夕方5時30分、ブリュッセルの稽古は終わった。
前から気になっていたうるさいおっさんのグループ。
うるさいおっさんは先生のようだ。
何の流派かは知らないが、調子に乗って指導をしていた。
こんなおっさんは万国共通だ。
エイミーと顔を合わせて苦笑。
続けて来てくれている人達は、順調に稽古に付いて来るからどんどん難しい条件を出す。
それでも食いついてくるから、やっていて楽しくなる。
そういえば、今日の朝、会場の前で一服していると、深い緑色で2シートのオープンカー、屋根には幌が被っているカッコいい車が止まった。
エイミーとカッコいい車だと話していた。
降りて来たのは、常連さん夫婦だった。
「いい車乗っているね!」と言うと喜んで閉じかけたドアを開けて中を見せてくれた。
何でも、イギリスのハンドメイドだそうだ。
しかし、値段を聞くと100万円しなかったという。
「ほんまかいな」だ。
もちろん、中古車だが。
ブリュッセルは肘と膝に終始した。
いくら古い常連さんでも、出来ていない事は出来ない。
その上に積んでいくやり方だからだ。
その日のいくとろこまで行って、最後は頭に戻る。
そうすると、頭にやった事は、当初出来ていなくても出来るようになっているものだ。
大半はそうなる。
しかし、持論を展開している人は、何をどれだけやっても出来ない。
それが分からないおっさんは何だ?
そんな時に、何時も考えさせられることだ。
どんな人生、どんな仕事をやってきたのだろうと。
もちろん、私自身の事も考える。
その意味では、相当役に立つ人達だということだ。
今から食事に行き、明日はドイツのボンだ。
早朝から大阪明鏡塾へ。
トンボ帰りで東京でパッキング、明日はブリュッセルに。
東京公演の宣伝をしなければ、、、、。
頭はグチャグチャや。
自分のやっている、私で言えば例えばドラム、例えば武道がある。
その事で何かヒントがないかを探す。
しかし、「どんな役に立てたいのか」という具体的な何かが明確でなければ、ヒントを見付けようがない。
よく例に出す「強くなりたい」というような漠然としたことでは、本当に役に立つことを探せない。
それは、まず、自分にとって「強いとはどういうことなのか」を、明確にすることだ。
明確にすると、何が必要なのかが見えてくる。
ここに相当の時間と労力をかけなければいけない。
おおよそのまま、漠然としたまま一歩進むと回遊魚状態になってしまう。
それは自分自身が混乱している証拠でもある。
例えば、何か着るものが欲しいと思って、店に入る。
しかし、「どんなものを」が決まっていなければ、目移りして決められない。
それと同じだ。
私は、往々にして日常生活ではこれだ。
その理由はいたって簡単だ。
「どれでも良い」と思っているからだ。
そのことで労力を使うよりも、考えていることやっていることに労力を使いたいから、どうだって良い、にしているのだ。
とはいっても、店で売っているものは気に食わないから、どうだって良い、になっていることも多い。
店では、流行りのものしか置いていない、売れるものしか置いていないからだ。
その店独自の、という姿勢が、本当に少なくなっている。
「売れたらなんでも良い」という姿勢しか見えないのだ。
売れなくても、私の店はこのスタイルでいく、という気骨のある姿勢が無くなっているのだ。
もちろん、売れなければ店は潰れる。
これは当たり前のことだが、ここで「潰れないように」が目的になってしまった時に「売れたらなんでも良い」に日和ってしまうのだ。
逆に、自分のスタイルを絶対に維持する、貫くという気概が大事なのだ。
その事がお客さんに伝わった時、つまり、情熱が伝わった時、そのスタイルに特定のお客さんがついてくるのだ。
どんなことでも、自分の姿勢を作り出す事が大事なのだ。
自分の人生なのだから。
昔から「腰の低い人には用心しろ」という。
当時は、商売人を指して言った言葉だろうと思う。
これも「相手に舐められる」と同様の手口だ。
言葉を変えれば「低姿勢」だ。
これは、世の中を渡る為の最高の武器でもある。
もちろん、世の中を渡る武器を細かく言えば、「大きな声で返事や挨拶が出来る」「お尻が軽い(すぐ行動に移れる)」等がある。
この「腰の低い人には〜」は、社会に出てから何時も頭にあった。
しかし、ガキの頃は、コロッとこの手に乗ってしまい、言わなくても良いことを話したり、偉そうに話した事があった。
それを思い出し、後日「しまった!」と思ったものだ。
