胸骨操作の復習、そこから二の腕、そして腕のねじれ。
腕のねじれから動く上半身を使ってのねじれの戻り。
手の平合わせから、主導権の取り合い。
肩動かしからその流れから、相手を動かす。
2日目のワークショップの流れだ。
これら全部に共通するのは「体感」だ。
決して、見た目の動作が「出来る」ではない。
そうではなく、見た目の動作の中身、つまり、自分の身体を体感する事だ。
ねじれている刺激、それが緩んだ時の感じ、緩みつつある身体の感じ。
そういった「体感」だ。
この体感を体感として、身体に記憶させていく。
いつの間にか自転車に乗れているように、あるいは、自動車を運転しているようにだ。
雲を掴むように難しいのは「相手の流れに乗る」だろう。
相手の流れを知るヒントとして、運動を作りだす。
単純運動を繰り返すことで、一つの流れが生まれる。
これがヒントだ。
それが関係への入り口になる。
今日は3日目。
これらの復習から、次に進が全て「体感」だ。
今日は土曜日で全コマほぼ満席だ。
空いているところは、飛び込みOKです。
・11月 30日(土) 身体塾/0、関係塾/2、表現塾/8
・12月 1日(日) 身体塾/1、関係塾/1、表現塾/2
■ワークショップのお知らせ
東京11月28,29,30日12月1日
東京・岡山・沖縄
2日目終了。関係塾は盛り上がるが、「出来たい」が勝って「じゃ、今までの自分は」にたどりつく人が少ない。
ここが本題なのだが。
ま、初めての人達は仕方がない。
全員それなりに楽しくやっていた。
全員を観察していて思うのは、常連の人は別として、初参加や体験の浅い人は、自分に一生懸命で、他の人達の取り組み方を観察しない。
観察するというのも、稽古の一つだ。
比較するという目が大事なのだが。
明日は3日目。
写真は、言葉が影響する身体の体験
東京ワークショップの初日を終えた。
少人数の懇親会は、密度濃くそして深く盛り上がった。
直接は面識はないが、知人の同期とか、聞けば懐かしい香りがする人達が受講してくれていた。
初受講の方達は、迷子にならないように、思い切り食らい付いてくれていた。
その言葉の背景は何?そういう根拠はどこ?質問に対しての答えがこれでは、面食らうだろうが、私はちゃんとその人を理解したいから、どんどん突っ込む。
それが関係の糸口だからだ。
そんな実践を交えてのワークに、大方の受講者は頷いてくれていた。
明日は2日目。
また新しい人が何名かいる。
お会いするのが楽しみだ。
2日目も、少しだけ空きがあるので、飛び込めますよ。
息子のチームは2002年から始まった。
その懐かしい動画があった。
改めて見ていると、今との違いがよく分かる。
その創設メンバーと、後から入って来たメンバーとの熱量の違いがよく見える。
これは、どんな分野でも言える事だ。
例えば、チームを作ろう、という一輝や他のメンバーの情熱。
これと、チームが出来ていて、そこに入るメンバーとは自ずと情熱に差がある。
もちろん、目的も違う。
しかし、言葉というのは厄介で、共通語を使う。
「皆んなで」とか「良い音を」「観客を喜ばせる」等々。
全部共通語として通じる。
しかし、それを使っている人それぞれの意味合いが異なる。
もちろん、そんなことを確かめる事はない。
当時、息子は「どうしてメンバーは練習をしないのか?良い音を出したくないのか、和太鼓が好きじゃないのか」と愚痴っていた。
これが新規メンバーと創設メンバーとの情熱の差だ。
それぞれに、和太鼓が好き、良い音を出したいのだ。
だが、如何せん違うのだ。
当時はそれが目立っていたが、創設メンバーが諸事情で辞めていき、新規メンバーの入れ替わりが頻繁にあり現在になっている。
そうなると、何もかもが違う。
創設時の思いとは別の目的やレベルを持たなければ仕方がないのだ。
もちろん、レベルということでは、個人のグレードを上げることだ。
グループということでは、全く新しい視点で見つめ直す必要がある。
創設メンバーの持つ情熱など、欠けらもないからだ。
大阪城や難波の駅前での演奏から始まったが、この時はたった3曲しかオリジナルはなかった。
それでも、「何が何でも」という情熱が溢れ、凄まじい音が出ていた。
だから、市バスまで止まり、一輝達の演奏を聞いていた。
たった3曲で、一晩のカンパは30,000円を越した程だ。
もちろん、警官も来た。
難波周辺の映画館から苦情も出ていた。
この頃の演奏技術はまだまだ稚拙だ。
しかし、それを上回る情熱が、音を作り出していた。
それが理想の形だ。
つまり、芸術はこの情熱と技術のイタチゴッコなのだ。
それが時と共に、情熱を技術が上廻るようになる。
そうすると、演奏が陳腐になってくる。
陳腐になる、というのは、観客に響かせる物が無くなってくるという事だ。
もちろん、それは音楽だけの話ではない。
今では路上パフォーマンスは、ごく普通に行われている。
しかし、そこには「止むに止まれず」という情熱はなく、幼い自意識だけが溢れている。
「見て見て、私を、良いでしょう」と。
まるで、親の注目を引きたい盛りの4,5歳児の如くだ。
技術は内的必然から生まれてくるものだ。
だから、思わず見る、思わず聞くという具合に反応してしまう。
あるいは共鳴してしまう。
しかし、必然から生まれていない技術には、何の反応もしない。
「上手だね」「凄いね」「で、何をしたいの?」となる。
判断が働いてしまうのだ。
ここが、感性の不思議なところであり、何かしらの分かれ道だ。
