福岡ワークショップを受講してくれたみんな!!
本当にありがとうございました。
みなさんのおかげで、笑いのある面白いワークショップになりました!!
小雨がたまにふる程度で、豪雨を避けられた。
傘を買ったのに、なのだが、ま、良かった。
福岡ワークショップ10年目を終えた。
「そうか、もう10年か」とも思うし、まだ2,3年しか経っていないとも思う。
記憶時間というのは、定かではない。
それは久しぶりに会った人とも共通する。
FBのサービスで1年前の今日、とか5年前の今日がでる。
それをみて、同じように思う。
記憶は印象順に蘇り、時間順ではないのだろう。
この辺りは専門では無いので、専門家に任せよう。
ワイワイの中に真剣がキラリと光る、そんなワークショップだったような気がする。
懇親会も盛り上がった。
焼酎を飲み過ぎたかな。
とにかく寝よう。
懇親会の時に、メールが入った。
競輪の西岡君からだった。
S級1班に格上げされたそうだ。
これは西岡君の当面の目的でもあったので、万々歳だ。
2014年私の大阪教室に顔を出し、そこから胸骨操作に取り組み、身体の連動・連関一筋に稽古に取り組んだ結果だ。
西岡君の走りは美しい。
全く無駄がないからだ。
他の選手から教えてくれと頼まれるそうだが、「無理」と断っているという。
自転車競技に太腿の筋肉は無駄だという理論を体現した、最初の人類だと言っても過言ではない。
何よりも、1レース終えても、まだ1レースや2レースは走れる余力が残っているという。
それこそが合理的な身体操作だ。
あっという間に、福岡最終日だ。
今はまだ雨が降っていない。
しかし、熊野の道場は土砂降りだろう。
同時に道場も雨漏りでビシャビシャだろう。
道場に帰るのが怖い。
今日は一日パラついた雨だけでもった。
明日は豪雨だという。
そして月曜日も。
ワークショップは、人が溢れていた。
ドイツ人のご婦人も受講されていた。
そういえば、女性の外科医も受講してくれていた。
ドイツ人は、もちろん日本語は大丈夫ということでだ。
受講者が増えるとそれだけ色々な人が混じるということだ。
それが吉と転ぶか凶と転ぶか、やってみなければ分からない。
しかし、概ねうまくいった。
うまく行ったというのは、笑顔が多く煮詰まらなかったということだ。
胸骨から腕に連関させ、そのまま倒す、起こすも大体全員成功した。
やはり、煮詰まりかけるのは、正面と声を届ける・聴くだった。
日頃がちゃんと向き合っていない生活なので仕方がない。
全員大きな宿題を持って帰った。
福岡ワークショップ6月28.29.30日
沖縄ワークショップ8月10.11.12日
今日は快晴だが、上の奥歯に痛みがある。
きっと、寝ている間に噛みしめたのだろう。
何がストレスだったのか。
昨日、上半身の柔軟性を作る為に、胸骨操作のバリエーションをした。
女性陣はそのまま、バリエーション、男性陣は少し武道的なことをした。
色々な種類の格闘技や武術をしている人がいたので、それなりに面白かった。
見ていると、確かにそれぞれの動きに違いはあるが、動きの質は同じだ。
質が同じというのは、癖の領域と自意識のレベルに焦点が当たっていないということだ。
つまり、癖を助長する動きにはなっても、癖を取り除いて行く為の技術としての動きにはなっていないということだ。
格闘技に関しては、そういった技術体系が無いので、自分で考えて行く以外には、ここの突破は無理だ。
もちろん、楽しむ分にはこのままで良いが。
16歳のバレエダンサーも来てくれていた。
中々感性が良い。
海外に出ていってもまれたらよいのに、と老婆心が顔を出す。
こればかりは、自分の子供でもないので、突っ込めないのがまどろっこしい。
今日は2日目中日だ。
飛び込み大丈夫ですよ。
福岡ワークショップ6月28.29.30日
沖縄ワークショップ8月10.11.12日
福岡1日目終了。
大した雨もなくワークショップは無事終了し、懇親会も色々な話題で盛り上がった。
私の勘違いから1日中「身体塾」になってしまった。
だから、久々の腕回しや胸骨操作のバリエーションをした。
腕回しは、「動くと動かす」の違いを知るのに一番都合が良い。
