団塊の世代や、その5,6年後に生まれの人達とは、きっと環境がガラッと変わったのではないかと思う。
1948年に生まれたが、幼稚園や小・中学に行く頃、殆どの親たちは生活をしていくことに精一杯だった。
世間は戦後復興をシャカリキに飛ばしていた。
それが戦後の高度成長へと繋がって行き、1970年の大阪万博で経済的には、一応落ち着いた感じだ。
つまり、私達子供時代の親たちは、「子育て」という言葉も持たず、一心不乱に働いていたのだ。
結果、その姿を見て子供達は、強く逞しく育っていったのだと思う。
「子育て」という言葉が巷に流れるようになったのは、きっと生活が安定し、余裕が出てきたからだろう。
「子育て」は、人類誕生以来続いている当たり前のことだ。
ただ、親が子供に対して、何かしらの期待や、親の思い通りの人生を歩いて欲しいから、必要以上の手をかけるのだ。
「子育て」という言葉自体が間違っている。
子供を育てているのではないからだ。
子供という特殊な人間はいない。
全て社会に出て働き、そして結婚をし子供を育む。
もちろん、結婚しない人もいるだろうし、同性で一緒になる人もいるだろう。
しかし、成人し社会に出ることは共通する。
そこでは、人との関係が全てに絡んでいる。
当たり前だが、無人島で一人で生活し死を迎えるなら話は別だ。
そうなら、一つの過程が子供という時期だ。
当たり前だ。
育てるというならば、そこを目指していなければならない。
もちろん、どんな親でも目指しているだろうが、そこに抜け落ちているのが、「強さ・逞しさ」だ。
こればかりは、全て実践、つまり、子供の環境との兼ね合いだ。
というところで「いじめ」という状況も出てくるのだ。
高齢者講習を受けてきた。
一言で言うと「一体何の講習?」であり「高齢者をバカにしているのか」だ。
TVよりもざっくりした年齢と、運転技術の話。
そして、動体視力の検査と言うので、楽しみにしていたら、確かに動体視力の検査には違いないが、一体運転をしている状態と、どんな関係があるのかさっぱり分からない様な検査だった。
視野の広さの検査もあった。
これら、子供騙しの様な検査は、誰が考えたのか?
多分、どこかに丸投げなのだろう。
それと教官が横に乗っての実技。
それで5.100円。
そうなると、一体これは何に対してどこへ回るお金なのか?となる。
そうか、私達団塊世代が全員、この高齢者講習を受ける事となる。
一人5.100円徴収すれば、とんでもない金額になる。
親が子供の先回りをするから、考える力や挑戦する力が育たないのだ。
もちろん、私自身の子育ての最中にも感じた事だ。
先回りをするのは、全て大人の都合だ。
私自身の子供の頃を、その視点で振り返ると、殆ど先回りをされた事がない。
つまり、大人が答えを教えてくれた事も、方法を教えてくれた事もなかった事に気付いた。
だから、その意味では多分周りの子供達よりも、何もかもが遅れていたのではないかと思う。
字を覚えたり、計算したりも、教えて貰った記憶はない。
だから、基本的に勉強に興味が無い事もあり、小学校の通知簿は5段階評価の2が殆どだった。
しかも通信欄には、毎学期毎学年「日野君にもう少し協調性があったら良いです」つまり、協調性が全くなかったと書かれていた。
そりゃそうだろうと思う。
「皆と仲良くしろ」とは教わっていないし、先に言われた事もないからだ。
その事は、子供を持った時に思い出し、その事を考えて見た。
「仲良く出来る能力が備わらなければ、仲良く出来るはずもない」という事、そしてそれは「独力で生きる力を持つから、誰かを庇ったり擁護でき、仲良くも出来るのだ」と分かった。
つまり、この先回りは、人の持つ強さを根底から壊しているという、いわば犯罪だ。
根本的な事を考えていくと、そんな事にも気づく。
つくづく、小学生から落ちこぼれで良かったと思う。
それは、全く世間の風潮に振り回される事が無い様に育った事でも、振り返って分かる。
単管で組んだ足場が揺れる。
あまり良い気持ちではない。
単管を買い足し、角度を考えて組み加える。
ましになった。
とはいうものの、足場は固定されていないので揺れる。
地山に直接組んでいるので、仕方がないか。
反復練習を考えていた。
実際には反復ではなく、一回の反省点を踏まえて二回目、それを踏まえて三回目となるから厳密には反復ではない。
例えば、5分の曲の中に1小節、3秒のフレーズを入れるとする。
その3秒を延々と練習し、完璧に近い3秒にし、5分の中に入れるのだ。
これが中々手こずるのだ。
意識するから、腕が強張ってしまうのだ。
それを延々と繰り返し、やっと3秒を自然に溶け込ませる事ができる様になる。
懇意にしている宮大工さんは、見習い3年くらいの頃、お寺の修復を手伝った。
親方からカンナ掛けをする様に言われた。
1日何十本を一人でかけたそうだ。
誰も教えてくれないから、自分で工夫をするしかなかったという。
その仕事が後々の役に立っていったことは言うまでもない。
今でもお寺を6軒頼まれているが断っているそうだ。
仕事が出来るとこうなる、ということだ。
そんな話を聞いていると、身体を使った仕事に衰えることはなく、磨きがかかるだけだと改めて確信した。
もちろん、病気になれば仕事は出来ない。
保険もなければ、保証もない。
しかし、大きな病気や事故に会うことはめっそう無いから不思議だ。
「これは一体何の話だろう?」
話している実際は、何かしらのエピソードだったりする。
当然、そのエピソードは誰にでも分かる。
でも、それは一体何を意味しているのか?
そこを考えられなければ、知的もへったくれもない。
また「何の話なのか」には段階がある。
そんな事に気付いていく事が、成長していくという事だ。
つまり、成長は年齢と共にであり、体験と共になのだ。
と、この年齢になれば分かる。
「オタク」という言葉が一時流行った。
自分の殻に閉じ籠っているだけ、という感じなのだろう。
しかし、よくよく考えてみれば、オタクでなければ自分自身を追求しようとは思わないのではないか。
自分の外にある世界。
例えば、経済、政治等々だ。
そちらを追求する人が殆どだ。
もちろん、だから経済が周り私は生活出来ているのだ。
その意味では、私もオタクだ。
ただ、自分を追求しているのは、世間や歴史との兼ね合いだ。
たまたま、ここのバランスが良かったのかもしれないと思う。
妻は私のことを「挙動不審者」だという。
そう、どこにいても自分の世界に入ってしまうからだ。
時間があれば、武道の世界、音楽の世界に入ってしまう。
そうなると、周りとは完全に隔離状態、遮断状態になる。
世間から見ると、挙動不審者そのものなのだ。