「大阪・明鏡塾」6期2回目だった。
緊急事態宣言下ということもあり、こちらも少ないメンバーで、ゆったり密度濃い講座だった。
東京明鏡塾とのズーム交換の話をすると、無茶苦茶盛り上がった。
講座の内容ではなく、会話そのものの標準語と大阪弁のかみ合わせの事だ。
しょうもない話は盛り上がる。
ここが会話や場にとって大事な事だ。
うんこの話が出た。
「うんこで喜ぶのは小学生やろ」
そんなしょうもない話だ。
そしてそれは、その場でしか出来ないので稽古は出来ないし、マニュアルもない。
しかし、それは、医療の現場と同じだ。
マニュアル通りの病人や患者さんなどいる筈もない。
全ては現場で学ぶしかないのだ。
そして、現場は毎日どこでもだ。
「これは、こうします」と見本を見せる。
すると「こんなイメージですか」と問う人がいる。
そんな場合、「なんでイメージがいるの?見たままや」という。
その癖が、そのものをそのままに、が崩れてしまう元だ。
しかし、大方の場合は「そうや、そんなイメージや」と答える。
深くは無い人に、ちゃんとしたことを説明しても、聞く耳を持たないからだ。
それよりも、一生懸命にやっている人に、ちゃんと伝える方が効率的だ。
いわゆる高学歴と呼ばれる人で、小さな子供の頃、親や周りの大人から叱られた事のある人はいるのだろうか?
また、こんな場合もある。
自分が子供の頃苦労したから、子供には苦労をさせないように育てる親、育てようとしている親は沢山いると思う。
その意味が全く分からない、私の理解の範疇を超えすぎているからだ。
自分は苦労をした。
「本当か?」
というのは、何が苦労だったのかを問うた事があるのか?
苦労とは何か?を問うた事があるのか?だ。
それは、それを味わった時期、単に「辛かっただけ・しんどく感じただけ」なのではないか?
つまり、後々の事を考える余裕がなかったり、思考が浅かっただけなのではないか?
何を言いたいのかというと、実は、その苦労を経過したことで、自分はそうではない状況や状態を手に入れた。
そして、状況や状態を手に入れただけではなく、その苦労をものともしない気持ちの強さや、工夫をするという実際を体得している筈だ。
そこを抜かしてしまうから、「辛かったこと」だけが記憶の中で浮き彫りになり、「同じ苦労はさせたくない」となっているのではないか、なのだ。
それこそ「おしん」ではないが、そのまま老いていったのなら果てしなく辛い話だが、「子供に苦労をさせたくない」というレベルになっている人は、そこを考える必要があるのだ。
どうして、こんな事を考えるのかというと、躾や体罰、その他諸々の、子供に対する教育が、完全に間違っていると感じるからだ。
もちろん、大人が作り出している風潮も同様に、完全に間違っていると感じる。
それは、「人を弱くする・変化に対応できない」人を輩出するだけだからだ。
敢えて言うと「子供には苦労をさせたくない」というのは、現実や人の成長を見ない、自己満足でしかないのだ。
「これで良いですか」と聞かれる。
「あかんよ」と答える。
意識を含んだ身体技術に関しては、良否の判定が難しい。
難しいというのは、技術そのものの事もあるし、身に付き具合の事もある。
意識の変化もあるからだ。
また、その時だけ出来ていることを「良し」とは言わないというのもある。
だから、体重移動で、相手が倒れたら「良し」なのではない。
体重移動の技術が身に付いたら「良し」だ。
同時に「これで良いですか」という質問が無くなれば、ある意味で「良し」でもある。
もちろん、身に付いていたら質問も無くなる。
それは「出来たから」なのではない。
「どう考えれば良いのか」が体得されて来たからだ。
また、質問が無くなるのは、自分の何が駄目なのかに気付き始めた証拠だから「良し」なのだ。
つまり、質問が無くなる原因として、一つに体感覚が良くなったから。
一つに、何を目指さなければいけないのかが、その人なりに見えてきたからだ。
だから、そういった事を質問する内は、全て駄目だということだ。
駄目だし慣れ、否定され慣れしていない人は、きっと単純に「ダメ出しをされたから駄目なのだ」となるのだろう。
しかも、そのダメ出しは、「全否定」だと思い込んでしまう事もあるのだろう。
誰も「あなた」の事を否定しているのではない。
あなたの上に乗っかっている「技術が未熟なだけ」なのだ。
