結局のところ、価値観の異なる人、価値観すら持たない人と、言葉でも交わる事はない。
そう考えると、何時も思っている「人は理解し合えない」が浮き彫りになる。
そこで、理解し合う努力をどれだけしているのか、だけが唯一の取っ掛かりだ。
この「どれだけ」という内的運動の大きい小さいが、理解や共感の有無に繋がっていくのだ。
だから「額に汗して話せ、聴け」になるのだ。
人の持つ感情に反応出来ない人は、前に書いたように沢山いる。
その人達は、上っ面の言葉しか分からない。
当然、自分で物事を考えるという事をしない。
だから、その人が知らない単語、知らない出来事、知らない言い回しに出会った時、必ず質問をする。
自分では考えないのだ。
知らない単語といっても、それは話の流れの中にあるものだから、その単語の前後を考えれば分かることの方が多い。
また、そういった人は冗談もシャレも分からない。
だから、冗談も、シャレも通じないから「それは何ですか?」と質問をするし、その質問は絶対に正しいと信じて疑わない。
だから、冗談にもシャレにもならない。
この高級な文化を全く身に付けていないのだ。
私は英語は分からないし話せない。
ビジネス系の人と話をすると、やたらと横文字を使う。
その横文字を理解出来ないが、話の前後で「こういうことか」と分かる。
私が質問をしない理由が一つある。
話す人の流れを途切れさせたくないからだ。
そして、私としても話の全容を感じ取るので、絶対中断させないのだ。
もちろん、余りにも混乱している話は別だが。
「僕は座長の求めているもの以上を出す。これをモットーにおいているので、何としても良いものを作りたい。そうじゃないと、呼んでもらっている意味がない。プロの和太鼓奏者として、「これで良いやろう」というのはプライドが許さない。」
何時の間に、こんな事を言えるようになったのだろう?と思う。
実際は「何時の間に」ではない。
それ相応の時間を経過して生きている。
息子も42歳だから当たり前だ。
その経過の中には、様々な体験の蓄積がある。
そんな事を改めて認識させてくれた言葉だ。
親は子供を子供だと勝手に思い続けているから、外の姿はまるっきり見えないし見た事がない。
私に限って、とこれまた普通に思っているのかもしれない。
しかしこの言葉は、まるでドラマー現役の時の私だ。
その気概を持っているから、ショーを展開するタレントさん達から喜ばれた。
ジャズ云々ではない。
逆にジャズといった時、そういった関係が見えない。
だから、「これは違う」になっていったのだ。
まるで、クラシック音楽のような演奏会やライブ。
「なんじゃ、これ?」だ。
そんな音を押し入れ演奏と私は呼ぶ。
つまり、一人で勝手にやっておけ、だ。
一体、誰に向かって誰と音を出しているのか?
そういう事をジャズから感じるから、どんどんフリーの方向に歩いていったのだ。
その意味では、今回の共演は楽しみでもある。
その「何としても良いものを作りたい」という思いを持つ、親子が音を出すのだからだ。
世の中を見渡していると、耳障りの良い言葉が溢れている。
商品に対して、あるいは、学ぶものに対して付けられている、いわゆるキャッチコピー的な言葉だ。
耳障りが良いというのは、ある意味で「その気になれる」ということだろうと思う。
だから、耳からの癒し効果があるのかもしれない、とも思う。
耳障りの良い言葉はイメージを持ちやすい。
だから、その言葉に惹かれるのだろうと思う。
しかし、耳障りの良い言葉というのは、どこまでいっても耳障りの良い言葉であって、実体が存在しないということだ。
だから、「誰でも」その気になれたりイメージを持ちやすい、つまり、空想に実体があるということだ。
武道の実際に対して「誰でも出来る」とあればどうだろう?
誰にでも出来る筈はない、と思わないのだろうか?
もちろん、身体を動かしたり、仮の組手をするくらいは、もしかしたら誰にでも出来るだろう。
私の道場でも、そのレベルで運動として楽しんでいる人はいる。
そのことと武道とは何の関係もない。
道着を着て「その気になれる」という点では間違いない。
ただ、やっていることを武道だと思われたら、それこそ「一体何を言うてるの」となる。
「そのような」であって、「それ」ではないからだ。
つまり、「その気効果」はあるから、それを求める人にはそれで良いが、それ以上、つまり、本当に「武道」と言うことになるとその心構えでは無理だ。
声を出せる、みんなから良い声だと言われる、歌がうまいと言うことと、声楽のプロとは全く違うレベルのこと、と言うのと同じだ。
そこの分かれ道を分からない人が、「その気」だけの人の中に沢山いる。
友達の肩が凝っているのを揉みほぐすのが上手、その程度の人が治療家を名乗っているのだ。
私としては????とならざるを得ない。
世の中どうなっているの?だ。
では、世の中というのは何だ?
