.com/drumsolo
もしかしたら、スタミナの心配は無くなったかもしれない。
もちろん、実際に1時間以上叩いたのではない。
手応えがそう感じ取っているのだ。
思えば、いわゆる練習と逆行して、いかに小さな音を出すかに専念した練習だった。
スティックを振り上げずに、舐めるように、這うように使い、小さな音を目指した。
私にすれば賭けだ。
もし、それが失敗したら、本番では1時間はおろか、30分は持たないだろうからだ。
いくら根性を振り絞っても、こればかりは無理だ。
マラソンランナーがリタイアする感じになるからだ。
しかし、これもやってみなければ分からない。
もちろん、この時点で従来の練習をしていて、「ダメだ」と感じたら、即何かに変更する。
それは何かは分からない。
そんな柔軟性を、私は持っているからギリギリまで追い込めるのだ。
しかし、それもやってみなければ分からないのだ。
だが、一つ言える事は、人という生命体は、そんなに弱いものでは無い。
つまり、環境や状況に対応できない生物ではないのだ。
現在生きているということは、地球環境の変化の中で生き延びてきている強さがあるということだ。
絶滅した種のいかに多い事か。
そんな事を考えてみると、人は強い生物だと言えるのだ。
強く生きるのか、弱く生きるのか、それは自分次第ということだ。
それは、野生の動物のような環境で私達人間は生きているのではなく、自分が選択できるという状況を持っているからだ。
生命は強い、ということをこのコンサートでは表現する。
大方の人が「あり得ない」というからだ。
あり得る、それは私だけではなく、全員あり得るということなのだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ
1960年代学生運動が世界的に吹き荒れた。
日本でも同じように学生デモが行われた。
芸術でも同じ風潮だった。
「どうして、これでなければ駄目なのか」
芸術に限って言えば、それが芸術家のモチベーションだからだ。
だから、色々な試みがあった。
そういった活動は現代とは比べようもない。
単なる無茶苦茶も山ほどあった。
当時のあるフォークのコンサートで、最初から最後まで「あ〜〜〜〜」と絶叫し続けている奴もいた。
何でもありなのだ。
その何でも有りが淘汰され、何かが残っていく。
そういった事の繰り返しが行われていた時期だ。
しかし、私はその中でふと疑問に感じた事がある。
それは、その試み自体が形式の変化、あるいは、変革であって、その本質に対するものでは無いのではないか、というところだ。
確かに形式は変えやすいものもある。
例えば、ピアノは電子ピアノに、というのも形式の変化だ。
それは調性音楽を無調性音楽へのものも変化だ。
何時も書いているように、形式は内容があって初めて出来るものであって、形式そのものをいじくるものではないのだ。
内容が形式を上回った時に感動が生まれるものだからだ。
この時期は、こういったところには目が向いていなかった。
それは、今でも同じだ。
私は、その内容に目を向けた。
内容に目を向けるということは、私自身の内なる欲求に目を向けるということだ。
私にとっては、そんな時期だった。
今日はドラムに座り、本番のシュミレーションをした。
といっても、約半分の30分程だが。
問題は、スティックを持つ手のスタミナだ。
これは、行けそうな感じがする。
次に、インスピレーションだが、これもいける。
実際は、もっと緊張するから、余計に出てくる。
大方の人は、緊張すると真っ白になるというが、それは間違った緊張だ。
演奏に集中している緊張感は、どんどんイメージを湧かせてくれるのだ。
イメージが湧かない時の為に、モチーフはいくつかは必要だと思うが、それはギリギリまで追い込んだら、それも湧いて来るだろう。
今週に入って、集中的にドラムを練習しているが、そこで気付いたのは、練習を始める前に、身体を暖めておく必要があることだ。
現役の頃は、若かったからいきなり本番でも、身体は反応したが、その意味では年齢相応の対応をしなければ駄目だ。
一度、思い切り息が切れる程暴れてからの練習が良い。
身体の力みが無くなるからでもある。
こんなことも、やってみなければ分からない。
事前に、練習前はウオーミングアップが必要だと知っていたとしても、どの程度やらなければいけないのかは分からない。
自分の身体の調子は、机上で読み取ることが出来ないからだ。
大阪公演まで16日になった。
後80席。
金曜日の午後7時だから、大阪近郊の人しか間に合わないが、何とか間に合う人は是非体感しに来てください。
日本の帯を作る職人さん達。
帯匠山口源兵衛さんは、「見えないモノの番人」とおっしゃっていた。
もちろん、帯は見えるものだが、そこに見えないものが見えなければ駄目だとおっしゃる。
その帯作りに関わる多くの職人さん達。
その職人さんたちの仕事ぶりが興味深いというか、「これだろう」だ。
何よりも、その職人さんたちの手が美しい。
そのモノに触れているからだ。
手がきちんと働いている、だから美しいのだ。
それは、料理人であっても、大工さんであっても同じだ。
その道を究めて行こうとする人で、手を使う分野の人は美しい。
それこそ「見えないモノに触れている」からだろうと思う。
素材というモノに触れているのではなく、その素材そのものの生命に触れているのかもしれない。
私は自分の手に違和感を持つ。
もちろん、何かをしている時ではなく、ふとした時に自分の手をみたら、その武骨さに腹が立つ。
それこそ、金づちで叩き壊してやろうかとさえ思う。
人工的な手なのだ。
それが許せないのだ。
何時になれば、自然としての身体に復活するのか。
日々そんな事も考える。
ドラムコンサートも音を出す、ドラムを叩くからだ。
しかし、その奥にある、音の根源に触れて欲しい。
頭で聴くのではなく、、、、
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