そう言ったことを沢山体験しているから、20歳代に入ってからは、絶対にどんな相手にでも「下から出る」ようにしていった。
同時に、程度の低い人の「低姿勢」は見破れるようになった。
人は偉そうにしたい、あるいは肯定して欲しいものなのだ、ということを、体験的に知っていけたから、逆にむやみに肯定するレベルの低さも見えるようになった。
音楽の世界は分からないが、武道の世界で素晴らしい先生の共通点は腰が低いことだ。
それは、決して手段では無く、その人のお人柄なのだと感じる。
今でこそ、私は71歳になり、武道での年長の人とのお付き合いは、数える程しかいない。
その数少ないお一人は武神館の初見宗家だ。
私は先生の弟子ではないにも関わらず、本当に垣根を超えて接して下さっている。
私が初見宗家から学んだのはこれだ。
20数年前に初めてお会いする機会を得た。
そこから5,6年は、海外でのワークショップへ自費で押しかけた。
どんな時でも、初見宗家は私への態度を変えない。
決して慣れて疎かになるという事はないのだ。
これは私が絶対に見習はないといけないと思った事だ。
死ぬまで「低姿勢」でいこう。
という具合に、人生で学べる事はいくらでもある。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ
天邪鬼転じて「全てを疑え」という考え方を持てた。
もちろん、その「全てを」というのは、自分自身も含めての話だ。
例えば、道場で稽古をする。そこで難しい技をする。
その場合、私は道場に来る人達の先生という立場だ。
だから、無意識的に「先生と生徒」あるいは「師匠と弟子」という関係性が出来ているという事だ。
つまり、生徒や弟子側には、暗黙の内の気遣いが芽生えているという事だ。
もちろん、稽古はそこを通り越すように注意はしている。
しかし、どこまでいっても関係性が消える事はない。
だから、その関係性が悪い、間違っているということではない。
そこをしっかりと抑えておかなければ、知らない間に自分自身が裸の王様になっているからだ。
例えば、人から褒められるとする。
私は、「その人は、私のことをそう感じてくれただけ」と解釈している。
つまり、その人が褒めたことと、私とは一切関係がありません、という立場だ。
関係があるのは、私の何がしかの行為や行動と、褒めた人がそれを見た、あるいは体感した何かであって、私そのものではないのだ。
ドラムを叩きまくる。それを見てくれた人、聞いてくれた人が「良かった」と言ってくれる。
それは単純に嬉しい。
がしかし、聞いて見た人が何らかの反応を示してくれた事が嬉しいのであって、ドラムの演奏が良かったから、と思うのではないという事だ。
「疑う」という考え方は、決してニヒリズムではない。
「疑う」からこそ、探求の姿勢を持つ事が出来るのだ。
「ほんまかいな」「それは違うやろ」私にとっては宝の言葉なのだ。
私は時代に迎合しないししたくない。
時代を超えたいだけだ。
「守る」という側面は、戦いにおいては重要な事だ。
だが、本筋で「守る」となれば、負ける可能性が高くなる。
戦国時代などの戦を参考にすれば、一目瞭然だ。
そこには「攻める」も同時にあるから、「守る」は有効なのだ。
「私は、このままで良い」という言葉を、その言葉なりに考えると、時間が進んでも自分はその場に留まっている、という状態のことだ。
という事は、過去に生きるというのと、さほど変わらない。
だから、時間と共に生きるというのは、別に普通のことだ。
人生は戦争では無いから、何を攻めるのか?となる。
逆に、では何を守るのか?も考えなければいけない。
私は一応「生命」だと考えている。
決して仕事や、生活やその他の諸々では無い。
生命だとした時に、では病気からも守らなければならないのでは、となるかもしれない。
もちろん、病気にならないに越した事はない。
しかし、病気になっても良い。
そんなことよりも、自分は何が出来るのか、何をしなければならないのかが大事だ。
そこから考えれば、それ以外の事はどうだって良い事だ。
もちろん、老化もする。
71歳だから老人だ。
老人手帳も持っているし、僅かだが年金も貰っている。
しかし、そのことと、私の何が出来るのかは別の事だ。
その何が出来るのか、何をしなければならないのか、というところが攻めるところだ。
老化という言葉も、老人という言葉、アンチエージングという言葉も嫌いだ。
その言葉を持つ事で、甘んじてしまうからだ。
死ぬまで攻めたるで!