朝、電話が鳴った。
BABジャパンからだ。
「先生、『考えるな、からだに聞け』が6刷になりました」とのことだ。
コロナ禍で、本を読む人が増えたのかもしれない。
どんな理由があるにしろ、6刷とは驚きと共に嬉しい限りだ。
5刷で驚いていたのだが、6刷となると本当に武道の書籍ではあり得ないだろうと思う。
しかし、本の中身としては雑誌「秘伝」に連載していた頃、1994年から2004年位の10年間に書いたもののまとめだから、28年くらい前のものだ。
という事は、ある意味で当時は30年先を歩いていたとも言える。
しかし、こればかりは仕方がない。
私自身が考えたり、探求しているスピードの話だからだ。
書籍の担当者から、早く次のをとせっつかれて3年になるか。
どうもピンと来ないので書く気にならないからだ。
「久しぶりに飲みましょうよ!」と来た。
担当の彼とはまともな話が出来るから面白い。
DVDの担当者も、早く次のを出したいそうだ。
で、その担当者も入れて3人で飲もうとなっている。
東京ワークショップは6月3.4.5日、大阪ワークショップは7月1.2.3日です。
沖縄は8月5.6.7日に決まりました。
詳しくはhttps://www.hino-workshop.com/
寄る年波には勝てず、お酒は滅法弱くなっているとつくづく実感する。
とは言っても、お酒の入った状態は好きだ。
何かしらのタガが外れているからだ。
だから、話の中で思いもかけず良い発想がある時もある。
それは、回りくどい思考が働かないからだろう。
昨日は原田医師や明鏡塾の面々と飲んだ。
話は漫画「あしたのジョー」へ発展。
私や妻は、少年マガジンでリアルタイムで読んでいた。
「次はどうなるの?」ワクワクしながら待ったものだ。
最後、ホセ・メンドーサとの試合は圧巻だった。
結局、ジョーは燃え尽きた。
あのコマブチ抜きの最後の絵には誰もが驚いた筈だ。
あのシーン、このシーンを思い出しながら、泪橋付近をチャリで走ったと原田医師。
私は、同時にその時の自分たちが蘇っていた。
当時は、石川県和倉温泉のホテル加賀屋で、自分達のサウンドの質を高める為にショーの仕事を契約していた。
地方だから水曜日に発売ではなく、木曜か金曜だったのではなかったかと思う。
最後はバンドのメンバー全員で「え〜!」と奇声を発した。
時代を超えて楽しませてくれ、尚且つ人間の何かを教えてくれた一冊だ。
記憶する身体、という言い方をする時がある。
それは身体が記憶しているのではなく、自分では忘れた状態になっているだけで、意識が記憶しており、それが発動した状態だ。
よく例に上げられるのが「何年も自転車に乗っていなかったけど、久しぶりに乗ったら乗れた」というものだ。
それは、日常生活の全ての動作や行為がそれだし、楽器や作業を主とする仕事での手順も同じだ。
身体の部位を感じる、というのも、その機能を利用したものだ。
「感じる」を本当に感じているのかどうかを検証する為に、ストレスをかけて「使う」をする。
そうする事で、つまり、ストレスを掛ける事で、感じる→使う、という図式に、欲求が顔を出す。
欲求は、使った結果に対して働いているので、目的がすり替わってしまっている状態だ。
使った結果は、例えば、掴んでいる腕ごと転がされた、の腕を動かしたら転んだ、あるいは、転がす、になるという事だ。
その意味で、ストレスは自分の状態やレベルを知る為の重要な役割を担っているのだ。
「触れた瞬間に相手の力加減を感じ取る」という、必須の技術を2時間たっぷり稽古をした。
これの原型は「形を変えない」為のものだ。
そして、それは体重を移動させる為、つまり、自分の身体を相手に対する力として用いる為だ。
初心者や熟練者でも型崩れを起こす。
崩れた身体に気付く為の定規でもある。
崩れた身体とは、大きく歪むことは気付くが、無意識的に自分自身の欲や目的が意識に登った時、身体の形は崩れを起こす。
そこに気付く為だ。
2時間集中すると、稽古の意味を理解していない人は別にして、大方の人は出来上がっていく。
また、「相手と一緒に動く」を稽古したいというリクエストで、そこも2時間かけて練り込んだ。
「一緒に」は、単なる言葉だから、その実際や具体化は難しい。
「一緒に」は主に相手の意思がこちらに届いている体感を動かさないように、ということで一緒だ。
しかし、それは初心者の人には分からない。
だから、身体の動きを揃える、という所から入る。
これは武道の「先の先」や「対々の先」を体感的に覚える稽古でもある。
その意味では初心者には取り組めない稽古だ。
春の「武禅」は5月2.3.4日です。
102回の感想を読んでみて下さい(現在webページの調子が悪く、更新出来ていませんが、受講者の感想のページには入れます)
●残り8席です。
たまに、神田道場が一杯に近くなる。
といっても、道場の大きさは動かせないので、たかがしれているが。
人数が多いと、それだけ人の種類がある。稽古ぶりを観察する事で稽古の為の新しいアイディアが湧く。
その意味で、大勢の人達との稽古は好きだ。
「形は違うけど、要素は全部同じ」だと繰り返し話す。
ここでの肝は「同じ」にするのは、自分自身の意識であり考え方だという事だ。
これはこれ、あれはあれ、と捉えていたり、そういう考え方しか持っていなければ同じにはならないのだ。
身体を操るのはあくまでも、意識であり癖だからだ。