2017/5/31
夏日に迷う 季の散策
全てを冬と比べては、
どちらが良い悪いを
考える、そんな季節です。
真夏ではないからこそ、
拮抗する想いがまた面白いもの。
水を触る手が心地よい。
いや汗が吹き出て疲れる。
薄着でいられる。
いやいや、
やはり汗が気になる・・・。
つまるところ、
汗をかくかどうかが
問題と気づくんですね。
夏は冬を、
冬は夏をひいき目に、
そうして季は移ろうのでしょう。
どこから来たのか、
ハクビシンも日陰に入る、
法林院の午後・・・。
合掌
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どちらが良い悪いを
考える、そんな季節です。
真夏ではないからこそ、
拮抗する想いがまた面白いもの。
水を触る手が心地よい。
いや汗が吹き出て疲れる。
薄着でいられる。
いやいや、
やはり汗が気になる・・・。
つまるところ、
汗をかくかどうかが
問題と気づくんですね。
夏は冬を、
冬は夏をひいき目に、
そうして季は移ろうのでしょう。
どこから来たのか、
ハクビシンも日陰に入る、
法林院の午後・・・。
合掌

2017/5/30
梅雨前の夏日に・・・。 季の散策
便利さにかまけて、
伝える力、表現力が
衰えてきたと自戒します。
つまりは、
携帯で写メを撮って
見せれば、事足りると
思いがちなんですね。
「これを探しています」
「こんな感じにしたいのですが」と、
言葉を尽くして相手に説明せず、
画像などで理解を求めるということ。
わかりやすいから
良いと言えば
良いのかもしれませんが、
一抹の不安を覚えるわけです・・・。
咲き始めた紫陽花の
淡い青さが眩しい、
法林院の午後・・・。
合掌
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伝える力、表現力が
衰えてきたと自戒します。
つまりは、
携帯で写メを撮って
見せれば、事足りると
思いがちなんですね。
「これを探しています」
「こんな感じにしたいのですが」と、
言葉を尽くして相手に説明せず、
画像などで理解を求めるということ。
わかりやすいから
良いと言えば
良いのかもしれませんが、
一抹の不安を覚えるわけです・・・。
咲き始めた紫陽花の
淡い青さが眩しい、
法林院の午後・・・。
合掌

2017/5/29
どっこいしょ 季の散策
言うとはなしに
よっこいしょのかけ声が
随分と増えてきました。
どっこいしょは、
「六根清浄」が語源とか。
六根、すなわち、
眼(視覚),耳(聴覚),鼻(嗅覚),
舌(味覚),身(触覚),の五感に
意(意識=第六画)を足した人の意識の根幹を
清らかにするということ。
「六根清浄」を唱えながら、
神聖な山に入れば、自身もまた
清らかになれる・・・。
そう思い直して、
せっせと、
どっこいしょを唱えてはいますが、
節々の痛みは緩和されても、
心身清らかとはいかないようです。
立ち座りに
声は勇ましい、
法林院の午後・・・。
合掌
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よっこいしょのかけ声が
随分と増えてきました。
どっこいしょは、
「六根清浄」が語源とか。
六根、すなわち、
眼(視覚),耳(聴覚),鼻(嗅覚),
舌(味覚),身(触覚),の五感に
意(意識=第六画)を足した人の意識の根幹を
清らかにするということ。
「六根清浄」を唱えながら、
神聖な山に入れば、自身もまた
清らかになれる・・・。
そう思い直して、
せっせと、
どっこいしょを唱えてはいますが、
節々の痛みは緩和されても、
心身清らかとはいかないようです。
立ち座りに
声は勇ましい、
法林院の午後・・・。
合掌

2017/5/28
道を求むる時 季の散策
いたずらに過ごす月日の多けれど
道を求むる時ぞ少なき」
道元禅師
今、自分の前を流れる時間。
本当に納得のいく捉え方が
できているでしょうか。
足りないか、持て余すか、
また、逃げ出したいくらい
切ないものなのか・・・。
あるいは、
今、このときが
いたずらであってもいい。
そんな風にも思うのですが・・・。
少しだけ時間旅行の
途中下車を試みる、
法林院の午後・・・。
合掌
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道を求むる時ぞ少なき」
道元禅師
今、自分の前を流れる時間。
本当に納得のいく捉え方が
できているでしょうか。
足りないか、持て余すか、
また、逃げ出したいくらい
切ないものなのか・・・。
あるいは、
今、このときが
いたずらであってもいい。
そんな風にも思うのですが・・・。
少しだけ時間旅行の
途中下車を試みる、
法林院の午後・・・。
合掌

2017/5/27
快晴の週末に 季の散策
雲一つない、これぞ快晴という
週末、あまりに晴れ晴れして
いるので、何だか気恥ずかしさを
覚えます。
また、何かしないと
もったいないように
思われてなりません。
掃除、水やり、
空気の入れ替え。
そうして、自分を
陽の下におけば、
それだけで、
何かした気には
なれます。
我が身を抜ける風が、
五月の空を駆ける、
法林院の午後・・・。
合掌
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週末、あまりに晴れ晴れして
いるので、何だか気恥ずかしさを
覚えます。
また、何かしないと
もったいないように
思われてなりません。
掃除、水やり、
空気の入れ替え。
そうして、自分を
陽の下におけば、
それだけで、
何かした気には
なれます。
我が身を抜ける風が、
五月の空を駆ける、
法林院の午後・・・。
合掌