こういった当たり前の事も、当たり前ではないように育つのは、不幸極まりない。
どんな親や、どんな教育の中で育ったのか、また、どんな社会環境にいるのか、ほんと心配になってくる。
方言には愛情が下地にある。
言葉は当たり前だが、気持ちの現れでもあるし、何かしらの伝達道具でもある。
ただ、標準語になった時、前者の気持ちの現れは、極端に希薄になる。
それは、私自身が大阪弁、さらに、下町の汚い大阪弁だからこそ考えるようになったのだ。
「お前は、アホか」は、日常いたるところで使う。
もちろん、現在の事は知らないが、私が子供の頃の65.6年前からの話だ。
それを標準語に置き換えると、意味としては否定している言葉になる。
しかし、大阪での実際を分析すると、からかっている程度であり、言われている人の人柄が良いと見極めた上での、アンバランスな行為や行動に対する言葉だ。
だから、人柄の悪い人には用いないのだ。
人柄の悪い人に用いる時は、既に喧嘩状態で、言い合いから殴り合いに発展する。
だから、単純に相手を否定する為に用いる言葉ではないということだ。
日常的に使われるから、当然、その言葉に免疫を持つし、別段言われて落ち込む事もない。
もう少し突っ込むと、「お前はアホか」という言葉が出るようになると、その関係は密になっているとも言えるのだ。
以前も書いたが、私がドラマー現役時代に、観客からの「早よ、止め、ボケ、おっさん引っ込め」くらいの野次はいくらでもあった。
そんな時「やかましいわ!黙って聞けアホンダラ!」とドラムを叩きながら言い返す。
大きな会場になればなるほど、そういう事態になっていた。
そういうコミュニケーションであると同時に、面白くも無い舞台は壊してしまえ、という熱も入り混じってのものなのだ。
その意味では、当時の客は正直でもあったのだ。
ドラムを止めようと思っていた時期に、面白い企画が私のところに持ち込まれた。
何の事はない、商店街の客集めだ。
大阪に京橋という場所がある。
旧砲兵工場跡のすぐ近くで、やはりガラの悪い地区だ。
そこにあるグランシャトーという飲食店が集まるテナントビル、その屋上でのイベントだった。
私は出演者のメンツを見て快諾した。
ロック、ブルース、それに私達のフリージャズ、メインは今や俳優で大活躍の麿赤児さん、アルトの坂田明さんのデュオだった。
バンドの大方が関西で活躍する実力者達だ。
この時、私は武道を教えておりドラムから遠ざかっていたので、スティックを飛ばさないように、ガムテープを指に巻き叩いた。
「アキラ!死ぬまで叩け!」の声援に、ガムテープを剥がして叩きまくったのを思い出す。
イベントは順調に進み、トリになった。
坂田さんが出て来てソロで吹き出す。
場内は動かない。
麿さんが登場、ゆっくりと動きながら舞台の鼻まで来る。
「同じことするな!」「またそれか!」「ひっこめカス!」
阪神タイガースの応援を想像してくれたらよい。
観客は大いに盛り上がっていた。
もちろん、この場合は麿さんも坂田さんも動じないから、このやり取りが成立するのだ。
当然、やり返したら又別の展開になり、違った面白さになったろうと思う。
私は客席の後ろにいた。
「ほんまに壊してまえ!」と、当時劇団日本維新派の白藤茜やスタッフ達に声をかけた。
「どうしたらええかな」「舞台の後ろにある梁にロープをかけて、そこを渡ったらどうやろ」それで決定した。
舞台ではデュオが続く。
舞台後方では、ロープを張る作業が入る。
観客がざわめく。
ロープが張られた。
「誰が渡る?」「そら白藤しかいないやろ」「よっしゃ!」
白藤がロープのところに行く。それを見た観客がヤジる。白藤茜は、ある意味スターでもあった。
小児麻痺の片足を引きずりながら、何と鳶職をやっているのだ。
特異な風貌で維新派の舞台を、所狭しと暴れていたからだ。
そのやせ細った片足を引きずりながら、ロープにぶら下がった。
観客は大興奮だ。
「アホ!落ちてまえ!死ね!」ありとあらゆる言葉を、白藤に浴びせる。
当の白藤はぶら下がりながらも、「お前がやってみろ」と返す。
麿さんも坂田さんも完全に飛んでしまったが、黙々と時間を消化していた。
白藤が無事ロープを渡り切ると大拍手だった。
「白藤エライ!」
この時の言葉だけを取り出して、否定しているとか、何と品の無い、というのは通用しない。
生身の人間の気持ちが、竜巻のように席巻した会場だったのだ。
それを標準語では理解出来ないだろう?
