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『風の森』第2次第9号[通巻第24号] »
2021/4/25
「大波の表層を ゆっくりと剝いでゆく [1]」
小柳剛
「『ダイヤモンド・プリンセス号』からの生還」その後
「隔離終了直後 大黒埠頭にて」
2020年2月20日、つまりこの文章を書きだしたほぼ1年前、私たち夫婦はダイヤモンド・プリンセス号での17日間の隔離を終え、ようやく横浜大黒埠頭に降り立つことができた。この後、公共の交通機関を使い自宅に帰ることになるのだが、そこで解放ということにはならず、さらに14日間の自宅蟄居(隔離)、そして二度目のPCR検査を経てようやく解放という運びになった。
しかし解放は本当の解放であったのか。私たちに残されたのは、解放とはほど遠い、とつぜんの隔離にたいする怒りといくつかの疑問だった。どこにも持っていきようのない怒りは時間とともにさすがに小さくはなるのだが、疑問は消えることはなく、逆にますます大きくなっていった。
解放と思われた私たちをとりまく情況は、しかし思いもかけない方向にころがっていった。個人の小さな体験や疑問をあざけ笑うかのように、新型コロナウイルスによる感染の大波が日本の社会に押しよせ、しかもこの大波は日本の政治あるいは統治機構の無残さ、無能さを、国民にいやというほど見せつけたのだ。
政治的無残さの姿は「アベノマスク」や、自分の言葉をもたず、国民の視線のとどかない裏側で恫喝の方法しかもたない菅総理大臣(スガーリン)の姿が、その象徴であるだろう。彼らは、緊急事態宣言という国民への「自粛」を呼びかけるだけで、政府自らはデータに基づいた合理的などのような施策も、感染症予防策も打ち出せなかった。“これほどまでにひどいか!”と私たちは呆れ、嘆息するしかなかった。
また厚生労働省(以下・厚労省)の無能は日本の閉塞や停滞の象徴と見えた。どうしてPCR検査は増えないのか(増やさないのか)という疑問からはじまり、検査が増えないことからとうぜん帰結する無症状感染者の野放し、病床数世界一だと誇っていた日本の医療機関が、アメリカやヨーロッパよりはるかに少ないコロナ感染者に対応できず、「医療崩壊」という言葉を何度も聞かされるという悪夢、そもそもメディカルスタッフの絶対数が足りないという現実、さらにはかつてワクチンの先進国であった日本がなぜ自前のワクチンすら作れなくなっているのか、海外ワクチンの接種のようやくはじまった現在、自前ワクチンの影も形もなくなった現状に残ったのは、さざ波のようなあきらめだけなのである。
繰りかえすのだが、私たち日本人は、あらためて日本の社会がこんなにも脆弱で、なさけない状態にあったのかと驚くばかりだった。安全保障といえば、条件反射のように軍事しか思い浮かべられない、日本の単細胞的政治とはいったい何であるのか。軍事よりも感染症対策や医療・食料確保は、もっと身近で日々の安全保障の範疇ではないのか。
逆説的にいうなら、新型コロナウイルス感染の爆発が、日本の病巣をこれでもかというようにさらけ出し、目のまえにならべてくれた。身も蓋もないいいかたをあえてするなら、この意味では感染爆発は天恵だったと言えさえする。
言葉を変えれば、現在の政治は個人あるいは集団の「利権」だけで動き、その範疇からはずれた問題は解決不能であることを、否応なく教えてくれたのだ。いずれ現政権の利権政治屋たちは表舞台からきえていくだろう。だが私は、ほんとうの問題は、表層でうごめく利権政治よりもっと深い場所にあり、本質はそこにあるのではないか、と思うようになっていた。
問題を具体的にしぼり、たとえば感染症対策だけに注視してみよう。ここ十数年世界で連続する深刻な新興感染症(SARS、MARS、新型インフルエンザ⦅豚インフルエンザ⦆、高病原性鳥インフルエンザ等々)だけにかぎっても、日本政府が今までしめしてきた脆弱さ無能さは、感染症対策が一部の人々によって現実に則した発想・解決策をもてず、恣意的に動かされていることからの結果だ、という疑念はかねてよりあった。この疑念が新型コロナウイルスによって、いっそう明確な形として社会の表面に浮かびあがってきたのだ。
社会の表にでない利権グループが「原子力ムラ」としてあるように、「感染症ムラ」は上昌広医師の言うようにたしかにあるのだろう。しかしこの「ムラ」はなぜできあがり、なぜ恣意的な活動しかできないのか、その恣意性とは具体的にどのようなことなのか、「ムラ」はどのような日本の暗部や歴史の流れから浮かび上がってきたのか、このように連続する“なぜ?”を問いかけたとたん、疑問は千々に細分化し、ふたたび闇の中に入ってしまうのである。
私はこれから、日本社会に漂っている新型コロナウイルスが浮かび上がらせた、嫌悪すべき問題の一つ一つを剥がしながら、「感染症ムラ」にまつわる問題を、手さぐりでその起源までたどってみたいと考えている。
