昨日は、膝に負荷のかかる姿勢ばかりしたので、足はガクガクだ。
2時間タップリと足ばかり。
一人を除いて私よりも遥かに若い外国の人達も音を上げていた。
3.4.5年前の稽古は、それよりもきつかった。
1日中足、1日中突き、日替わりで一つの事を1日中やっていた。
1日中というのは、稽古をやっていない時も考えているのだ。
つまり、起きている時は全部稽古、多分寝ていても考えていただろう。
狂気の時期だ。
こういったことが出来るのも、というかやれるのは、いわゆる普通の生活、給料を貰って生活をするという生活を生きていないからだ。
その意味で、私は究極の日雇いだと思っている。
もちろん、給料を貰った仕事をしていた時期もあるが、それはほんとに数年間だ。
ジャズの時は契約だから私が自由に選択していた。
その意味で、いわゆる普通という感覚は、全く分からないといってもよいくらいだ。
つまり、価値観が全く違うということだ。
だが、この価値観が違うという選択は、人生を賭けなければものにならない。
その意味で、一般的にいう「価値観の多様化」というのは、例えば、自動車の色はあなたが選べます、という程度のもので、一定の価値観の中のものなのだ。
今年、1年遅れの古希ドラム・ソロコンサートをした。
大阪・東京と2箇所で、しかも東京では2回公演だった。
その2回目の演奏は、照明さんが奇跡の舞台だったと唸ってくれた。
ソロを舞台袖からみていた息子が「有り得ない」と驚いていた。
その時の状態、それが「あるがまま」だったろうと思う。
意識的にドラムを叩いていたのではなく、ある種の流れの中に身を置いた感じだった。
だから観客の人達との密接な関係を体感できていたのだ。
どんなことでも、そこに辿り着くのが目標として欲しいものだ。
これこそ、日本の文化の特徴だからだ。
世界広しと言えど、老いる程に研ぎ澄まされていくものがある、という発想のもとに人生を送っているのは日本だけだ。
外国の人には、まず理解されないし、理解して貰う必要など無い。
もちろん、外国の人だけでなく、日本の人でも同じだ。
分からない人には分からないし、分からない人は必要ないのだからそれで良いのだ。
私は個人的にその道を歩いているだけだからだ。
しかし、まだ私は「色気」を持っている。
奇跡的に「あるがまま現象」は起こせるが、完全にその状態ではない。
だから、生きているのが面白いのだ。
「あかんわ、これでは」何時も思う。
どうして工夫が無くなったのか、あるいは少なくなったのか?を考えてみると、私達団塊の世代や、その上の世代からではないかと思う。
工夫とは別に「反骨精神」も、小さくはあっても大きくは無くなってしまってきたのも、この世代からではないかと思う。
それは、学校教育に始まり、学園闘争や安保闘争という学生運動で決まってしまったのではないかと思う。
私達の中学生時代は、校則がかなり厳しかった。
もちろん、今では「馬鹿か」と思われるような校則だ。
この校則が緩んでいったことが、工夫や反骨精神を生まなくなったと考える。
それこそ、丸坊主だったり、女性のスカートの長さ、髪の毛の色等々。
もちろん、今でも残っている学校もあるだろうが、大方がかなり自由になっている。
この自由になっていることが曲者なのだ。
「どうして、スカートの長さと教育は関係あるのか」と声を上げ、学生たちは自由を勝ち取っていった。「そうだろうか?」
勝ち取ったのか、学校側、あるいは政府が反骨精神を摘み取ったのか?だ。
次は夏ギラギラの沖縄ワークショップ
沖縄ワークショップ8月10.11.12日
こころが震えて涙がこみ上げる、それこそ生きている醍醐味だ。
その何か、例えば、音楽、例えばお芝居etc。
その対象は、人によってそれぞれ異なる。
それは別にして、その反応こそが生きている証であり、対象の何かと関係された証拠だ。
