大阪「明鏡塾」8期2講座目は、翻車魚違ったまん防も終わり、久しぶりに賑やかだった。
何時も書いている目的のすり替えは、どこでも起こる。
それは「自分で勝手に」考えるからだ。
それと、目の付け所が間違っている事もある。
それだと時間がかかりすぎる。
だから、手本があるのだが。
もちろん、どの道を通っても、辿り着く人は辿り着くし、そうでない人はそうではない。
「その感じでやって」と、ある種良い感じになった時、指示をだす。
そうすると、「その感じ」だと思っているのだろう、大方が「その感じ」にはならない。
どうして、「その感じ」の具体的行為に目が向かないのか。
そこが不思議だ。
という迷子状態を受講生は起こすから、私自身の稽古にもなるし「人」という代物の、何かしらが見えたりするのだ。
そして、それがまた受講生に還元されていく。
そんな繰り返しだから、当然講座内容は変化するし、レベルも変わるのだ。
つまり、講座そのものが生ものなのだ。
春の「武禅」は5月2.3.4日です。
102回の感想を読んでみて下さい(現在webページの調子が悪く、更新出来ていませんが、受講者の感想のページには入れます)
●残り5席です。
「明鏡塾」13期2講座は、1か月ぶりなのだが、1年も経ったような感じだった。
時間が遅いのか早いのか定かではないが、受講生をかなり新鮮な感じがした。
使える「イメージ」とは、雰囲気を伴う身体運動は、他者の身体に影響を与える等々、実用的でありながら、いくらでも深化させられるワークに、頭の汗を流した。
また、行き詰った時「どうすれば?」と思考停止する頭脳を「とにかくやる」で突破させ、その「どうすれば?」と方法を見つけたがる頭を、「自分で見つけ出す」に置き換える。
そんな実際と話が続いた。
他人の方法を使うな、とも話す。
何かにアプローチする方法は、全て個人のものだ。
そして、そこで獲得したものは全て個人のもので、参考にはなっても決して共有出来ない。
その意味で「一般論」は役に立たないのだ。
そういった深い話が、懇親会でも続く。
「では、どうすれば良いのか」
「とにかくやる」
大阪「明鏡塾」は日曜日に8期が始まった。
数十年前に柔道整復師の学校で同期だった柔整師が3人揃った。
前期までは2人だったのが、新しく一人加わったのだ。
その彼はオリンピック選手等をサポートしていたから、3人3様の経歴で面白い。
私が教えた弓道の選手も、通っていたそうだ。
さすがに「明鏡塾」のワークには、手を焼いていた。
ワークの途中で「一寸考えさせて下さい」と頭を整理する時間を取ったりしていた。
そういう事も、3人3様だ。
東京は、理学療法士の学校の同級生が3人いるので、それも面白い。
それぞれに、治療家として理学療法士として「もっとよくなれるのに」と、誘っているのだ。
これは私にとって嬉しい事だ。
ベテランの柔整師は、多くの患者さんを治療して来ている。
色々な講座も体験して来ている。
そんな中で「明鏡塾」を、1期から再受講してくれている。
つまり、治療家にとって抜け落ちていたところが、「明鏡塾」で埋まっていくと感じてくれている、という事だからだ。
また、若い理学療法士や看護師は、熱く燃えているからこそ「何?これ?身体?意識?」と好奇心を膨らませる。
そんな雲をつかむようなワークが、実は現場では有効で回復や改善のスピード、患者さんとの関係が築かれていく。
そして、その関係が改善させているのだと体感する。
そんな「人という存在」の本質を垣間見ているからだ。
施術の仕方を教えているのではない、というところが、ベテランの柔整師や、新鮮な感性を持つ若い理学療法士や看護師が気付いたのだろう。
こころある医療人が増えるのは、患者さんにとって何よりの事だ。
大阪には、3月から脳外科の医師も加わる。
医療の話に花が咲くのが楽しい。
昨日から東京「明鏡塾」13期が始まった。
体験会に参加していたキャリア6年の理学療法士が、今期から受講してくれた。
その彼は、体験会で「???」だった。
もちろん、自分が学んできた色々な教材や講座とは、全く視点の異なる「明鏡塾」なので、???で当たり前だし、その素直さが良い。
で、「どうして講座を受ける気になったのか」と改めて問うてみた。
すると、それこそ受講動機が全く違った。
体験会なので、実体験もするし、こちらから質問もする。
そんな中で、完璧なダメ出しを私が出した。
つまり、駄目な事は駄目と明確に指摘された事、アホか!と言われた事。
それらが、その彼にとって初体験だったらしい。
つまり、今までダメ出しも否定も明確にされた事がなかったという。
だから、何が正しくて、何が間違っているのかがあやふやだったそうだ。
そこに、私が「駄目出し」をしたから、その彼にとってしっくり来たのだそうだ。
私は常に本気で人と対しているので、そこは明確に言う。
というよりも、本気だから相手からの言葉や行為に反応しているのだ。
だが、逆に駄目だしや否定されることを極度に嫌がる人もいる。
だから、私の本気を嫌がって、キャンセルをしてしまう人もいる。
人は本気で生きており、特に施術を受けようと思っている人は、本気で回復したいと願っているのだ。
本気で治そうと思っていない治療家に出会うのは、不幸極まりないではないか。
そんな事を治療家や医療従事者は考えた事があるのだろうか?
