東京は、熊野よりも暖かい。
氷点下の山だからしかたがない。
結局、水は水圧が弱くてタンクまで届かなかった
。次に帰る時は、別の水源でタンクに給水して来よう。
今日は、原田先生と喫煙の出来る喫茶店でお茶をした。
「名医以外必要ないやろ?」そんな話で盛り上がった。
原田先生との話は発展するし深化するから面白い。
意外なことを思い出したりもする。
そんなことを考えると、会話は人にとって重要な遊びだ。
くだらない話から深い話に突然飛んだり、そのまた逆だったり。
会話を楽しめていたら、ボケる事など無いのではないかと思う。
ボケると言えば、今日熊野から飛行場に向かう途中で、ふと「ここどこを走っているんや、どこへ行くんや」と言ったので、妻は驚いて「どうしたん?」と真顔になっていた。
完全に、頭の中は別の事を考えていたからだ。
それを妻が聞いてホッとしていた。
こうなるのも近いかもな。
「ここはどこ?私は誰?」
「アキちゃん、世間は自分の都合通りにはいけへんで」この言葉を思い出した。
15.6歳の時だ。
ガキだから仕方がない。
どんな経緯で、この言葉を聞いたのかは忘れたが、確か母のお弟子さんからだったと思う。
ヤンチャばかりしていたので、お弟子さんまで私のことを心配してくれていたのだ。
これを書いていて思い出した。
「世間は自分の都合通りにはいかない」この言葉は、武道と同じだ。
基本的に武道の道に入る事になっていたのだろうと、それこそ都合よく思っている。
この言葉はこの時の私に火を付けてくれた。
「都合通りにいかないのなら行くようにしたるわ」となったのだ。
これは、後々に「自由とは何か?」を考えだすキッカケになった言葉だろうと思う。
都合通りにする為には、自分の置かれている環境を考えなければいけない。
小さくは職場だ。
そこでの人の関係や力関係等々だ。
それらを把握して、自分がその環境でどうしたいのかを実現させる、その為に何をどうしなければならないのかを考え出したのだ。
まずは、実力だ。
これがなければ話にならない。
指示された事を誰よりも早く出来るようになる事。
それを心がけた。
結果、色々な仕事をしてきたが、どの職場でもそれなりの立場を獲得出来た。
もちろん、立場には何の興味もなく、「自分の都合通りに行く」が目的だから、立場が出来たらさっさと辞めた。
「行くヤンけ!」
気が付けば11時30分。
もちろん夜だ。
久しぶりに熊野で稽古をした。
といっても、高校の空手部の顧問が差し入れを持って訪ねてくれた流れでだ。
社会の教師で、日本史を面白く語ってくれる。
こんな授業なら生徒はきっと楽しく学べるだろうと思わせてくれる。
「えっほんまはそうやったん!」
昨日は、豊臣秀吉の朝鮮征伐の話。
「あれは全部嘘、実は豊臣秀吉は、世界制覇を狙っていて、当時のスペイン国王に書簡を送り『勝負しよ』と申し込んでいたそうだ。
朝鮮は隣国の明を制覇する為の通り道だっただけで、、、、、
「ええ〜〜〜、そうなんや」
どうして、そんな史実を教科書に載せないのだろう?
こんなアホ見たいな事をしているのは世界で日本だけだ。
3月に空手部は全国大会に出場する。
何でも残り数十秒が勝負らしい。
そこの入り方を工夫した。
「これだけで行けるで」
大会が迫っているので、難しい事は出来ない。
私お得意の「であれば」だ。
その稽古も終わると、変化の稽古を延々と続け、最後は自由に。
型の重要性や練り方も稽古。
気が付けば11時30分だった。
「大阪・明鏡塾」6期2回目だった。
緊急事態宣言下ということもあり、こちらも少ないメンバーで、ゆったり密度濃い講座だった。
東京明鏡塾とのズーム交換の話をすると、無茶苦茶盛り上がった。
講座の内容ではなく、会話そのものの標準語と大阪弁のかみ合わせの事だ。
しょうもない話は盛り上がる。
ここが会話や場にとって大事な事だ。
うんこの話が出た。
「うんこで喜ぶのは小学生やろ」
そんなしょうもない話だ。
そしてそれは、その場でしか出来ないので稽古は出来ないし、マニュアルもない。
しかし、それは、医療の現場と同じだ。
マニュアル通りの病人や患者さんなどいる筈もない。
全ては現場で学ぶしかないのだ。
そして、現場は毎日どこでもだ。
「これは、こうします」と見本を見せる。
すると「こんなイメージですか」と問う人がいる。
そんな場合、「なんでイメージがいるの?見たままや」という。
その癖が、そのものをそのままに、が崩れてしまう元だ。
しかし、大方の場合は「そうや、そんなイメージや」と答える。
深くは無い人に、ちゃんとしたことを説明しても、聞く耳を持たないからだ。
それよりも、一生懸命にやっている人に、ちゃんと伝える方が効率的だ。
いわゆる高学歴と呼ばれる人で、小さな子供の頃、親や周りの大人から叱られた事のある人はいるのだろうか?
