ジャズにはビート、ビートがジャズ、ドライブがジャズ、色々と形容詞はある。
私は最初から「時間というのは何だ?」という疑問をもっていた。
つまり、それを発展させ音楽でいう拍子に対して懐疑的であり、それらを取っ払えという考え方だった。
だから、いわゆる前衛ジャズだと言われていた。
私は前衛でなければ意味は無い、と考えていたから、完全にその世界や、常識的な世界とは対立していた。
正確に演奏するというのは、時間に対してのものだ。
私はそれが気に食わなかったということだ。
それが発展していき、今演奏している形になったのだ。
もちろん、常に周りからは白い目で見られていた。
それが快感でもあった。
「お前らとは違う」明らかだった。
当然、前に書いた「承認欲求」などある筈もないのだ。
もう1時間ちょいで明日になる。コンサートだ。
面白いことに、直前になって怪我をする人、病気になりキャンセルになった人も出た。
残念だが仕方がない。
普段なら、「では次の機会に」と言えるのだが、残念ながら次はない。
「残念でした、では来世で」
当日券も空席もありますよ!
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ
「ただのタイコが奏者の生命によって沸き上がる感動の波になる。涙が頬をつたい、興奮が腹から沸き上がり、音と音の合間に先生の研ぎ澄まされた気を感じる。体が自然とリズムをとり動き出す。わ〜楽しい‼最高の感覚だった。ああ、自分は何をやってるんや!!違う‼今気がついてよかった。何のために生きるのか、一回こっのきりの人生だ。さあ進もう!!思春期の息子、今朝ポツリ「興味ないと思ったけど結構よかった。」とニコり。」
「限界は考える必要ないな!と、確信。20年後の自分の姿として一つの目標が見えた。感動を有難うございました。」
単なるドラムソロと、和太鼓との共演でしかない。
しかし、それはレッテルの耳、レッテルの感性しか持ち合わせていない人の話だ。
大阪公演を聞きにきてくれた人の何割かは、東京公演にレピートしてくれている。
しかも、遠く沖縄や九州、もちろん大阪の人達もいる。
逆に東京から大阪に来てくれた人も、東京公演を予約してくれている。
人が本気で時を過ごすと、それは他の人に伝染る。
その結果が、冒頭の感想になったのだ。
あなた自身がそう生きると、あなたの周りに伝染し、無条件で美しくそして素晴らしい気付きが発生するのだ。
言葉で説明しなければ伝わらないようなものではなく、無条件でその人に響くのだ。
みんなにそうなって欲しい。
それがコンサートの通奏低音だ。
身体で聴いて欲しい。
そうするとこころが震えだし、垣根は全部幻想だと分かるだろう。
明日!!
まだ空席がありますよ!!後1日、明後日の6月1日はコンサートだ。
熊野の道場で気づいた事がある。
それをコンサートで試して見ようと思っている。
色々なことをやってきたが、これだけは無い。
だから、成功するのか失敗するのかは分からない。
やってみなければ分からないということだ。
確かに腕の調子は良い。
これは明日、もっと調子が上がるように別の訓練だ。
ウォーミングアップは、肘打ちの胸骨操作に限る。
これと、手首の脱力で、演奏する体制は完璧だ。
そういえば、数年前まだジュネーブのインターナショナル・バレエカンパニーで踊っていたゆうちゃんが、ステージ前に腕回しをしておくと、スタミナが切れないといっていた。
これも付け足しておこう。
明日1日あるので、もう少し演奏で工夫が出来るところがないかの確認をしよう。
役者さん達もダンサーの安藤洋子さんも、クリス智子さんやファッションデザイナーの皆川明さん、イタリアからもニューカレドニアからも来てくれる。
結構多彩な顔ぶれが客席に並ぶことになる。
となると、その後のパーティの方が楽しみだ。
まだ、空席が2回ともあります。
当日券も出しますが、当然前売りが良いですよ。
「承認欲求」なる言葉がある。
そう切り込むと、誰だって持っているだろうとなる。
その大小があるだけだろう。
私のことを掘り起こしてみた。
子供の頃「誰に承認してもらいたいのか?」私には明確には無い。
いや、無かった。
大方の人の子供時代は、親だろうし先生かもしれない。
今となれば、私には残念ながら、それ自体が理解できない。
どうして親に褒めてもらいたい、認めて貰いたいのだろう。
どうして誰かに認めて貰いたいのだろう。
私にはその幼児性が分からない。
もちろん、子供の頃には無意識的には有ったのかもしれないが、記憶としてはない。
私は、ここのところは、認めて貰いたいではなく「認めさせる」ということしか持ち合わせていない。
中学生の時に体操競技をしていて、「認めさせる」=良い点を叩き出す、これ以外にはないからだ。
そして良い点を叩き出すことで、監督が褒める。
そんな時、こころの中では「お前に認められようとしてやっているのではない」と叫んでいた。
仕事をしても、ジャズミュージシャンになっても、そのスタンスは変わりない。
良い仕事をする、良い演奏をする。
そんなことは、私にとっては当たり前のことだ。
そこに承認欲求など持ち出すガキではない。
もちろん、褒められるのは好きだが、基本的にはどちらでも良い。
そのこころの中には「お前に褒められようとしてやっているのではない」があるからだ。
では、誰に褒められたら良いのか?
誰だろう?
