素直な身体、というか、素直な運動能力というのは何だ?
息子には、小学生の頃から武道を教えていた。
ややこしい手順や、相手との関係で動かす手の時は、後ろに回り私が息子の手を持って教えた。
息子は、腕に力を入れず私の動かすママに動いていた。
だからかどうかは断言できないが、大人が首を傾げる難しい動きでも出来るようになるのが早かった。
畑違いのダンスで、素直な動きが出来る若いダンサーがいた。
当時は学生だ。
プロのダンサー達よりも、遥かに自由で伸び伸びと動いていたので驚いたものだ。
こういった人達は、それが出来ない人達と何が違うのだろう。
そんな事を何時も考える。
特殊なことであれば別だが、武道の動きでもダンスでも、アクロバティックなものでなければ、そうそう難しい動きはない。
もちろん、中身は難しいが。
一つ言えるとしたら、変な思考回路を持っているからだろう。
その「変な」というのは、自意識の異常発達だろうと思う。
それが邪魔をして、「そのもの」を考えるのではなく、「自分自身」に焦点を当ててしまうからだ。
だから、身体の動きそのものが余りにもぎこちないのだ。
取り組んでいる「そのもの」を考えられなければ、一体何が出来るようになるのか。
自分を成長させる鍵を、みすみす見逃している事になるのだが。
日曜日の稽古は女性が多かった。
その人達は、最近入門した人ばかりだ。
だから、武道の稽古といっても、構えや形の稽古さえ全部は知らない。
とはいっても、そればかりやると飽きてしまうので、基本的な組稽古もする。
もちろん、基本的な組稽古といっても、そこにはレベルがあり初心者ならこれで良い、から、5年も稽古していたらこれでは駄目、となる。
その女性達を見ていると、自分達で工夫をしながら熟し、結局難しい棒での体重移動を実現していた。
二人共、別段運動が得意ではなさそうだし、筋肉も普通だ。
工夫の仕方と、「がむしゃらさ」に尽きるだろう。
同じように、年配の女性たち2人も実現させた。
男性達は、黙々と稽古をしているが、実現にはいたらなかった。
この違いはどこから来るのか?
「黙々」と「おしゃべり・笑い」だろう。
社会性の差が、稽古でも明暗を分けたということだ。