また、こんな場合もある。
自分が子供の頃苦労したから、子供には苦労をさせないように育てる親、育てようとしている親は沢山いると思う。
その意味が全く分からない、私の理解の範疇を超えすぎているからだ。
自分は苦労をした。
「本当か?」
というのは、何が苦労だったのかを問うた事があるのか?
苦労とは何か?を問うた事があるのか?だ。
それは、それを味わった時期、単に「辛かっただけ・しんどく感じただけ」なのではないか?
つまり、後々の事を考える余裕がなかったり、思考が浅かっただけなのではないか?
何を言いたいのかというと、実は、その苦労を経過したことで、自分はそうではない状況や状態を手に入れた。
そして、状況や状態を手に入れただけではなく、その苦労をものともしない気持ちの強さや、工夫をするという実際を体得している筈だ。
そこを抜かしてしまうから、「辛かったこと」だけが記憶の中で浮き彫りになり、「同じ苦労はさせたくない」となっているのではないか、なのだ。
それこそ「おしん」ではないが、そのまま老いていったのなら果てしなく辛い話だが、「子供に苦労をさせたくない」というレベルになっている人は、そこを考える必要があるのだ。
どうして、こんな事を考えるのかというと、躾や体罰、その他諸々の、子供に対する教育が、完全に間違っていると感じるからだ。
もちろん、大人が作り出している風潮も同様に、完全に間違っていると感じる。
それは、「人を弱くする・変化に対応できない」人を輩出するだけだからだ。
敢えて言うと「子供には苦労をさせたくない」というのは、現実や人の成長を見ない、自己満足でしかないのだ。
「これで良いですか」と聞かれる。
「あかんよ」と答える。
意識を含んだ身体技術に関しては、良否の判定が難しい。
難しいというのは、技術そのものの事もあるし、身に付き具合の事もある。
意識の変化もあるからだ。
また、その時だけ出来ていることを「良し」とは言わないというのもある。
だから、体重移動で、相手が倒れたら「良し」なのではない。
体重移動の技術が身に付いたら「良し」だ。
同時に「これで良いですか」という質問が無くなれば、ある意味で「良し」でもある。
もちろん、身に付いていたら質問も無くなる。
それは「出来たから」なのではない。
「どう考えれば良いのか」が体得されて来たからだ。
また、質問が無くなるのは、自分の何が駄目なのかに気付き始めた証拠だから「良し」なのだ。
つまり、質問が無くなる原因として、一つに体感覚が良くなったから。
一つに、何を目指さなければいけないのかが、その人なりに見えてきたからだ。
だから、そういった事を質問する内は、全て駄目だということだ。
駄目だし慣れ、否定され慣れしていない人は、きっと単純に「ダメ出しをされたから駄目なのだ」となるのだろう。
しかも、そのダメ出しは、「全否定」だと思い込んでしまう事もあるのだろう。
誰も「あなた」の事を否定しているのではない。
あなたの上に乗っかっている「技術が未熟なだけ」なのだ。
こういった当たり前の事も、当たり前ではないように育つのは、不幸極まりない。
どんな親や、どんな教育の中で育ったのか、また、どんな社会環境にいるのか、ほんと心配になってくる。
武道の一つの型は、思想であり哲学でもある。
例えば、一刀流とした時、それを開いた開祖の体験であり、その体験を後に紐解いて体系化、あるいは形式化したもの、それが「一刀流の型」である。
もちろん、この事は武道を探求する中で、30年ほど前に気付いていったものだ。
しかし、先日中国拳法の形意拳の動画を何気なく見ていた時、改めてそのことに気付き、同時に私のやっている事にも気付いた。
もちろん、これも30年ほど前に気付いたものだ。
形意拳の動きは、私のやっている動きと似ている。
もちろん、似ているだけで中身は全く違う。
その違いは何だろう?と見ていたのだ。
動きの不自然さが目に付き、その不自然さから、「形意拳」という考え方とそのレベルが見えたのだ。
私のやっている事は、先ほどの流派やその流派の思想や哲学を超え、純粋に「人間身体」としての運動、そして、その運動を司る個人の考え方や価値観、そして癖を取っ払った、純粋な「人間身体」としての動きを探求しているのだと、改めて気付いたのだ。
つまり、武道を人間身体の普遍的な動きとして探求しているという事だ。
これは、私にとって今更の事なのだが、その事が改めてより現実になったという話だ。
しかし、この「より現実になった」という気付きは、相当大事な事だ。
というのは、武道の探求で色々気付き、そして、実際にその事をやっているのだが、そういった蓄積が一つに整理され、その整理されたものが頭を飛び出し、現実とくっついた状態になったということだ。
ということは、30年前に気付き、その気付いた事を「問題視」し、それを解決するのに30年かかったということだ。
それは、30年かかったという時間的な事なのだが、その過程を踏まなければ「より現実になった」という体感が得られなかったのだ。
ここで大事なのは30年という時間ではなく、山のように問題視(気付いた)した事柄があったということで、それを整理したのではなく、整理されるのに、という事だ。
という具合に、人は幾つ何十歳になっても成長する、あるいは上達するという事でもあるのだ。
2021年初頭の気付きは、私としては相当面白い。