ドラムセットを自動車に積み込んだ。
忘れ物の点検。
くそ重たいスタンド類は現地調達を頼んだ。
明日は10時過ぎには沖縄に着く。
どうするの?
一輝は本土から生徒さんが来ているから観光だ。
とにかく、身体を動くように調節が一番だろう。
昔、プロダクションの仕事をしていた時は、ツアーばかりだった。
それはそれで楽しくもあった。
何しろ同年代のミュージシャンとの移動だから、修学旅行のようなものだ。
しかし、移動で一番しんどいのと忘れ物が多いのがドラムだ。
セット一式を積んだりセッティングしたりだからだ。
それで一度、ひどいぎっくり腰になった時がある。
梅田のナイトクラブでクリスマスパーティの仕事をし、その足で外国の人達が集まる神戸の北野クラブでのオールナイトパーティというスケジュールだった。
梅田のナイトクラブを終え、セットを片付けている時に、「アッ」となり動けなくなったのだ。
でもスケジュールがある。
皆に手伝って貰って、セットを片付け、北野クラブでセッティングし、2人に肩をかりてドラムセットに座る。
不思議と演奏は腰には響かなかった。
ステージを終えると、2人に肩をかりてセッティングを下り、別室でうめき声を上げていた。
もちろん、意地でも穴を明けない、プロの一面だ。
という根性が染みついているので、「風邪?」という感じだ。
朝、4時起床、30分出発!!
沖縄コンサートは11月2日です。
■ワークショップのお知らせ
東京11月28,29,30日12月1日
東京・岡山・沖縄
微熱、これが一番うっとおしい。
今日明日で絶対にこいつを鎮めてやる。
昨日、ドラムのエンジンを回してみた。
おかずは、アルバート・アイラーとアーチー・シップ。
どちらも、50数年前からよく聞いていたものだ。
エンジンはかかるが、力みが出て思うようにはいかない。
病み上がりの身体は、余りコントロールが効いていないということだ。
それでも手応えは掴めた。
今日一日で、そこのところ、力みに対しての処置を演奏中に試していこう。
どんなことでもそうなのだが、やっている最中に訂正したり、修正出来なければ実際には使えない。
その意味で、いくら稽古で出来ても本番では使えないのだ。
とにかく、改めてやり直している限り出来るようにはならないのだ。
沖縄コンサートは11月2日です。
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さっきカナダで行われていた、フィギアスケートグランプリシリーズを見ていた。
日本の田中刑事選手がフリーで自己ベストを更新する出来栄えだった。
思わず拍手。
しかし、点数が出るまで座っている席に同席しているコーチなのかトレーナーなのか知らないが、愛想もくそもない。
田中選手も同じようなものだ。
もちろん、態度をどうするべきか、は無い。
それぞれがそれぞれで良いのだ。
でも、海外の選手でも伸びている選手は、隣に座る人との関係がすこぶる良いように見える。
羽生選手の両隣りに座る、ごっつい感じのおじさん二人。
おじさんだが羽生選手の点数に、目を丸くして大喜びをしていた。
ちょっとしたことだが、無表情というのは、観客が見るという前提に立つパフォーマンスでは最悪だ。
もちろん、気分もふさぐ事もあるだろう。
しかし、一緒に喜ぶ、それが誰にでも共通する伸びる関係だ。
辛気臭い顔をしている人は、人を不快には出来ても伸ばすということは出来ないが、それも関係なのだ。
インフルエンザではなくホッとした。
以前インフルエンザになった時は、ほんとにフラフラになったからだし、そうなると沖縄のコンサートに差しさわりが出るので、ただの風邪だと知ってホッとした。
コンサートに初めて出演したのは、25,6歳だったと思う。
東京のフリージャズのグループとの共演だった。
とは言っても、こちらは無名なので前座のようなものだ。
この初めてのコンサートは、初めての大失敗で終わったから大笑いだ。
ステージに出てセットに座り、第一発目の音。
右手を思い切り振り上げて、スネアを打つ筈だった。
もちろん、スネアを打った。
その時左手がスティックを持ちリムにかけていた。
つまり、左手がスネアのほぼ中心に来ていたのだ。
そんな事は無意識的に右手も知っている。
しかし、初めてのコンサートで緊張があり、その手元が狂った。
まともに左手親指を直撃したのだ。
当然、一発目の音は出ない。
代わりに「ウッ」という私のうめき声が鳴り、アルトサックスが驚いたように後ろを振り返った。
私は「かまわずいけ!」と目で合図し曲が始まった。
しかし、45分の曲が15分で終わってしまった。
手がダメージで持たなかったからだ。
その数年前、私の右の一発はシンバルを叩き切るパワーを出していたからだ。
沖縄コンサート。これが最初で最後だ。悔いの無いように、私の音楽を創り上げ、沖縄と融合しようと思っている。
土曜日から少し咳がでていた。
日曜日の「明鏡塾」は、気が張っているので別段普通。
終わってから、咳がひどくなり、月曜日の夕方からダウン。
熱は39度を超えていた。
根所で治す。
今日の朝は平熱に戻った。
でもインフルエンザを心配して山の診療所に検査にいった。
ただの風邪なのでホッと一息。
大阪の「明鏡塾」は、やっぱり柔整・整体の人が多い。
一人は、ベテランの方だ。聞くと、大方の人と同じように色々なセミナーに顔を出したそうだ。
私は、その業界の事は知らないが、他の業界と同じように「方法」を教えているようだ。
何時も書いているように、これが私には分からないところだ。
もちろん、方法を知りたい気持ちは分かる。
そこを踏ん張って「自分で編み出してやろう」になって欲しいのだ。
それは、自分自身がその世界に入った動機、情熱を思い出すことだ。
全ては、それが前に進ませてくれるのだからだ。
沖縄コンサートは11月2日です。
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思っている事(実現したいこと)とやっている事(実際に行っている事)。
ここにどれほどの隙間があるのかを考えなければ、思っている事はどこまで行っても「思っているだけのこと」になる。
日常の出来事ならば、大方は思っている事と実際はくっついている。
しかし、それは自然にそうなったのではない、ということを思い出す必要がある。
自転車に乗れること、字が書けている事、知っている事、ご飯をお箸で食べられること、、、、とにかく、現在生活できている全ての事は、自然に出来たのではない。
自然に出来たと思っているのは、練習したという記憶がなかったり、それより以前に実現したことが雛形となり、無意識的に出来ていたりするからだ。
大方の人は実現している事を振り返らない。
だから、思っている事とやっている事がちぐはぐになっているのだ。
それも、自分自身を雑に扱っているということの一つだ。
そういった、人の技術や能力でも一番難しいのは「在り様」だ。
これは、志や美意識等といった、言語化しずらい内面が関わっているからだ。
しかし、それらが自分自身を創り上げる根幹になる重要なものだ。
つまり、その根幹さえ自分として明確であれば、その上に乗って来る様々な知識や技術は、自分自身で賄えるようになるということだ。
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さっき、ドラムを叩いて一息入れている時、首筋にチクッと痛みが走った。
瞬間的にそこを叩いた。
しばらくすると、またチクリ。
これは虫ではないかもしれないと思い、Tシャツを脱いだ。
しかし、見当たらない。
袖の中に手を入れると何かいた。
足でシャツを踏んでも手応えがない。
しばらく見ていると、10p以上のムカデ!
