「遊び」がどんどんエスカレートしていくと、全く別のアイディアが浮かんで来ることがある。
きっと、行動を縛っている要素がないからだ。
「遊ぶ」とはそういうものだ。
ベーシストに言われた「日野君、もっと遊んで」は、後々考えると、ピアノトリオのパターンやそのベーシストが持つ遊びのパターンを、私が演奏しなかったからだろうと思った。
それを考えると、それはすでに遊びでもなければ即興でもない。
ただの「知っている事」「引き出しに入っている事」だ。
ある時、トラの仕事でアルトがボスのクァルテットだった。
そのアルトは、私のボーヤ時代から「凄いアルトや!」とある種憧れていた人だった。
さらに、ピアノは若手ではピカ一と言われていた奴だ。
面子を見て思わず身震いした。
もちろん、嬉しくてだ。
1回目のステージが始まった。
その辺りの詳しい事は忘れてしまったが、今でも覚えている事がある。
憧れのアルトのアドリブが終わりピアノに繋いだ。
そこから始まった。ピアノが難解なフレーズで攻めて来たのだ。
「おっと、いきなりかい」という感じで、単純だが数えにくいフレーズで応酬した。
ピアノも負けじとそこから展開、私もどんどんエスカレートしていった。
結局、最後はピアノと顔を見合わせて、「今、どこ?」とニヤリ。
そこにアルトが絡んで来て事なきをえた。
このやり取りは、コンサートなら観客が盛り上がるところだが、お酒を飲むナイトクラブでは何も起こらない。
でも、演奏が終わってからバンドのメンバーと盛り上がった。
これがジャズの武者修行だ。
「その時」に書いた文章を振り返ってみる。
例えば、原稿などだ。
「そうか、ここはこう書けば良かった」と思う。
時間というのは、そういう効果を引き出してくれるものだ。
だから、その時のそれは間違っていたのではなく、「その時」なのだ。
自分の演奏を観る、「あかんわ、これ」
この「その時」と、その後の視点の違いは、多分より客観になっているということだろう。
今日、古希のコンサートから9か月。
DVDが上がって来た。
昨年6月東京コンサートだ。
昼夜2回公演の2回目だったので、何とはなしに疲れているかな?という感じがした。
10年前還暦コンサートの時よりも「私」という感じがした。
年月がそうさせているのか、武道の稽古がそうさせたのか、その辺りは定かではないが、確かに違う。
もちろん、コンサート当日の私の自覚としても、10年前とは違う私だった。
演奏に関しては、コンサートを決めてから課題を設けた。
もちろん、その課題はハードルが高すぎて実際には消化していない。
時間が足りなさ過ぎだ、しかし、それがイラつく。
「あかんわ、これ」だ。
しかし、演奏の実際、コンサート会場では250名のお客さんは、大盛り上がりを見せてくれた。
還暦コンサートを見た人からは、「今日の方が良かったです」と感想を貰った。
○ 初めての体験で驚いています。ドラムの音一つ一つが、こんなに自分の身体に突き刺さる
ような感覚は初めてです。単純にこんなに凄くドラムを叩き続ける日野さんは何者?ドラム
でこんなに表現ができるなんて全てが驚きです!
子供も喜んではしゃいだり、逆に私を息を凝らして凝視していたそうだ。
大音量で聞くと、相当楽しめる。
コロナで一寸塞ぎ気味のみなさん。
DVDで古希のおっさんのぶっ叩き、堂本光一さんの舞台に出ている和太鼓奏者、息子の日野一輝との共演も相当楽しめますよ。
ぜひ、この機会に一枚どうぞ。
ただし、100枚限定ですので、、、、
こうしてworkshopを続けていると、つくづく「身体操作」と「理解」の差というか開きを感じる。
何時も書く「分かった」→「出来る」という間違いというか、誤解というか、そういった言葉と実際の違いや言葉と実現の間に段階があることを知らない人が多い事に驚く。
机上の事なら、問題→考える→答え(実現)で良い。
しかし、問題→身体で答える、ということになると、身体で答えられる「身体」でなければならない。
そこが理解出来ていないのだ。
もちろん、日常なら大方の人は無条件で答えを出している。
しかし、日常ではない問題の場合、残念ながら日常の延長線の上に答えを出せる身体は無い。
ここ数年は、そんな話がワークショップの中心になっている事に気付く。
今日は、岡山ワークショップ最終日だ。
スタジオが広いので飛び込みも大丈夫ですよ。
■ワークショップのお知らせ
岡山1月11,12,13日
岡山・沖縄
今日は、朝から東京でのドラムソロコンサートの音源を整えた。
もちろん、スタジオに籠もってプロがやってくれたのだが。
そこで使っている機器の数々は、見事に邪魔なノイズを除去してくれる。
結果、臨場感溢れる音になり、映像が生きてきた。
その意味では、ライブで観た人の印象とは異なる。
そこが映像作家の腕でありセンスだ。
DVDの予約をしてくれた皆さん、お待たせしました。
後は、パッケージの印刷とダビングだけです。
限定100枚しかありませんので欲しい方はクリックして下さい。
といっても、まだお申し込みフォームはまだ。
明日には出来ます!
