昨日の修理を終えた辺りから雲行きが怪しくなって来た。
天気予報では今日も晴れ。
あかんな、と思っていたら案の定雨が降り出した。
後一歩で修理が完成だったのに、、、ま、しやない。
雨が止みそうになったら突貫でやっつけよう。
自動車という身体は、ガソリンという生命で動く。
その性能はエンジンに応じて車重や構造、そしてデザインで決まる。
そのエンジンや諸々の要素が考え方だ。
と具体的な物を使って考える。
しかし、その置き換えを理解出来ても、自分自身に当て嵌め羅れなければ、使えない知識と同じだ。
この置き換えの作業や当てはめる作業の出来ない例え話が世の中には沢山ある。
しかし、不幸な事に私達は、理解する事が頭の良し悪しであり価値のある事だと思っている動物だ。
だから、それらを見抜けないのだ。
世界中にある意見は全て仮説である。
それは全て時間と共に変色もするし、進化もするからだ。
もしそれを無視するのなら、その説はすでに化石だということになるし、すでに死んでいるとも言えるのだ。
人は自分の都合の良い時に時間を止めたがる。
そしてその都合の良い時に価値を求める。
固執するということだ。
そして何よりもガソリンは永久に切れない、あるいは、都合の良い時に切れると思いこんでいる。
もちろん、だからといってもその事を考えたり思い悩んだりする必要はない。
それは当たり前の事だからだ。
その当たり前があるからこそ、こういった考えが浮んでくるし、そう行動するのだ。
それが、生きるモチベーションだ。
自粛から解放されたら、まず心と身体をリフレッシュ
東京ワークショップのお知らせ
6月4.5.6.7日 風通しの良い道場で少人数で行います。
統計を取るとロックダウンは意味がなかったそうだ。
もちろん、当初は分からないから定石通りという事だったのだろう。
しかし、その定石が適切でなかったと結果が出たら即座に変更する。
そのフットワークの軽さが、生きる上で一番大事な事だ。
ここで「生きる上で」という発想がなければ、その昔考えられた定石なるものに固執するしかない。
その昔考えられた定石に固執する、という事は、その昔の頭しか持っていないという事になる。
そんな化石のような生物は、本来なら存在しない。
それほど、時代や仕組みは進化しているということにもなる。
しかし、時代に追いつかない、仕組みに縛られている奴ら。
とりあえず存在するなだ。
しかし、化石のような輩は沢山いる。
もちろん、そんな事は誰でも知っている。
しかし、自分に当てはめてみただろうか。
私自身も、私自身が考える定石を持っている。
しかし、常にそれを疑う。
というよりも、同じ考えを持つのが嫌いだから、もっと違ったことを考えるようにしている。
そうすると、ある種の拘りも固執しているものも薄らいでいく。
自粛から解放されたら、まず頭をリフレッシュ
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6月4.5.6.7日 風通しの良い道場で少人数で行います。
世の中の仕組みが大きく変わって来ている。
いや、もう世界は変わってしまっているのかもしれない。
日本ではコロナのお陰で、その変化は目に見えて来始めただけだ。
企業は出社の必要無しと、新しいシステムに移行し始めている。
飲食店はuberを使ったり、お持ち帰りが主流にならなくても、並行して対応して行くのだろう。
という具合に、やっとシステムを考える方向に重い腰を上げ始めている。
しかし、一度何かを決めたら、検証をしない体質が変わらない限り根本的にどうにもならないだろう。
検証、つまり、決め事の全ては仮説であるから、検証期間が必要なのだ。
というよりも、実生活そのものが検証期間と重なっているのだ。
その意味で「出来た・出来ない」「成功・失敗」など、ただの過程だ。
自粛から解放されたら、まず心と身体をリフレッシュ
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6月4.5.6.7日 風通しの良い道場で少人数で行います。
「何をしているのだろう」と思う時がある。
何だか白けてしまう時だ。
作業をしている時、ふとそんな瞬間が来る。
一服吸って気分を変えるが、頭にくっついてしまうこともある。
その白ける時は、「もうどうでもええか」と思うことも含まれる。
そんな時、やり残している事、どうしてもやらなければならない事を探す。
それすらも白ける時もある。
今、防水シートが着いた。
これで3階の屋根にかかる事ができる。
という具合に白けも飛んでしまう。
しかし、この白けの瞬間は我ながら危険だ。
「生」に対する白けだからだ。
疲れから来るのだろうが。
「よっしゃ〜」でエンジンをかけ直そう。
「思い通り」という言葉で気づいた事がある。
「思い通り・思った通り」自分の行為での事と、他人を介する事と2通りある。
大方の場合、他人を介した事に使っている。
他人は思い通りにならないし、仕事も社会も思い通りに行く時と行かない時がある。
自分の行為で「思い通りにならない」と思っている人は、自分の思い通りが、行為のレベルを超えているからだ。
その場合、行為を思っていることに近づける訓練が必要だ。
あるいは、思い通りのレベルを下げる必要がある。
行為が思い通りの人は、もちろん、思い通りに行かないとは思わない。