先日、クラシックバレエの吉田都さんの引退へのドキュメンタリーを見た。
リハーサル風景を見ていて、「バレエ」が見えた。
さすが、としか言いようがない。
つまり、技術も見えなければ、自意識も見えない、振り付けも見えない、ただあるのは「バレエ」だった。
都さん全身が「バレエ」だったのだ。
その一瞬を見た幸福感は、何にも変えがたいものだ。
頭の中は真っ白のまま、時間は止まってしまった。
それが表現だ。
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東京11月28,29,30日12月1日
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後2日で、冬の東京ワークショップだ。
1日中身体を動かしたり、身体に集中するのは楽しい。
何時も何かしらの発見があるからだ。
発見は、ある意味で途切れたことはない。
それだけ感覚や感知には際限が無いということだ。
武道でも明鏡塾でも、技術的な事を質問される。
体験をさせて欲しいとも言われる。
単純なことなら、つまり、力を入れている、力を入れていない、というような事ならいくらでも体験させて上げられるが、関係性となると無理だと断る事が多い。
武道の稽古でも、運動レベルの段階であれば、一緒に稽古が出来ても、肝心の関係性を主とした稽古になると無理だ。
稽古はその条件を満たしていなければ出来ないし、条件を満たせるようになる事がレベルが上がっている実証でもあるからだ。
ワークショップでは、それほど深く突っ込まないが、深いところへ行く入り口はやる。
もちろん、難しい。
そこを試行錯誤するのが楽しいのだ。
後2日!!
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東京11月28,29,30日12月1日
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35年ほど前に、現道場の在る熊野に引っ越した。
今でこそ、トンネルが抜け、橋が架かり片側一車線の整備された国道になっているが、当時は峠を2つ越える山道だった。
バスやトラックが前方から来ると、すれ違えないので少し膨らんだ道までバックしなければならなかった。
この当時、内弟子の若者が、元暴走族ですこぶる運転が上手だった。
だから、山道にも直ぐに慣れかなりのスピードを出しカーブに突っ込んでいった。
私はその走り方が分からなかったので、直線でしかスピードを出せなかった。
そこで、その若者に運転を習う事にした。
習うといっても、机上の理論ではない。
同乗しての運転解説でもない。
彼が運転する車の後ろにロープを結び付け、私の乗る車を引っ張るのだ。
そして、彼がブレーキを踏まない限りブレーキを踏んではいけないルールだ。
彼の車のラインを辿り、ブレーキングやシフトダウンを車の雰囲気から感じ取り真似る。
そんな車の練習だ。
夜8時を過ぎると、殆ど車は通らない。
だから、午後10時くらいから、その練習は始めるのだ。
この荒っぽい練習は、3,4回もすれば、完全に運転を覚えてしまう効果があった。
そのラインやギアーシフトを覚えてから、二人で近場の温泉まで競争をする。
もちろん、追い越し等出来ないところなのでそれはない。
彼の車にピタッとくっついて運転できるか否かだけだ。
もちろん、私も事故りたくはない。
だから、山道での安全運転とはどういうことかと考えた。
彼のラインを辿ると、見事に安全運転だと理解できた。
だからスピードを出せていたことを理解した。
それは、一言で言うと、相手の車がこちらの車を見つけ易いということだ。
つまり、前方の車がカーブに入る時、いち早くこちらから車が来ている事を見つけられる場所に、こちらの車があるということだ。
お互いに目視し合った時、どちらにハンドルを切るかもその瞬間に判断できる位置なのだ。
いわゆる、アウトインアウトや、アウトアウトイン等の運転技術だ。
この走り方は、現在でも実行しつつラインと速度の関係を検証し続けている。
また、こんな事が、武道での相手との位置関係や、太刀筋を考えるヒントにもなった。
どこにでも教材は転がっているということだ。
東京ワークショップ迄後二日だ。
「東京ワークショップ定員情報」
「大阪・明鏡塾4期2回目講座を終え、懇親会で盛り上がった。
将来の治療はどうなっていくのか?
そんな話に花が咲いた。
現状の保険制度の不備や軋轢等々があり、ではどうなるのが良いのか。
一方ロボットやAIの進化で、業界はどう変化するのか。
そんな話だ。
書いているように、大阪明鏡塾は柔整の人達が多いから、生活と密着した話もでる。
また「治療とは何か」という根本的な問題にも触れていた。
今期から受講してくれている2人の柔整師は、目を見張る進歩がある。
難関の声を届けるの入り口は、軽くクリアしていた。
再受講組も、それにつられるようにクリアしていた。
「聴きにいくように話をする」という宿題の発表の時「聴きにくいように話をする」と勘違いしていたと大爆笑をかっていた。
「お前、それネタやろ」と。
大阪の雰囲気を醸し出すコメントだ。
しかし、本人大真面目だから素晴らしい。
はや忘年会の会場探しの話にもなっていた。
楽しい人達が揃ってきた。
そろそろ体験会の準備をしなければいけない感じだ。
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