2014/2/18
寒風・・・。 季の散策
先週からの残雪がところどころに
白いモニュメントとなり、
それを消させないかのように
容赦ない寒風が吹いた一日・・・。
今日は、持念仏奉納(見守観音様)を
行いました。
心の中にある負の部分を焼却して、
明日からの生きる指針となる希望を
観音様の中に納めてもらうというものです。

春への一歩として、
皆さんの心が
軽くなりますように・・・。
合掌
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白いモニュメントとなり、
それを消させないかのように
容赦ない寒風が吹いた一日・・・。
今日は、持念仏奉納(見守観音様)を
行いました。
心の中にある負の部分を焼却して、
明日からの生きる指針となる希望を
観音様の中に納めてもらうというものです。

春への一歩として、
皆さんの心が
軽くなりますように・・・。
合掌

2014/2/15
今日は緑陰・・・。 季の散策

昨日の雪がまだ残るなか、
冷たい雨が降っております。
実際の気温よりも、
体感温度が気になるところ。
湿度や風の強さ、陽のあるなし、
また、そのときの自分の心のあり様
によっても感じる「寒さ」は
違うのではないでしょうあか。
雨空に春を乞う、週末・・・。
合掌

2014/2/6
写真の向こう 季の散策
ある方が思い出について
こんなお話をしてくれた事
がありました。
それは、自分が撮るものとして
写真は好きだけれど、
ビデオはいただけないと。
理由を聞きますと、ビデオ(動画)は、
画面の向こうに「その時」がいつでも
生きているかのように存在するから、
それはとても残酷なことであるというのです。
確かに写真は、心の余白のもと、
思い出の引き出しを深くも浅くも、
加減して引き出すことができるような気が致します。
しかし、ビデオはすべてを鮮烈な「時間再生」
として映し出されていきます。
私たちは、時間の切り出しを
どう、とらえていくのでしょうか。
ふと、手元の古い写真に
自分の「時間」を探してみたのですが・・・。
合掌
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こんなお話をしてくれた事
がありました。
それは、自分が撮るものとして
写真は好きだけれど、
ビデオはいただけないと。
理由を聞きますと、ビデオ(動画)は、
画面の向こうに「その時」がいつでも
生きているかのように存在するから、
それはとても残酷なことであるというのです。
確かに写真は、心の余白のもと、
思い出の引き出しを深くも浅くも、
加減して引き出すことができるような気が致します。
しかし、ビデオはすべてを鮮烈な「時間再生」
として映し出されていきます。
私たちは、時間の切り出しを
どう、とらえていくのでしょうか。
ふと、手元の古い写真に
自分の「時間」を探してみたのですが・・・。
合掌

2014/2/1
季の変わり目 季の散策
少しずつ季節が春へと移ろうことを、
陽の光や空気の感触、風の一片に
意識させられます。
留まることなく、繰り返される
四季の巡りを、人はただ受け入れて
いくより他にありません。
たとえ、それが残酷な時間の
経過であっても。
自分のいる(いた)季を
ときどき、思い返してみる
如月の月・・・。
合掌
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陽の光や空気の感触、風の一片に
意識させられます。
留まることなく、繰り返される
四季の巡りを、人はただ受け入れて
いくより他にありません。
たとえ、それが残酷な時間の
経過であっても。
自分のいる(いた)季を
ときどき、思い返してみる
如月の月・・・。
合掌