と言うことを考えさせてくれるから、こういった状況も私にとっては良いのかもしれないが。
正月3日目。
今日は朝から、東神奈川にある孝道山へ行って来た。
このお寺は、ダンサーの安藤洋子さんのお父さんがお務めになっているお寺だ。
そこで、毎年行われている正月のお祭りに息子一輝の和太鼓を、と頼まれたのを見にいったのだ。
もちろん、3年ぶりになる安藤さんと積もる話をしに行く為でもあった。
息子とは、ここ数ヶ月音楽での込み入った話をしている。
しかし、それは全部話であって実際ではない。
息子も私と似ていて、「やって見なければ分からない」派だ。
今までの話の理解は、実際的にどうなのかを確認する為でもあった。
今日、演奏をして「怖かった」と、そして「過去にこれだけ緊張したことがあったのだろうか」と終わってから話していた。
やっと、本筋へ入って来たという所だ。
怖さ、音を出す怖さ、ここが体感されて来なければ、練り上げるものは無い。
和太鼓を操る技術など、ある意味では数年で出来るだろう。
その証拠に、太鼓衆一気のメンバーなど数年でソロをしたり、イベントで叩いたりしている。
その程度で和太鼓奏者と名乗れるのか、ということなのだが、世の中そんなものだ。
上っ面しか見えないし、そことしか関わらないから、大迫力での演奏であれば「凄い」となるのだ。
別段それが悪いのでは無い。
それを欲している人にとっては、それで十分だ。
しかし、それは音楽では無い。
音楽に入るとしたら、その端っこのローカルな楽器、つまり、色物だ。
もちろん、それでも良い。
本人が、それ以上を求めなければ、それで良い。
しかし、息子の場合は、私の音を聞いたり、一流のダンサー達との接触がある。
だから、音を出しているだけ、譜面を叩いているだけの自分、ということに気づき探求していけるのだ。
そして今日「怖い」という言葉が出た。
その体感こそが成長の糧なのだ。
もちろん、私も何度怖い目にあったか分からない。
だからこそ、その道を歩いていることが分かるのだ。
「これ、ほんまにええんか?」と思う事もあれば「やっぱり凄い」と思う事も有る。
歴史に残る名曲とされるクラシック音楽を聞き「これ、ほんまに名曲か?」と思う。
もちろん、そう感じたのは「私」であって、名曲とされる、そのものとは何の関係もない。
しかし、その名曲を聴いたから、私の感受性が「ほんまに名曲か」とはじき出したのだ。
そういう違和感を感じた時、二つの道を通る事にしている。
一つは、自分の感受性を疑う。
一つは、名曲ではないという根拠を徹底的に探す。
この二つの作業を行うのだ。
自分の感受性を疑った時、自分の持つ良いとしている音楽を改めて検証することから始める。
もちろん、こればかりは誰にとっても主観でしかない。
だから、正しいも間違っているも無い。
しかし、自分としての価値観のブレを無くしたい。
だから、検証するのだ。
とは言っても、その検証すら主観なのだから、何ら客観性は無い。
という、これも遊びだ。
私はゲームというものをした事がない。
ゲームと言えば、インベーダーゲーム機で大儲けをした友人がいた。
その時に見せて貰ったが、何が面白いのか分からなかった。
これも私の主観だ。
だから、インベーダーゲームと何の関係もない。
しかし、こんな時も、「何が面白くないのか」と自分自身の主観を掘り下げてみるのだ。
という遊びが、私にとっては面白いのだ。
「自分が面白いと感じていなければ、やっていることはカス」だ。
その意味では、ゲームを面白いとしている人は最高だ。
名曲ではない根拠、これを探すのは本当に面白い。
そういう性癖を持つ私は、やっぱり根っからの天邪鬼なのだろうと得心する。
歳を取るほどに、ここをもっと徹底してやろうと思う。
いわゆる、物分かりの悪い爺だ。
目指せ、物分かりの悪い爺!
1階の屋根が4棟壊れている。
そこにブルーシートをかけてあったのだが、風に煽られて破れていた。
そこに応急処置を施したが、これからどんどん北風が強くなる。
熊野の道場は、台風の風よりも冬の北風の方が強いから応急処置では間に合わないので心配だ。
そう言えば、その応急処置も色々と考え、最良の方法だと思った手筈で修理にかかった。
しかし、ブルーシートを見て、どうなっているのが最良かと考え直した。
そうすると、一番簡易で素早くできる方法を閃いた。
考えて行動に移る。
その時に頭で何かが起こるのか、何時もそんな具合に、実際にやる段になると閃く事が多い。
色々と後付けで解釈出来るだろうが、最後の最後まで「いや、まだ方法は有るやろ・これは違うだろう」と思っているからだ。
つまり、自分で考え出したことは、最後まで疑っているということだ。
だからこそ、どんなことでも掘り下げていく事が出来るのだろうと思う。
「見る目が変わる」のは、そこに新しい情報が入ったからだ。
しかし、だからこそその情報をどう処理するのか、という問題が起こるのだ。
処理をというのは判断だ。
だが、ここで起こる問題は、自分自身が気付くのかどうかにかかってくる。
つまり、今までの目と変わった目に気付き、それはどう違うのかを徹底的に考え、自分の元々の目を粉砕する必要があるということだ。
ここを放っておくと、その目は元の目に戻る。
残るのは、その時の印象だけだ。
つまり、新しい情報を入れる前の自分、過去の自分のままだということだ。
年齢と共に、そんなことを考える。
そんなことというのは、生きる時間は限られているから、という生命の前提から考えるということだ。
「見る目」ということを考えるようになったのは、私自身が見ているものは何か?と、ふと思ったことから始まる。
例えば、街を歩いていてショーケースが目に留まる。
その時、カッコいいスーツを見ているとする。
その何を見ているのだろう。
そんな疑問が入り口だった。