言葉は気持ちの現れであり、その気持ちも薄っぺらなものではなく、人間の奥底にある生命の鼓動のようなものなのだ。
だからこそ、人同士が響き合えるのである。
ピアノを弾きたい、とした時、ピアノを弾く技術が先か、音楽的感性が先かを考える。
もちろん、どちらでも良い。
但し、技術は魔物だ。
つまり、技術にとり憑かれると、肝心の音楽的感性が忘れ去られてしまう危険性があるということだ。
以前、世界的指揮者の小澤征爾さんが、「技術優先の風潮を、よい加減止めなければいけない。確かに技術は必要だが技術だけでは音楽にならない。鼻歌に戻れ」という様な事をおっしゃっていた。
クラシックバレエのワークショップをオランダで開いた時、バレエの先生方が同じように「技術が先行してバレエのこころが失われている」とおっしゃっていた。
そのワークショップを受講している学生達を見ていると、明らかにその違いがあった。
同じ姿勢をとっても感性がその姿勢を要求したのか、その人が姿勢として完璧な姿勢を作り出そうとしているのか、違いは歴然としていた。
当然、感性優先の人は「美しい」が、姿勢を作っているだけの人は「それで何をしたいの?」と質問が湧く。
そこから考えると、やはり感性からの入り口しか無い。
しかし、よくよく考えると、そういった内的発動があり、「これをしたい」「これを弾きたい」となるからだ。
その内的な感性を深めていくことが、結果としてどんな技術が必要なのかに現れてくる、それが必然だし、この図式は人生全てに当てはまる。
先日、フジコ・ヘミングさんのソロピアノを聴いた。
TVにも関わらず、ピアニシモの鍵盤から音が沸き上がって来ていた。
それこそ鳥肌ものだった。
「人は見たいものしか見えない」あるいは、「聴きたいものしか聴けない」、つまり、自分の枠から出る事はない、自分の枠から出られない。
当たり前だ。
しかし、当たり前なのだが、その当たり前を当たり前だと気付くのには、それなりの過程が必要だ。
自分の使っているPC、そのPC以上の性能、それ以下の性能になることはない、というのと同じだ。
だから、性能を上げようと思えば、買い替えるしかない。
あるいは、新たに作られるのを待つしかないのだ。
そこも過程が必要だ。
出来上がったものがあるとすると、その出来上がったものを基本として使う。
それがどんな発想から、どんな必然から、どんな欲求から出来上がって来たのかは、よほど物好きか、よほど関心を持つ人しか、そこを見ようとはしない。
私は物好きだから「どこから始まったのか」に興味を持つ。
そこに「何で、どうして?」と好奇心が湧く。
そこに最初に手を付けたのはジャズだ。
ジャズを仕事として選んでからだ。
それは、どうしても自分が演奏しているジャズに興味を持てなかったからだ。
しかし、ジャズを職業として選んでしまったのだ。
だから、興味を持てるジャズに出会うまで、毎日8時間は徹底的にジャズを聴き込んだ。結果、興味を持てるジャズと巡り合った。
同時に、そのジャズは何時から始まったのか?では、その元々は?となると、その音楽は何時?どこから?どうして音程が決まったのか?リズムが決まったのか?そんな事を考えた。
その「何時?どこから?」と、現時点のジャズへの発展過程を考える。
そんな事にも興味が湧いた。
もちろん、その答えなどある筈もない。
それは、時代や個々に発展させたものの集大成だからだ。
がしかし、その答えが無いという答えを、延々と突き進む。
どういう訳か、それが好きなのだ。
こういった「何時?どこから?」という事を考えていると、様々なジャンルとの影響関係も見えてくる。だから、裾野が広がり続けるし、その裾野にも興味が湧く。では、ダンスは?演劇は?という具合だ。
と書いている言葉が、私自身の性能を広げているのか、進化させているのかは分からないが、確かに10年前、20年前、50年前とは違っているのが分かる。
過程を経ているからのものだ。
そういう体感が、「人は何時から人になったのか?」とか「人への発達の過程」に興味を向けてくれる。
人類の誕生からの壮大な歴史の中に、人一代の発達過程が内包されているのだろう。
そんな事にも興味が湧く。
私の興味は、もちろん、そのジャンルの専門家になるということではない。
あくまでも一個人の興味の範疇だし、私が納得したら嬉しいだけのものだ。
だから、常に思うのは「一体、私は何を見ているのだろう」「何を聴いているのだろう」だ。
私の枠を探索しながら、その枠のセンサーは、何を掴んでいるのか、掴もうとしているのかを探索しているのだ。
その意味でも、「一体私は何なのか?」だ。
きっと、私は「私」を一つの材料として、「人」を探っているのだろうと思う。
私は、私を好きなのではなく、きっと「人」が好きなのだ。
そんな事を思う様になるまで、どれだけの過程を費やしているだろうか。
その過程が、間違いなく現在の自分、私自身だということだ。
靖国神社へ初詣。
もしかしたら、これ程ゆったり過ごしたお正月は無かったかもしれない。
毎年何だかんだとPCの前に座り、頭の中を整理したり、新たに考えている事を書いているからだ。
とりあえず、今年はそれを止めてみた。
でも、嬉しいメールが入って来たりすると、それについて書く。
結局、そこからは抜け出られないというか、抜け出ない性分なのだ。
「触ってなかった。であり、その人にではなく、やっているつもりだった」と気付いた人がいた。
これは、正月早々とんでもない発見であり、気付きである。
こんなメールを読むと、こころは次の講座に向かってしまう。