自分でも分からない。
多分、その時、その場で私がピンと来る人。
その人に褒められたらそれは素直に嬉しい。
「で、それがなんや?」とはなるが。
今回のコンサートとなると、やるからには聞きに来てくれた人達を喜ばせたい、驚かせたい、楽しませたいがあるし、それしかない。
だから、綿密に訓練をするのだ。
そして、私の気分や集中力を万全のものになるように仕掛けを考える。
明々後日13時にその音を出す!
日野さんの舞台に何度かスタッフで関わらせて頂いて、よく日野さんが言われる言葉(指示?)がある。
4月に大阪で行った「古希ドラムソロ公演」の時にも久しぶりにその言葉を聞いた。
「あっ、終わりな。ええ感じのとこで終わってくれたらエエで〜〜。」
「ンなもん、適当なとこで変えてくれたらエエで〜〜。」
「ええ感じのとこ」「適当なとこ」などの言葉(指示?)を良く聞く。
テクニカルスタッフとしてはもうちょっと具体的な言葉や指示が欲しいのだがそれは無い。
何せ日野さんの舞台は一応流れは決まっていても、全てのシーンで動きや行動が決まってるわけでは無いから、決めようにも決められないって事もある。
でもそれより、いつ何がどう転ぶのか分からない中で時間が進行して行く「ライブ」に決め事なんか通用しないって事だと思った。
今、自分の前で起こっている事にしっかりと耳をすまして、目だけで無く体全部で捉える事で「ええ感じのとこ」や「適当なとこ」が自ずと見えて来る。
決めた事に囚われず、今起こってる事に身をゆだねる。
舞台や(ボクはやってないけど)武道に通ずる事だと思う。
単なるドラムの演奏会じゃ無い!
ええ加減で適当な男の誠実で必死な在り方を見て欲しい。
今出来る事の全てに真摯に向き合う姿を見て欲しい!!
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嬉しいエールだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ
熊野での最後の練習は終わった。
ドラムをケースに詰め、今送り出した。
多分、熊野でもう練習することはないだろう。
こういった、一つのイベントがあるのは面白い。
常にそのイベントに向かって進み、そのイベントが終わると何事も無かったかのように、日常が目の前に出てくるからだ。
だから、やり残したことは無いかと重箱の隅を突っつく。
これがまたプレッシャーに拍車をかける。
そういう時間が好きだ。
もちろん、その日常も死というイベントが終わると、何事も無かった、自分は存在していなかったという状態になる。
だから、これも同じで「やり残していることは無いか」となるのだ。
それが「生きる」である。
息子との共演は、数年前に初めて演った。
度々紹介しているように、ジャズピアニストの田中武久さんの追悼ライブがきっかけだ。
私は元から「息子と」というようなセンチメンタルな心情は持ち合わせていない。
一人のミュージシャンとしてしか見ていない。
だから、具体的に「和太鼓とドラム」というのは、どう絡む事が面白いのか?を考えた。
息子には、どれくらいの音楽性があるのか、あるいは、どれくらい合奏センスがあるのかも心配だった。
ライブでは3回のステージを演った。
もちろん、1回ごとに微調整を重ね、結果「この組み合わせは意外と面白い」を発見したのだ。
息子は6歳の時から武道を徹底的に仕込んだ。
そこで「関係性」を体感させていった。
その事が、「音」を通して実現させることが出来ると分かったからだ。
この「音を通して」という事が、現役の時には頭になかった。
但し、違和感として常にあった。
音は音楽的には関係しあっていることになっているが、実際には、つまり、ミュージシャンそのものが関係するというレベルに達していないし、関係ということすら認識されていないことが違和感の原因だった。
もちろん、これは当時には分からなかったことだ。
「関係性」の実際は、武道では必須だ。
どんな相手とでも、関係出来なければ、不意打ちを貰ったりして、こちらの生命を危機に晒すからだ。
しかし、よくよく考えれば、「関係性」は武道だけのものではない。
社会そのもの、人の社会そのもの、生活そのもの、仕事そのものも、全てが「関係性」で出来上がっている。
極論を言えば、「関係性」こそが人生であり、人類が今日まで生き延びて来られた「核」だ。
その「関係性」を音として、舞台を通して皆に響かす。
それが今回のコンサートを支えるコンセプトの一つであり、私自身が現役時代に問題視したテーマでもある。
一組の「関係」は、その場の全てを巻き込む力がある。
そこを皆さんに体感して貰いたいのだ。
「音」を通しての表現は、今回限りとなるだろう!
6月1日、残り4日。
2回公演ともまだ空席があります。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ
本来なら5月に入った第1週目頃、草刈をする。
それは30年程続いている。
草が伸びだし、うっとおしくなるのが、毎年丁度この頃なのだ。
それが今年は、この時期にヨーロッパに行っていたのと、熊野に居るタイミングが合わず今日になった。
伸び放題に伸びているので、馬力の強い草刈り機でも一発でとはいかない。
最後は腰が痛くなるのと、汗でぐっしょりになるので止める。
道場の周りを刈り終えるのには1日かかる。
手が振動で痺れてくるので、大体半分で終え明日に回す。
明日は「大阪・明鏡塾」だ。
早朝のくろしおで大阪に向かう。
先日の大阪の稽古は自動車で行ったが、帰りは目が疲れて来るので自動車は止めだ。
コンサートまで1週間となった。
まだまだ2回とも100席は空いていますよ。