突発的な出来事との遭遇が、一番自分の実力、つまり、自分自身の全てが赤裸々に現れる。
その意味で、私はその「突発的な出来事」に遭遇するのが好きだ。
今回スズメバチに襲撃された。
これ自身は、73年生きていて初めての出来事だ。
過去一度だけクマンバチ一匹に狙われた事がある。
「何とかする」が私の信条なので、何とかした。
今回もそうだ、何とかした。
しかし、その「何とかした」過程を冷静に振り返ると穴が見える。
何よりも、スズメバチの巣の真下に居た事が原因だ。
それも含めて「突発的な出来事」にしてしまったのだ。
基本的な穴が、73年生きていてもある、あるいは、治らないということだ。
ま、それも「それがどうした」だ。
昨日は、とにかく眠くなり殆ど横になっていた。
今日は刺された刺激はなく、痒みだけになっている。
でも何となく怠く眠たい。
熊野に来て40年近くなるが、初めてスズメバチの洗礼を受けた。
仲良くしている村の人に聞くと、血管に刺されたら一刺しでも危ないらしい。
その人は数時間後に唇の色まで消え、病院に担ぎ込まれたそうだ。
そうならなかったのは、ほんと不幸中の幸いだとしか言いようがない。
左手は蜂を握りつぶしたおかげで刺されていて、ふっくらした手になっている。
後から屋根を見てみると、確かにスズメバチの巣がある。
私は雨漏りはどこか?にしか注意が向いていなかったので、蜂が飛んでいても気にも止めてなかった。これが原因だ。
「人は見たいものしか見ない」そのものだ。
という具合に、色々な場面で「見たいものしか見ない」現象を作っているのが人間だ。
当然、凸凹になる。
その意味で「準備は出来ているのか?」と、一歩下がる必要がある。
人は幾つになっても完成しないのだろうし、きっと完成する必要もないのだろう。
もちろん、人の完成って何だ?という問題がある。
とはいうが、それとて「言葉」であり、観念でしかない。
そこに振り回されたらドツボから抜け出せなくなる。
考えなくても良い事を考えて、考えなければならないことを考えなくなる、ということだからだ。
昨日は、とにかく眠くなり殆ど横になっていた。
今日は刺された刺激はなく、痒みだけになっている。
でも何となく怠く眠たい。
熊野に来て40年近くなるが、初めてスズメバチの洗礼を受けた。
仲良くしている村の人に聞くと、血管に刺されたら一刺しでも危ないらしい。
その人は数時間後に唇の色まで消え、病院に担ぎ込まれたそうだ。
そうならなかったのは、ほんと不幸中の幸いだとしか言いようがない。
左手は蜂を握りつぶしたおかげで刺されていて、ふっくらした手になっている。
後から屋根を見てみると、確かにスズメバチの巣がある。
私は雨漏りはどこか?にしか注意が向いていなかったので、蜂が飛んでいても気にも止めてなかった。これが原因だ。
「人は見たいものしか見ない」そのものだ。
という具合に、色々な場面で「見たいものしか見ない」現象を作っているのが人間だ。
当然、凸凹になる。
その意味で「準備は出来ているのか?」と、一歩下がる必要がある。
人は幾つになっても完成しないのだろうし、きっと完成する必要もないのだろう。
もちろん、人の完成って何だ?という問題がある。
とはいうが、それとて「言葉」であり、観念でしかない。
そこに振り回されたらドツボから抜け出せなくなる。
考えなくても良い事を考えて、考えなければならないことを考えなくなる、ということだからだ。
今日から孫が道場に来る。
飛行機に一人で乗って東京から白浜まで。
一人で乗り物に乗り、どこかに、は、子供にとって一種の冒険だ。
それも初めてとなると、内心ドキドキだろう。
息子は、小学2年生頃から、一人で大阪まで列車で行けるようにした。
日本は、平和だし本当に悪気のある人は少ないから出来る事だ。
これは、私がやはり小学生1年生の頃から、学校をさぼり知らない道を探索していて、不安ながらも楽しかった思い出があったからやらせてみたのだ。
だからどうなる?のかは分からないが、日常体験では無い体験を小さな頃からやるのは、きっと何かの役に立つと思うからだ。
「何かの」が大事で、この為と目的が定まっているものは面白くも何ともない。
雨が続くが、それなりに楽しみを見つけるだろう。