しかし、自分の行為を思い通りかどうかを検証しているのかどうか、という問題も含んでいる。
それが分からなければ、思い通りなのか、そうではないのかは分からない。
ここで「つもり」とリンクするのだ。
アドバイスが通じる人と通じない人がいる。
その違いは何だ?と何時も考えさせられている。
その時々で、「多分こうだろう?」と理由を見つけていたが、ある意味でもう少し根本的なことを考えてみる。
自分の言葉は通じているのか?だ。
それは何時も書く「日本語としてしか理解できない」のではないか?だ。
つまり、自分のこととして捉えられないのではないか、というものだ。
ここのところが解明した。
それは、間違いなく、自分が「やっている事」を全く分かっていない事だ。
自分が手を「どう」伸ばし、あるいは、足を「どう」出し「どうしているのか」を分かっていないのだ。
つまり、つまり、やっている「つもり状態」であれば、自分の行為など分かる筈もない。
そこが解明されたという事だ。
大笑いするしかない。
つもりの人にいくらアドバイスをしても、自分ではやれている、やっている「つもり」だから、「そのアドバイスは何?」となるのだ。
日本語が通じないというのは、そういう事だったのだ。
ワークショップでは、その辺りも実際を通して体験できますよ。
自粛から解放されたら、まず心と身体をリフレッシュ
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6月4.5.6.7日 風通しの良い道場で少人数で行います。
自粛解除された大阪は、かなり人が出ていた。
暑さも伴って「やっと」という感じだ。
行きつけの喫茶店は、満員だった。
もちろん、煙草を吸える店だから、というのはあるが。
久し振りといっても、いつも通り大阪の人達と会ったが、みんな元気でそれぞれにコロナを楽しんでいた。
明日から、本格的な屋根修理に入る。
今までのは、軒が崩壊し屋根を張り直したものだ。
次は3階の屋根だ。天窓があるから、それに蓋をしてしまうかどうかを迷っている。
防水シートと防水ペイントだけで乗り越えられたラッキーなのだが。
ま、一度大雨を経験したら、結果は分かるから防水シートで試してみようかと思っている。
人はパニックになるものだ。
咄嗟のこと、突発的なこと、全く未知のこと、そんな事に出会ったら、大方の人はパニックになる。
もちろん、私もなる。
パニック状態を振り返ると、頭の中で3つも4つも同時に考えているからだ。
そこに時間差がないから混乱し、パニック状態になるのだ。
私の場合は、その立ち直りがすこぶる早い。
だから、パニック状態が短くてすむ。
人生で起こる、あるいは、出会す出来事に対しての反応として、色々な精神状態、心理状態を持つのが人だ。
大事なところは「で、どうするんや?」で、立ち直り時間を短縮する事だ。
グダグダ頭を回転させるより、「で、どうするんや?」だ。
逆にいうと、誰でもパニックになる訓練が必要だ。
突発的な出来事、例えば、今回のコロナウイルス事件でも、「で、どうするんや」があれば、それが無い情報など放っておけるから、振り回されない。
精神的にも強ければ、「それで?」となる。
しかし、弱ければ「不安」が支配しパニックになりかねない。
武道ではパニックになりやすいように稽古をする。
でなければ、変化に即応など出来ないからだ。
ワークショップでもそんなワークをする。
というより、全部それかもしれない。
手本を見せて「ハイどうぞ」だからだ。
そこで、どうすれば?を、自分のみた手本を再現するになるか、説明の言葉から自分で考えるかだ。
そんな事が頭を新鮮にフル回転させるし、身体が活性化するのだ。
自粛から解放されたら、まず頭をリフレッシュ
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6月4.5.6.7日 風通しの良い道場で少人数で行います。
「見様見真似」は動体を記憶する為の鉄則だ。
そこには2種類の働きが関与する。
一つはミラーニューロンの働き、一つは言語隠蔽効果と呼ばれる働きである。
つまり、言語化すると記憶が歪んでしまうという事だ。
その意味で、ワークショップや道場、「明鏡塾」でも、何をどうしてこうしてとは言わないのだ。
もちろん、粗方の説明はするが、動作に関しては余り説明しないようにしている。
しかし、これらは動体に限ったものでは無いと、私自身は考える。
人生の大半は、これらの働きを通して知る事だと思っている。
その能力の長けている人、つまり、わざわざ言語化しない人の記憶はすこぶる良い。
色々な意味で記憶が歪まないからだ。
だから、逆に後付けの言語化が優れているのだ。
同時に、社会的な場や立場に関する暗黙のルールなどを理解できるのだ。
それが出来ないと、30年以上前の新聞に「挨拶をしろと指示されていなかったのでしなかった」と新入社員が上司から叱られた時に返答したと書かれてあった。
というような場に適応出来ないことになるのだ。
いわゆる「指示待ち」世代だ。
30数年前は、こういった新入社員は珍しいから記事になっていたが、今日では当たり前になっているから記事にもならない。日本は確実に退化して行っているのだろう。
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