■ワークショップのお知らせ
東京11月28,29,30日12月1日
東京・岡山・沖縄
終わった。
全部終わった。
ではどうだったのか?
それはどうでも良い。
とにかく終わった。
今から打ち上げ会場へ向かう。
本土から本当に50名足らずの人が来てくれ、沖縄の人が200名を越し、名嘉睦稔さんも喜瀬先生も来てくれて、大いに喜んでくれた。
沖縄の子供達は、驚く程素直に反応し身体一杯にその喜びを表現してくれた。それらが何よりもこのコンサートの目的達成を実感させてくれた。
打ち上げは定刻午前1時に終了。
皆名残惜しいのだが、代行がどんどん到着するので、後ろ髪を引かれる思いで解散となった。
終わった。
明日は初石垣島、そして西表島へジャングルを楽しみに行くことになっている。
小休止。
■ワークショップのお知らせ
東京11月28,29,30日12月1日
東京・岡山・沖縄
沖縄空港を降りたら夏だった。
10℃の熊野から27℃の沖縄。
これは、もしかしたら逆に咳はいっぺんに収まるかもしれない。
とにかく夏だ。
北谷にある新しいコンドミニアムが、今回の宿舎だ。
海が見え、気分的にゆったりできる。
リゾート気分になってしまったら、身体は緩んでしまうから用心しよう。
明日は、11時に迎えが来てブランチ。
13時入り。
そこから戦争だ。
現地スタッフの人達は、最後の集客に顔色を変えて頑張ってくれている。
沖縄では、ワークショップを受講してくれている人、一部空手をやる人、くらいしか知名度の無い私のチケットを売るのは至難の業だ。
そんな頑張りが嬉しい。
よっしゃ!
明日や。
ドラムセットを自動車に積み込んだ。
忘れ物の点検。
くそ重たいスタンド類は現地調達を頼んだ。
明日は10時過ぎには沖縄に着く。
どうするの?
一輝は本土から生徒さんが来ているから観光だ。
とにかく、身体を動くように調節が一番だろう。
昔、プロダクションの仕事をしていた時は、ツアーばかりだった。
それはそれで楽しくもあった。
何しろ同年代のミュージシャンとの移動だから、修学旅行のようなものだ。
しかし、移動で一番しんどいのと忘れ物が多いのがドラムだ。
セット一式を積んだりセッティングしたりだからだ。
それで一度、ひどいぎっくり腰になった時がある。
梅田のナイトクラブでクリスマスパーティの仕事をし、その足で外国の人達が集まる神戸の北野クラブでのオールナイトパーティというスケジュールだった。
梅田のナイトクラブを終え、セットを片付けている時に、「アッ」となり動けなくなったのだ。
でもスケジュールがある。
皆に手伝って貰って、セットを片付け、北野クラブでセッティングし、2人に肩をかりてドラムセットに座る。
不思議と演奏は腰には響かなかった。
ステージを終えると、2人に肩をかりてセッティングを下り、別室でうめき声を上げていた。
もちろん、意地でも穴を明けない、プロの一面だ。
という根性が染みついているので、「風邪?」という感じだ。
朝、4時起床、30分出発!!
沖縄コンサートは11月2日です。
■ワークショップのお知らせ
東京11月28,29,30日12月1日
東京・岡山・沖縄
インフルエンザではなくホッとした。
以前インフルエンザになった時は、ほんとにフラフラになったからだし、そうなると沖縄のコンサートに差しさわりが出るので、ただの風邪だと知ってホッとした。
コンサートに初めて出演したのは、25,6歳だったと思う。
東京のフリージャズのグループとの共演だった。
とは言っても、こちらは無名なので前座のようなものだ。
この初めてのコンサートは、初めての大失敗で終わったから大笑いだ。
ステージに出てセットに座り、第一発目の音。
右手を思い切り振り上げて、スネアを打つ筈だった。
もちろん、スネアを打った。
その時左手がスティックを持ちリムにかけていた。
つまり、左手がスネアのほぼ中心に来ていたのだ。
そんな事は無意識的に右手も知っている。
しかし、初めてのコンサートで緊張があり、その手元が狂った。
まともに左手親指を直撃したのだ。
当然、一発目の音は出ない。
代わりに「ウッ」という私のうめき声が鳴り、アルトサックスが驚いたように後ろを振り返った。
私は「かまわずいけ!」と目で合図し曲が始まった。
しかし、45分の曲が15分で終わってしまった。
手がダメージで持たなかったからだ。
その数年前、私の右の一発はシンバルを叩き切るパワーを出していたからだ。
沖縄コンサート。これが最初で最後だ。悔いの無いように、私の音楽を創り上げ、沖縄と融合しようと思っている。