しかしこの問題を、学問があつかうように客観的に記述して、客観的に問題点を洗い出すという方法は、とらないことにしたいし、またとれないだろうと思っている。なぜなら、「隔離」というきわめて個人的な経験をどこまでも延長し、そこで抱いた疑問をひきのばしていくと、必然的に「ムラ」にたどり着いてしまい、このことは客観的な学問などとは、ほど遠い範疇のことと思えるからだ。
つまり、きわめて個人的な経験、痛みや怖れをともなった皮膚感覚から出発して、遠方にあるだろう起源、社会的無意識のなかにあるだろう起源にまでたどり着いてみたいのだ。心すべきは痛みや怖れという出発点を手放さないこと、この心掛けになるのだろうか。
まずは、ふたたび出発点であったダイヤモンド・プリンセス号にもどってみよう。
(A)大波を泳ぎながら周囲を見渡せば
(1)
ダイヤモンド・プリンセス号における新型コロナウイルス感染症の爆発は、乗客・クルー含め3,711人中、最終的に、感染者723人、死亡者13人という大きな犠牲を出して終わった。厚労省が2月11日に設置した「ダイヤモンド・プリンセス号現地対策本部」は、3月1日に船長以下、乗員・乗客すべてが下船したことによって、現地での常駐任務は終わった、対策本部の報告書にはそう書かれている(厚労省による、この「対策本部報告書」はのちほど触れることにする)。
2月に横浜港に入港してから、全員下船、および全室内消毒を終え、船は約3か月後の5月16日にマレーシアにむけて出港した。また、この船を所有しているプリンセス・クルーズ(社)の日本法人(株)カーニバル・ジャパン(注1)は同社の社員24名を6月30日付で解雇した。とうぜんのことながら、24名は不当解雇だとして連合ユニオンに訴え出ている。
さらには、11月10日付の共同通信社の記事によって、外国人感染者342人の医療費が2億8843万円に上り、すべてが国と自治体の公費で賄われていることが報道された。これは新型コロナウイルス感染症が指定感染症のため、日本人、外国人含め公費で賄われることのためである。そしてこのようなクルーズ船における、巨大な感染症事件についての国際的な取り決めは何らなされておらず、今後の国際的法整備が必要とされるのは当然のこととなった。
ダイヤモンド・プリンセス号は以上のような大きな傷跡、難題を残して去っていったのだった。しかし私はここで一旦、立ち止まってしまう。
「大きな傷跡、難題」、このように書きながら、それは私にとって表面的で、無関係なニュース、情報にしかすぎず、何かが乖離をおこしているのではないかという疑問をもってしまうのである。問題はもっとべつのところにあると。
たしかにこれらは事実なのだが、私たちが経験した17日間の怯えや怖れ、焦燥とはまるで無関係で別世界の事柄としてその後の事は進み、蓋は何事もなかったように閉じられてしまい、物事はもとにもどってしまったかのようなのだ。私たちはあの混乱した船の中にたしかに乗っていた、そして今もその船は消え去ってはおらず、現にあるのだ、そう何度も自分に言い聞かせなければならなかった。
しかし、私たち夫婦も条件次第では同じ道をたどったに違いない、大きな悲嘆は上記の客観的情報と錯綜して、私の前にいつの間にか現れていた。このような悲しみこそが、どこにも持っていきようのない、私が抱いた怒りの一端ではないか、そこにこそ真の問題の在処はある、徐々にそう気づいていくのである。
たとえば感染による死者は13人だったのだが、いずれも「13」という数字だけで、とうぜんのことながら具体的な人間としては、まったく分からなかった。この13人の死者がどのような人々であり、どのような生活をされていたのか、名前は何という人なのか、どのような経路を経て死にいたったのか、それはとうぜん「13」という数字に集約しきれるものではなかった。しかし1人のご婦人が、自ら経験した悲嘆を語るために世の中にあえて現れたのだ。
私が彼女を最初に見たのはNHKスペシャル「調査報告 クルーズ船〜未知のウイルス 闘いのカギ」というドキュメンタリー番組においてだった。船のなかで彼女の夫が感染し、隔離後数日間放置された、船内医務室に何度も電話をしても診察すらしてもらえなかった、夫はなぜ放置され亡くならねばならなかったのか、彼女はそのことを知りたいために番組に出たと語っていた。残念ながら番組は、放置されたその背景にはまったく切りこめず、ただ彼女の悲しみを映し出しただけに終わっていた。
さらにこのご婦人は「新型コロナウイルス 感染者・家族 遺族の証言」というNHKのサイト(注2)と、8月5日の朝日新聞の記事に現れていた。これらの記事をまとめると以下のようになる。
ご婦人たち夫婦は70代、結婚記念のお祝いにダイヤモンド・プリンセス号に乗り、2週間かけてアジア各国をめぐる船旅に出かけた。旅の始まりは穏やかで、ワクワクしたものだった、こう書いてゆくとたしかに私たち夫婦もそうだったことを思いだす。