「ありのままに、受け入れれば良いのですね」と一言発するだけで、この状態はやってこなくなる。
こころが震えるのに理屈はない。
言葉もない。言葉こそ無いとも言える。
ただただ、こころだけの状態だからだ。
関係そのものの状態だからだ。
これほど美しい瞬間は無い。
その瞬間を持てることが「生きている」ということだ。
「受け入れるってことですね」
どうして、ある種の人は「状態」の事を言語化して、その状態を客観視するのか分からない。
客観視すると、絶対にその状態にはならない。
それは意識的な行為、意図的な行為になるからだ。
だから、意味が分からないのだ。
意味が分からないというのは、状態の中には感情も入っている。
だから情動や感情を揺り動かすような事もあるだろう。
それを自力で乗り越えていくから、それらに支配されてしまう事も少なくなるのだ。
そこを外して、意味や解釈で乗り越えるのは無理だ。
もちろん、取るに足らないことはそれで良いのかもしれない。
しかし、情動は一つの反応だ。
反応というのは信号だと、それこそ受け取っても良い。
その信号を衰えさせていくのがこの「受け入れる」に代表される言葉だ。
ロボット人間への道をひた走っていくということになるのだ。
情動や感情が動くことこそが「生きている」ということなのだが、それに逆行するとはどういうこと?
エネルギーという言葉をよく聞く。
もちろん、意味は分かる。
使っている意味も分かる。
でも、私には分からない。
というよりも、その言葉を使うと迷子になるからだ。
「どうして人と関わるエネルギーがそれほどあるのですか?」と聞かれる。
私は別段普通だ。
ただ、「その人に」と言った時に、本当に「その人に」となるだけだ。
そこに別の何か、例えばエネルギーが有るのでも、必要なのでもない。
動物として普通だ。
つまり、分ける必要のないこと、あるいは、言葉を転換してしまうことで、耳障りは良くなるが、その実体が消えてしまうということだ。
だから、当然「その人に」という当たり前の事が出来なくなるのだ。
次は夏ギラギラの沖縄ワークショップ
沖縄ワークショップ8月10.11.12日
息子からメールが入った。
今はアメリカ・ニューヨークで骨休みをしている。
ブルーノートでロン・カーターを聴いたという。
彼のソロが始まると、客席は水を打ったような静けさになったそうだ。
こんな会話をしている事自体不思議だ。
私はジャズドラマーだったが、一度もニューヨークのジャズシーン、大きく言えば本場アメリカのジャズシーンを体験したことがない。
ボーヤの頃、アメリカに行きたいと思っていた。
お金を貯めて、当時は1ドルが360円の時代だし、ボーヤのギャラは無しだったからだ。
結局、自分の練習や、音楽へのアプローチの試行錯誤が忙しくなり、アメリカ行きは忘れてしまっていた。
どんなことでも「やろう」と思ったら行動をしていたから、この時に行けなかったのは、実は行きたいとは本当には思っていなかったのだろうと思っている。
次は夏ギラギラの沖縄ワークショップ
沖縄ワークショップ8月10.11.12日
若くて、何も分からない時に外国を体験するのが良いのか、ある程度比較できるものを持って外国へ行くのが良いのか、それは誰にも分からない。
どっちでも良いのだろうとは思う。
結局、私はジャズとか音楽ではなく、武道やダンスの指導にヨーロッパに行っている。
これも面白いことだと思う。
息子とのやり取りの中で、武道を深く追求しているから音楽への感性は深くなったといった。
これは、本当にその通りで、現役時代よりも音楽的な感性になっていると自覚できる。
いずれにしても、取り組んだ物事をどれだけ掘り下げる事ができるか、掘り下げたいか。
そんな事が自分自身の感性を豊かにし、自分自身を豊かにするのだ。
「日野先生は日本刀が似合いますね」
これは、初見宗家のお弟子さんの言葉だ。
先日、久しぶりに武神館初見宗家にお会いしに行った。