動かすと素早く何十回も出来ない。
そこが検証ポイントだ。
どんなことでもそうだが、検証するポイントを知り、あるいは見つけ、とにかく自分のやっていることを検証する必要がある。
質問で「苦手な人・関係が良い人が自分にはあるが、それは良い事か悪い事か」と問われた。
もちろん、社会的には駄目だ。
「こいつは苦手だ」と思っていると、それは実現する。
相手の人はその人に違和感を感じるからだ。
今日は、71歳、私と同い年の女性も受講してくれていた。
余裕のある家庭に育ち、そういう家庭をもったのだろう。
そんな物腰が見える。
「相手に」「何が何でも」という気力というか気迫というか、それらが希薄だ。「どっちみち、私達は死ぬのですから、わがままに生きましょう」という話に発展した。明日は2日目。もちろん、飛び込むも大丈夫ですよ。
福岡への乗り込みは雨や台風に遭遇することもなく、無事にホテルに辿り着いた。
お世話をしてくれている方との食事。
「どうして、直ぐに出来る人と、何年たっても出来ない人がいるのか」という話になった。
これは、非常に難しい話だ。
私自身も、常々不思議に思っているからだ。
単純には、やる気のある人と無い人、素直な人とそうでない人、役に立てようと思っている人と、役に立つだろうと思っている人。
様々な切り口があり、そこで大きくは二つに分ける事が出来る。
もちろん、それは言葉だけの話で、実際はそれほど単純ではない。
そんな区分けの中で、一番ピッタシ来るのが、役に立てようとしている人と、役に立つだろう、と思っている人の違いではないかと思う。
役に立つだろう、と思っている人は、「行けば何とかなる」と夢を見ている人、自分という主体の薄い人だ。
私は時として「やれば何とかなるよ」という。
しかし、そこには「何とかしてやる・役に立ててやる」という下準備があるからの言葉だ。
人はそれぞれに違う、というのは、その下準備を持たない人もいるという違いもあることだ。
そうなると、この場合は「やれば何とかなると、あなたが言ったから」となる。
確かにその通りなのだが、この場合はいくら言葉を尽くしても話が合う筈もない。
前提が違うからだ。
ここは、出来ない人にとって「それ」は必要のない事で、当人がそのことに気付いていないだけ、と処理している。
能力差ではなく違いという処理だ。
私自身も、自分の向き不向きを考える。
それは、過去の体験を元にしている。そこを知っておかなければ、自分自身の癖に振り回されてしまうからだ。
自主練習、あるいは、自分で訓練をする人以外が、取り組んでいる事の何かに気付くとは、到底思えない。
もちろん、天才的な人は別だが。
私はどちらかと言うとコツコツ型だと自負している。
とにかく徹底探求、徹底訓練が私の特技だと思っている。
先日のドラムソロコンサートを終えて、改めて気づいたのは、やはり身体は動かすものではなく「動いてしまう」ものだということだ。
そして、その「動いてしまう」というのは、自分の感性や感覚と直接的に結びついている。
それらに従っていると、身体は動いてしまうのだ。
その逆の身体を動かす、ということの典型はスポーツだ。
だから疲れるしスタミナも必要だ。
動いてしまう、という現象を起こせば多少の疲れは有っても、息が上がることもない。
こうなると、完全に西洋的身体論、運動論とは別のものになる。
しかし、身体が動いてしまう、という現象は別段特別なことではない。
日常の意識的な動き以外は「全て身体が動いている」ということだ。
つまり、無意識的に動いてしまっている場合は、全部身体が動いているのだ。
ただ、その場合の「動いてしまっている動き」は、自分が培ってきたクセでしかないし、クセ以上のものではない。
だから、限界が直ぐ眼の前にある、というのだ。
だから、「動いてしまう身体作り」が必要なのだ。
それは、基本的には、筋や腱他を「伸ばす・緩める・縮める」で、そこで発生した刺激を感じる事だ。
ワークショップでの「身体塾」は、そういった内容を持っています。
まだまだ空きがありますよ。
中国・四国・九州方面の方、お待ちしています。
福岡ワークショップ6月28.29.30日
沖縄ワークショップ8月10.11.12日