ご夫婦の状態がおかしくなってゆくのは2月の1日ころから、夫が風邪の症状を見せはじめた。3日には咳と胸苦しさの症状、本来なら4日の早朝には下船の予定だったが、逆に5日から船内隔離が始まる。7日に体温計が配られ、測ると38度2分、船内医務室に電話をしても軽く受け流され診てもくれない、8日自衛隊の医務官と看護師が感染の有無の検査に来たが、どんな診察もしなかった。10日、たぶんDMATであろう2人の医者が現れ、酸素濃度を測り、驚きの表情を浮かべ、すぐさま夫を病院に緊急搬送した。夫はそのままICUに直行し人工呼吸器をつけられ、24日にはECMO装着に変わる。夫人の方も感染し、夫とは別の病院に入院したのだが、さいわい症状は軽く、3週間ほどで退院できた。すぐさま夫の病院に駆けつけるが、夫にはICUのガラス越しにしか会えない。たくさんのチューブにつながれ、大きなECMOに隠れて夫の顔なんて見ることができない、そのような見舞いが何日も続いた。
3月22日、お見舞いの最後の日がやってくる。病院から緊急の呼び出しで駆けつけると、すでに夫は亡くなっていた、死亡時間は未明の2時12分。看護師さんが夫のベッドをICUを見渡せるガラス窓の傍に運んできてくれて、はじめて夫の顔を見ることができた、船から緊急搬送されて初めての対面。夫の顔は穏やかだったという。看護師さんが夫の手をガラスに当ててくれて、その手に合わせるように彼女も手を当てて、それが最後のお別れだった。夫の体温も柔らかさも何もわからないお別れ。
NHK社会部の記者に彼女は次のように話をしている。
「現実こうなんですよっていうことを伝えたいと思ったのは、彼が生きて、いきいき生きていて、それでこういう病気にかかって、苦しんで苦しんで頑張って。40日も頑張ったんだから、それも伝えたかったし。・・・
彼がクルーズをすごく楽しんで、思いがけないコロナウイルスに侵されて。そして苦しんで逝ったさまも、船の中の実態も知ってほしかったし。そういうことがあんまりテレビなんかでは出てこないし。
私の本当に一個人の経験だけれども、それを伝えたかった、知ってほしかった。だからまだまだすごい生傷が残ってて、何か血が滴るような感じがするけれども、それでもあえて話をしたいと思いました。かさぶた剥がして血が出るみたいな、そういう思いをするけれど。それでもあえて彼のために、そうしたいと思ったの。」
このような悲劇につけ加えられる言葉を、私は今でも持てないでいる。どのようにしても、第三者的にならざるをえない感情は無効であろうし、ご婦人の悲しみには届かないからだ。しかし私は、このような悲しみが誘い出してくる、いろいろな想いについて何度となく考えあぐねてきた。
私たち夫婦も、このご婦人たちと同じ場所にいて、たえまなく押しよせてくる焦燥、怒り、苛立ちをどうにかして処理していった記憶について、そして一歩間違えば彼女たちとおなじ道を歩んでいたこと、しかし私たちは無事に下船できた、その原因はなぜか?この疑問だけは今でもどうしても手放せないでいる。
このような感情を胸にしまいながら、船内でおきた事柄について少し俯瞰でながめてみる。たしかにこのような悲劇は、「検疫法」に基づく「隔離」という行為によって起きた、それは間違いはない。しかし、「隔離」によって起きた現実のさまざまな悲劇はどこに起因するのか、検疫を行った横浜検疫所(厚労省)か、あるいは悲劇の現場となったダイヤモンド・プリンセス号か、船を所有しているプリンセス・クルーズ(社)によってなのか。船内で起きた膨大な事柄を一つ一つ検証していかないと、それらの責任範疇と原因は明らかにならないのかも知れない。しかし繰りかえすが、それらは見事放置されてしまっているのだ。
その検証はなされないまま、前述したように厚労省管轄の「ダイヤモンド・プリンセス号現地対策本部」は解散し、ダイヤモンド・プリンセス号はこのような悲劇がなかったかのように、横浜港を出ていった。
前に私は、NHKのスペシャル番組が、ご婦人の悲しみの背景には、まったく切りこめていなかったと書いた。それはある理由のため仕方なかったと思うようになっていた。なぜならカーニバル・ジャパンは、日本のすべてのマスコミにたいして門戸をかたく閉ざし、無言を貫いたからだ。なぜ病人が放置されたのか、その理由を問うことすらできなかったのだ。
(続く)
注1:プリンセス・クルーズはダイヤモンド・プリンセス号はじめ約20隻のプリンセスシリーズのクルーズ船を保有している会社名。紛らわしいのでプリンセス・クルーズ(社)とする。またカーニバル・コーポレーションはプリンセス・クルーズの親会社で、日本法人が「(株)カーニバル・ジャパン」。
2:クルーズ船での新型コロナ感染 夫を失った妻が語る1か月半|NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/testimony/detail/detail_03.html
NHK社会部 山屋智香子取材記事
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投稿者: 小柳剛
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