御年88歳で、未だに稽古を付けておられる姿に感動すら覚える。
海外から宗家の稽古を受けにきている、大きな身体の人達を手球に取る姿は、全く衰えていない。
お声も相変わらず、道場に響き渡る力強い声だ。
これらの一挙手一投足が、私のお手本となっている。
しかし、その姿を見ていると「私には無理」と思ってしまう。
初見宗家の世代の人と、私の世代では「人」そのものの強さがまるで違うと感じる。
4年前にお亡くなりになった、ジャズピアノの田中武久さんも生きていれば、宗家と同い年になる。
田中さんも80歳の頃は、丼鉢でご飯を食べていた。
「田中さんの元気は、私には無理です」と大笑いしたこともあった。
どういうわけか、日本人は世代ごとに弱くなっていると感じる。
稽古を終え、刀や槍等を拝見することになった。
広い道場に所狭しと置かれている刀剣や武具。
その真中に座り、珍しい刀類を見せていただいた。
どれもこれも、手にしっくりと馴染む。
このしっくり感は、現代の刀には無いものだ。
現代の刀匠達も素晴らしいのだが、残念ながらこのしっくり感やバランスは出ないだろう。
20数年前、お付き合いさせて貰っていた、合気道熊野道場の砥島先生。
開祖植芝翁から合気道用の木刀の製作を任されていたそうだ。
その砥島先生の遺品となった棒と木刀がある。
その棒のしっくり感に、驚いたものだ。
そのしっくり感古刀を構えた時にが甦った。
拵えの見事さ。
どれだけの遊び心があったのだろうと思われるデザイン。
「これこそ日本だ」と刀を構えながら感じ入った。
日本が凝縮して、この一振りの刀に有る、そんなことを思わす刀の数々だった。
お弟子さんが「日野先生の顔が変わりますね、思わず笑うでしょう」と同じような笑いを浮かべながら、それぞれの刀の説明をしてくれた。
それらの刀は戦国の世を駆け抜けたものから、太平の世になり作られたもの様々だ。
しかし、その時代に有り、その時代の人が愛用していたのには間違いがない。
柄を握った時、何とも表現できないしっくり感は、その時代に愛用していた人が感じたしっくり感であって欲しい。
でないと、武道を稽古して来た意味がない。
次は夏ギラギラの沖縄ワークショップ
沖縄ワークショップ8月10.11.12日
「見る目」とは何か?と何時も思う。
稽古をする時、受講している人は、私を見る。
しかし、受講している人が私の「何を」見ているのかは、私には分からない。
Youtubeなど動画で、私の動きと似た動きはいくらでもある。
しかし、どちらが良いか悪いかではなく、似たような動き全部が「やっていることが違う」のだ。
当たり前だ、人が違うから全て違って当然だ。
そして、それぞれの人の目指すことに比例した「もの」が、身体の動きとして現れているからだ。
そこで、あまり身体操作を知らない人は、「これは日野とやっていることは同じだ」とすることもある。
もちろん、「それは違う」と注意をする必要もないししない。
否定も肯定もしないのだ。
それが「同じだ」とした人の眼力だからだ。
しかし、10年以上私から習っていて、「レベルが違う」ということを見抜けないということを知ると愕然とする。
もちろん、私自身を素晴らしいと言っているのではない。
身体操作の要素が違うということだ。
同時に、「見る目」という能力を形成する難しさを痛感する。
「見る目」を養うことで、鋭い違和感という感覚を練磨出来るという考え方は間違っているのかな?とも思ってしまう。
絵に興味のない人が、北斎やシャガールを見ても、猫に小判だ。
刀剣に興味のない人が、村正や孫六を見ても良さが分からない。
結局は、どれだけの逸品が目の前にあっても、その人自身が目指している方向やレベルでしか、見えない分からないものなのだ。
だから常にいうのは、そこに「それがあるのではない」、自分がそれを見つけ出せるレベルにならない限り「逸品は無い」のだと。