即辺りを見回し叩くものを探した。
無い。
1sの鉄アレイが転がっていたので、これで2発。
ゴンゴン。
多分、ドラムの振動で上から落ちて来たのだろう。
ムカデが首をはったのは初めてだ。
腕を這っていた時は、手に来るまで待って下に落とし、これまた近くにあったバットでグチャ。
蠅叩きや殺虫剤は片づけてしまったので仕方が無い。
山の生活は色々ある。
今日までの雨で水が止まってしまった。
明日は晴れそうだから、水源地まで登ってみる。
一昨日は仙台に飛んでいた。
あるビジネスのセミナーだ。
コミュニケーション、関係性ということで、私の「武道」に着目してくれたからだ。
その意味では、武道は関係性を実際的に学ぶ宝庫だ。
もちろん、武道ならどれでも良いというのではない。
私は武道を探求する過程で、関係性ということに気付き、そこに特化した稽古を重ねて来た。
だから、完全に人間関係とくっつくのだ。
大方の「人間関係」という場合、予定調和か相互のマスタベーションだ。
もちろん、それの方が楽しいし楽だ。
相手の事を本当に感じる必要などなく、方法に取り組めば良いだけだからだ。
いわゆる、おままごとであり、文化遊びの類だ。
以前に紹介したが、フランスで私の武道のドキュメンタリーDVが発売されている。
それを企画してくれた空手のチャンピオンがいる。
その彼が今夏の沖縄ワークショップに、顔を出してくれた。
沖縄空手の取材だったから、時間の合間を縫って来てくれたのだ。
彼が私のワークを受け、相当のショックを受けていた。
それは「声を届ける」というものだ。
関係性の柱の一つだ。
そこを徹底的に追及しているセミナーやワークを全く知らなかった。
当然体験もしたことがないからだ。
武道では「気合術」というものがある。
それは、こちらの声が届けば、相手の身体は変化するというものだ。
この場合、方法はない。
本当に自分自身が相手に声を発していなければ、相手に変化は起こらないからだ。
そのワークでフランス人は、自分自身を突き付けられたという。
それがショックだったのだ。
自分自身を根底から成長させるワークだと、そのフランス人は語っていた。
感性が柔らかいのだ。
おもしろい事に、そこに気付いた武道関係者は、このフランス人が最初だ。
武道を指導して36,7年になるが、武道絡みの人では、このフランス人が最初というのは、何とも寂しい限りだ。
だが、一般の人へのworkshopや、今回のセミナー等では、多くの人が気付いてくれた。
おままごとが悪いというのではない。
それで人生をお茶を濁すのも良いだろう。
しかし、生命は現実だ。
「死」は現実だ。
誰とも本当の意味で関係せずに死を迎えるとしたら、その死もおままごとだろうか。
今日は「明鏡塾」だった。
もう9期になる。
余りにも、再受講が多いので、どうしてもレベルが上がってしまう。
それでも、今回初受講の人達は頑張って食らいついて来ている。
今日は、ワークの途中で一番最初の初歩中の初歩、「相手に」が欠落、あるいは薄いことに気付き、そこを重点的に行なった。
もちろん、結果はそれぞれに気付き、それを宿題とすることになった。
「触れる」を訓練していくのは「明鏡塾」のメインテーマの一つだ。
だが、その前に「相手に」つまり、患者さんや利用者さんに、という意思や気持ちが足りないのだ。
その事を抜かして、技術がそこをカバーする、あるいは、技術があるだけでよい、または、そんな事を考えたこともない、そんな感じがした。
それは、常に感じてはいたが、時間や気付きが補うだろうとたかをくくっていたが、それは間違いだった。
だから今日は、特にその点を重点的に攻めたのだ。
終わってから内科医を交えて、リハビリということについての話で盛り上がった。
優秀な医療従事者が足りなさすぎるという結論だ。
理学療法士にしろ看護師にしろだ。
内科医が「明鏡塾を受講しているくらい優秀な人達はいない、一緒に仕事ができればいいね」とおっしゃってくれた。
これは嬉しい言葉だ。
沖縄コンサートは11月2日です。
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