大阪へ発つ前に最終リハを行った。
やる度に変更する。
という具合に煮詰めていくのだ。
もちろん、明日のリハーサルでも変更をするだろう。
客席を見て、館内の雰囲気を感じて、そこからまた変更する。
というよりも、変更してしまうのだ。
この場合は、ギリギリまで「ま、ええか」は無い。
そういえば以前、ダンスの舞台を作った時、本当に開場5分前まで駄目だしをしていた。
切羽詰まれば何かが生み出される。
それが普通なのだが、残念ながら切羽詰まらなかったのだ。
一般の人は、「そんなことあるのか?」と思うだろうが、一般の人自身も切羽詰まった事がないだろう。
自分勝手に追い込まれることはあるだろうが、外的な要因、例えば、開演時間、作品の中身そのものから追い込まれる事はない。
それだけ歪なのだ。
明日は、多分本番前までに、本番以上の時間演奏しているだろう、
息子はかなり良い感じに仕上がった。
バトルのところもうまくいった。
後は劇場でのリハだ。
場所が変わると体感覚は全て変わる。
それに合わさなければならない。
そこに時間が必要なのだ。
跳ね返ってくる音、吸収されてしまう音、雰囲気。
何もかもが身体に影響を与える。
そこに照明が加わることで、つまり、温度と色が入るとどんどん変わる。
その一番変わった状態を、普段だとすることに時間が必要なのだ。
密度の濃い練習や、演奏に対する要求。
どれもこれも難しい。
それは、「表現されているのか」そのものだからだ。
自分はこうしたい、だけなら、これ程楽な事はない。
そうではなく、「観客に」だから、全く違う要素が必要なのだ。
演奏技術とは、全く別の要素だ。
2日後の大阪公演には、バレエの先生方も来る。
「見せる」とは、を表現するので楽しみにしてくれているのだ。