大阪での武道セミナーは、身体操作に終始した。
打撃系の方が多かったので、最後のコマは打撃系での普遍的な技術を紹介した。
平均年齢が高い分、それぞれの流派やジャンルに照らし合わせて理解しようとしてくれていた。
お互いに協力し合ってモノにしようと熱心に取り組んだ。
遠く福岡や名古屋、福井などから受講してくれていた。
しかし、なんだかんだと言っても大阪のノリが、滞りなく流れるのは気持ちが良い。
もちろん、年齢層が高いからだが。
目の前に大阪ワークショップがあるが、3年程空いている関係でそれまでの常連の方達への伝わりが悪い。
ま、だから仕方が無い。
でも、もう少し情報を発信しなけば、とは思う。
「身体塾」は、身体を知るというワークなのだが、この表現も的確かどうかは考える必要がある。
当初はこれで「関係」や「表現」という形式と区分け出来ていた。
しかし、ワークショップの成長、私自身の主眼としていることの変化で、的確かどうかは分からなくなっている。
時間が経過するとはそういうことだ
■ワークショップのお知らせ
大阪10月4.5.6日
「大阪・明鏡塾体験セミナー」は、一寸異質な感じで始まり終わった。
外科の医師が受講してくれており、その医師との話が殆どだったからだ。
「手術」ということと、医師の役目、患者さんとの対話、死ということについて等々。
まるで「明鏡塾」そのものがリンクする内容だった。
ずいぶん以前に大阪教室に通ってくれていた医師の紹介だそうだ。
その病院の理事まで興味を持つ内容だから、今度理事に話を聞かせて欲しいとのことだった。
久しぶりに、阪急東通り商店街を歩いた。
一番外れにバナナホールというライブハウスがあった。
多分、有名なライブハウスなのだろう。
名前だけは聞き覚えがあったからだ。
この場所は、元々2流のアルサロ(アルバイトサロン:キャバレーよりも小規模)だった。
その店のバンマスには、本当にお世話になった。
当時私は、自分の音に拘っていたから、コンサート以外はやらない、という姿勢を貫いていたので、忽ち金銭的に行き詰る。
そんな時、このバンドに顔を出すと、そこにいるドラマーと私を即刻入れ替えて、私に仕事をくれていたのだ。
そこのドラマーにはいい迷惑だが本当に良い時代だった。
「日野さん、遊んでいるの、ほんなら内で叩いてや」というノリだ。
こういった場末のキャバレーやアルサロのバンマスに、どれだけ助けて貰ったか分からない。
だからかどうかは分からないが、場末の匂いが好きだ。
今は、風俗街のようになっており、風情がない。
明日は武道セミナーだ。おかげ様でこちらの方は定員になったので締め切っている。
■ワークショップのお知らせ
大阪10月4.5.6日
屋根修理や、大阪でのワークショップを控えているので、熊野に戻った。
山に向けて進むと、温度差は4〜5℃くらいはある。
「寒い」だ。
道場に着くなりヒートテックを引っ張り出して着ている。
水が止まっているので、明日は朝から水出しで水源地まで登る。
時間があれば垂木と特注の野地板の発注だ。
とにかく修理をしなければどうにもならない。
「ちゃんとしよう」「ちゃんとしなければならない」が、自分を煮詰めてしまう原因だ。
しかし、もちろん「ちゃんとしなければならない」それは間違いではない。
「間違ったら駄目」も間違いではない。
しかし、その言葉と実際の間に相当の隔たりがある。
それは、「ちゃんと出来た」への道にあるものは全て「ちゃんと出来ない」だということをどの程度認識しているのか、という問題。
また、「ちゃんと出来た」を実際に分かっているのか、という問題。
それらは、全て頭の中と実際との垣根だ。
本来、そこに垣根は無い。
垣根を作り出したのは、自分自身を洗脳している言葉だ。
「ちゃんとしなければならない」という言葉に洗脳されているのだ。
そんなことは当たり前の事だから言葉化する必要など全くない筈のものだ。
ただ、親が子供に躾の中で口うるさく言うかもしれない。
そんなものは、親子の会話のようなものだから、右から左へ素通りで良いのだ。
ちゃんとしなければならない、という実際は、誰から言われるまでもなくちゃんとやりたい筈だ。
しかし、出来ない。
そうすると、そこで感情が湧く。
「くそ〜」だ。
その感情が湧く前に「自分が間違っているから出来ない」と感情を殺してしまう。
どうも多くの人を見ているとこれが一番多いように思う。
だから、「出来た」が分からないし、「出来た」喜びなど湧き上がらないのだ。
「出来た」が分からないのは、実際の行為よりも「自分が間違っている」に意識の方向性が向いてしまっているからだ。
ワークショップでは、そういうことを注意しながらワークを進行させる。
■明鏡塾体験セミナーのお知らせ
大阪9月28日
■ワークショップのお知らせ
大阪10月4.5.6日
■武道ワークショップのお知らせ
大阪9月29日(日)
まだ10代なのに、素晴らしい将来ビジョンを持っているのに驚いた。
「将来は○になりたいので、まずは○をし、そこでキャリアを付けていこうと思っている。だから、今はその○の為に先生について教わっている」大学生だ。
見事としか言いようがない。
で、最近の10代は凄いと思ったのだが、どうも、そのビジョンとやらとその人の声、さらに風貌とのバランスが取れていないことに違和感を持った。
話を根掘り葉掘り聞いていくと、でた!コーチングだ。
コーチングを受けているという。
もちろん、それが悪いのではない。
身の丈との兼ね合いだ。
問題があって、それを解決する術が万策尽きたなら、コーチングも功を奏す場合もある。
しかし、保険としてのアドバイスは、知識にしかならない。
そして、その知識に縛られてしまう可能性が高い。
それは、自分の中に切実な問題がないからだ。
先回りの言葉は、過干渉と同じ意味合いを持つ。
本来、自分が葛藤して見つけ出さなければいけない問題や答えを、教えてもらえるからだ。
だから、余計に自分の力で考えなくなるのだ。
これは、行動の前に、先に説明を聞くのが好きな人と似ているかもしれない。
先入観がなければ踏み出せない人だ。
■明鏡塾体験セミナーのお知らせ
大阪9月28日
■ワークショップのお知らせ
大阪・東京・岡山・沖縄
■武道ワークショップのお知らせ
東京9月16日(祝) 大阪9月29日(日)