どういう訳か、フランクシナトラのホワイトクリスマスを聴いている。
ホワイトクリスマスは、亡き田中武久(ピアノ)さんに4声でアレンジしてもらった思い出がある。
何年かかった事か。
それも楽しい思い出の一つだ。
土曜日は、久しぶりに難波を友人と歩いた。
「まるで師走やな」友人の言葉だ。
それくらい人が出ていた。
土曜日という事もあるがコロナ禍とは思えない人でだった。
「明鏡塾」は、色々重なり少人数での講座になったので、その分細かい所に目が行く講座になった。
ベテランの柔整師が「物体化した人間を、関係性が持てる本来の人間に戻すことができるようになりたいです」と、嬉しい意見を言ってくれた。
彼は、関係そのもの、感覚そのものが治療だと気付いて、一生懸命取り組んでいる。終わってからの懇親会では、他の受講生に「〇〇さんが紹介してくれてなかったら、明鏡塾には辿り着いていなかった」と、「明鏡塾」の価値を皆に語っていた。
他の人達も、切っ掛けは色々だが、最後の砦のような感じで「明鏡塾」に来たと言っていた。
「ここしかない!」嬉しい言葉だ。
大阪「明鏡塾」は、年齢が高い分それぞれの人の問題点も明確だ。
だから、一つのワークを発展させる事が多い。
発展させるのは、それぞれの人の持つ問題のヒントになるようにだ。
終了後、その日のワークをどう現場で活かすか、の話し合いをする。
その時間は非常に貴重だ。
大阪なら、内科医・歯科医・歯科衛生士・柔整師・鍼灸師・理学療法士と職種がバラバラだ。
だから当然視点が異なる。
当然、印象に残るワークが違う。
その話は、日常で聞くことは出来ないからだ。
懇親会になると、少しくだけた話題になるが、結局は「触れる・届ける」の話になる。
「どうすれば?」となる人もいる。
しかし、答えは私が誰かを相手に見せる。
誰かが真似をする。
「それではあかんわ」と全員が爆笑となる。
「ちゃうわ(違うわ)、今のやり方だと従来の自分の頭がやっているから、癖の上塗りや。だから『出来ない』でええねん(良いのだ)。俺が話している事を紡ぎ合わせていかなでけへん(出来ない)で。」
そこから、また「では、私はどうしてきたか」の話になり、地道な稽古の体験を話す。
「俺は、間違いなく50年は工夫をしてきた結果やで」
だから、今すぐ、ではなく、今すぐどんな糸口を見つけるかだ。
柔整師の一人が「一つの事を、こんなに徹底的に訓練するセミナーはありませんよ」と笑いながら話す。
彼も5回目の再受講だ。
自分自身の変化、成長が面白くてたまらないのだ。
人の奥深くを成長させるのは、目に見える探検よりも面白い。
それも自分自身そのものの事だからだ。
スキルでは絶対に辿り着かない世界だ。
今日は「大阪明鏡塾」の体験会だった。
体験会は、私にとっても学びの場となる。
それは、「明鏡塾」を知らない人に、どれだけ内容を伝えられるかの実践だからだ。
知らない人といっても、それぞれに違う背景を持っている。
もちろん、感性も違う。
どこに照準を合わせるかを、最初の一言二言で見つけ出す。
そういった事の訓練になるからだ。
また、私自身が「明鏡塾」をどう捉えているのかを、私が知る事になる。
それも含めて学びの場なのだ。
もちろん、多くの人に受講して欲しいと思っているが、多くの人とはどんな人達を希望しているのか?そういった事も赤裸々に現れる。
そういった私自身の反応を把握するというのも勉強だ。
本当に集合即興演奏だ。