息子はかなり良い感じに仕上がった。
バトルのところもうまくいった。
後は劇場でのリハだ。
場所が変わると体感覚は全て変わる。
それに合わさなければならない。
そこに時間が必要なのだ。
跳ね返ってくる音、吸収されてしまう音、雰囲気。
何もかもが身体に影響を与える。
そこに照明が加わることで、つまり、温度と色が入るとどんどん変わる。
その一番変わった状態を、普段だとすることに時間が必要なのだ。
密度の濃い練習や、演奏に対する要求。
どれもこれも難しい。
それは、「表現されているのか」そのものだからだ。
自分はこうしたい、だけなら、これ程楽な事はない。
そうではなく、「観客に」だから、全く違う要素が必要なのだ。
演奏技術とは、全く別の要素だ。
2日後の大阪公演には、バレエの先生方も来る。
「見せる」とは、を表現するので楽しみにしてくれているのだ。
息子とはスティックのコントロールと身体が動く意味、ということで武道の棒を稽古した。
棒の握りや力の出し方とスティックのコントロールは同じだからだ。
といっても、スティックの先から力を出す、という事と、棒の先から力を出すという共通項の事だ。
途端に、息子の音が良くなった。
芯のあるクリアな音だ。
しかし、それをものにするには時間がかかる。
ということを息子も知っている。
だから、練習の鬼になれるのだ。
でも、そういった「身に付く」という構造を知らない人は、「出来ました、次は何をしましょう」というふざけた質問をする。
「いや、何が出来たの」と言うと「これが」と答える。
じゃあ、もう一度試して、と言ってやると出来ない。
当たり前だ。
自分の身体の何をどうしたのかを分かっていないからだ。
「出来た」はそれでよい。
その時、自分はどうしたのかを自覚していなければ、当然再現性など有る筈もない。
息子とのリハは、バトルというか、ジャズでいう4バースのような状態を、一切の約束なしでやる、という稽古だ。
相互が相互の雰囲気から察知するという、究極の関係性の実現だ。
武道でいう「意識の起こりを抑える」であり「対々の先」だ。
うまく出来たのだが、まだ甘い。
空間が甘いのだ。
つまり、緊張感が「そこに見えない」のだ。
ここで空気を凍り付かせたい。
果たして、明日中に出来るのかな?
「何を根拠に、自分はその仕事が出来ると思ったのか」これは、今日の特養研修での一言だ。
「実際の福祉の仕事は、学校を卒業しているだけで出来ると思っていたのか」と続く。
希薄な職業意識を、どうすれば確たるものに出来るのか?そんな事を考え、この質問になったのだ。
しかし、彼ら彼女たちは、色々と成果を出していた。
その小さな成果の積み重ねだけが、特養にとっての価値を作るものなのだ。
特養は商品を売るのではない。
何か物を作るのでもない。
その意味で、成果が上がるということを目にするのは難しい。
お客さん、利用者さん、その家族の人達の評判だけなのだ。
だから、本当にコツコツしかない。
それを実際に行う現場の、介護士や介護福祉士が報われる瞬間は無いに等しい。
しかし、笑顔の無かったお爺ちゃんお祖母ちゃんが笑うようになってくれたり、言葉を出さなかったおばあちゃんが言葉をだしたり、そんな些細な事こそ価値があるのだ。
その事を成した自分自身に自信を持て、と話した。
作品であれ、言葉であれ、それが自分の内から外に出てしまった時、それは「外」のものになり、そこに他者がいるなら、他者の理解度や感性に応じて他者のものになる。
という当たり前のことなのだが、それでも「納得しました」というような言葉、「理解出来ました」というような言葉には、根本的に違和感を持ってしまう。
例えば、2005年から付き合いのあった、フォーサイス・カンパニーのウイリアム・フォーサイスとの会話で、このような言葉を耳にした事は10年間一度もない。
また、ミナ・ペルフォネンの皆川明さんとの会話でも出てこない。
もちろん、名嘉睦稔さんとの会話でも出てこない。
睦稔さんとは、作品をプレゼントしてもらったお礼の電話で、今日少し話をした。
電話で話をするのは基本的に嫌いなのだが、睦稔さんとの会話は濃くなる。
とは言っても、そんな言葉は出てこない。
今度酒の肴に、この言葉の事を出してみようと思う。
どうして、人はその言葉を使うのか、そして、それを使う意味は何なのか?美浜の砂浜で泡盛を飲みながら、そんなくだらない話をしてみようと思う。