2011/3/6  23:32

再び丸地前県立図書館長のパブリック・コメント  

前高知県立図書館長の丸地さんがまた、パブリック・コメントをお書きになったので掲載します。

以下、丸地さんのパブリック・コメント

新図書館基本構想中間報告書(案)(以下、「報告書」)について

合築の賛否については、昨年、高知新聞へ寄稿したとおり反対である。今回は、高知県2月定例会をビデオ・オン・デマンドで拝見し思うところと併せて、中間報告への意見を述べる。
1.相互信頼関係と現場を支える姿勢、覚悟が大切
 図書館の新築・整備と開館後、運営を軌道に乗せるまで、現場には非常に大きな重圧がかかる。特に、その陣頭指揮にあたる館長の受けるストレスは並大抵ではない。だからこそ、図書館の新築・整備が成功するためには、館長も含めた現場職員と、教育長をはじめ県教委の担当課職員との間の相互信頼関係が大切である。後者が、前者を信頼して任せ、最後まで支える姿勢と覚悟が必要である。
2.これでは失敗する確率が高い
 しかし、2月定例会で池脇県議の第2問に対する教育委員長や教育長の答弁を聞いて、失笑を禁じ得なかった。詳細はビデオ・オン・デマンドを見ればわかるが、要するに県教委が自ら、「合築ありき」で進めていることを公の場で認めてしまったのである。池脇県議も「もう決めたとおっしゃられたら、今ここでやっている議論はもう決まった上での議論になる。検討委員会の中間報告でも『合築で決まりました』ということにされていない。」と手続き上の矛盾を鋭く指摘している。それに先立つ田頭県議も議会軽視を指摘し、「これまで4代の知事と論戦したが、こんな形での予算の提案というのは初めてだ」と強く批判している。県教委・県庁が結論ありきの議論をせず、手続きも順当に踏みさえすれば、受けなくて済んだ指摘や批判である。
県民の代表が執行部をチェックする県議会に対してでさえこうなのだから、図書館の現場が軽視されるであろうことは火を見るよりも明らかだ。これでは上述のような相互信頼関係を築くことは到底できないし、失敗する確率が高いと言わざるを得ない。館長のなり手を探すのが難しいのも道理である。
3.慎重な審議を
 県議会におかれては、くれぐれも慎重な審議をお願いする次第である。1つの建物に4施設を無理やり詰め込もうとしているが、これではそれぞれが機能不全を起こす可能性が高いし、駐車場問題等、具体的な解決策が提示されていない課題もある。議論の土台がしっかりしていないのである。「薄氷を踏む」とはまさにこのことである。踏み出して氷が割れた後では遅いのである。
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2011/3/6  23:14

心理的な問題  

 前の項までで挙げた事は、論理的な問題ではないのではないか、心理的な問題なのではないかという指摘もあろう。

 その通りだ。

 しかし、商売や経済にとって心理的な問題は見過ごせないどころか、それが大きなファクターなのである。

 図書館も無料とはいえ、商売(サービス業)の一種である。無駄な選択肢は取るべきではない。

 スーパーと100円ショップの組み合わせは成功しても、デパートと100円ショップの組み合わせは成功しないのだ。そういうところを良く見極めないといけない。

 デパートと100円ショップの組み合わせを成功させようと思ったら、デパートがスーパーにならなければならない。

 こういう乱暴な話が通るなら、帯屋町のような商店街とイオンのようなショッピング・センターと合築したものでもつくった方がよいという話になる。そういうことを関係者は「良し」とするのだろうか?

 もし、そうなら帯屋町がイオンの横に移転すればよい。

 県立図書館と高知市民図書館がそれぞれ特長を出した方がいいように、帯屋町はイオンと違う特長を出せばよいのだ。

 ショッピング・センターは今、全国どこにでもある。それで、ダメになってしまった商店街と生き残っている商店街とあるのだ。

 「差別化」ということがキー・コンセプトだ。

 市町村の図書館と都道府県の図書館にも大きな違いがあるのだ。(差別ではないが)

 一言で言えば、先に行く図書館は市町村の図書館、頻繁に行く図書館は市町村の図書館、都道府県の図書館は市町村の図書館で足りない場合に行くところである。

 市町村の図書館で足りてしまう場合は行く必要がない。

 結論から言ってしまえば、都道府県民の中には都道府県立図書館には用がないという人も出てくるだろう。しかし、そういう人も身近な市町村の図書館を使えるようになることが理想である。都道府県立図書館はその身近な市町村の図書館をバックアップする。

 都道府県の図書館が市町村の図書館と違いがなくなってしまったら、たとえ少数であるとしても、「私は思い切り勉強したい」という人が行く図書館が高知県内にはなくなってしまうのである。これは大変な問題だ。

 大学図書館は、以前にも書いたが、電子ジャーナルなどにお金がかかってしまい、十分本を買えなくなってきているのである。大学図書館にとっても、まともな都道府県立図書館がなくなるのは困るのである。

 そんな専門的な本は自分や会社で買えばよいという人もいるだろう。それならそれを実行していただきたい。

 そんなことでは今日の競争社会を生き残れない。

 なぜなら、今日のマーケットにしろ課題にしろ複合的なもので自分の専門領域だけでは対処できないからだ。総合的な情報資源が必要なのである。

 ビジネス支援を本当に図書館にさせたいなら、県立と高知市民図書館との合築はワーストの選択である。
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2011/3/6  21:27

合築と単独の比較9  

 合築と単独の比較表を見ていく。

 「分館・分室への支援」という項目で、単独の場合は、県にはない業務だが、合築の場合、

(1) 市固有の業務であり、単独と変わらない
(2) 県立の資料が市民のシステムに乗ることから、高知市民の利便性
 は高まるが、一方で高知市民以外にとっては、県立の資料が流出す
 る懸念がある
(3) 新システム移行のために、コンピュータシステムの見直しが必要
(単独でも更新時期)
(4) 業務量に見合った体制の確保が必要

 と書いてある。1はナンセンスな物言いだが、2〜4はどうみてもデメリットにしか見えない。

 とくに2は県のお金で買った本を大量に高知市民のためにつぎ込むということで、高知市民にとってはいいが、他の、とくに遠いところの県内市町村の人のためには何もならない。

 今度の合築案はこういうところをうまく使っている。

 つまり、高知市とその近辺の人は自分たちにとっては得かも知れないので賛成する人も多く出てくる。また一方で、県内で遠いところの人は、どうせ関係ないと思って関心すら持たない。

 こういう騙しのようなことをやっていいのかと思う。

 行政として哲学を持つべきではないか?

 これでは最大多数の最大幸福と言った功利主義(ユーティリティズム)の昔に逆戻りしてしまう。サンデル先生の政治哲学の本でも読んで勉強してほしい。

 功利主義のベンサム氏は自分のミイラ化に失敗して、おぞましいというより、もはやひょうきんな生首(もとい、失敗ミイラ首)をロンドン大学に保存している。

 功利主義の末路はこういうことだからよく覚えておいた方がよい。

(下のリンクは心臓の弱い人は見ない方がいいかもしれない)
http://blog.beliefnet.com/crunchycon/Jeremy_Bentham.jpg

 功利主義的に言えば、高知県人口の約半数が集まる高知市近辺の人が便利になるからいいではないかという話になりますしね。これに、地方自治法の最小の経費で最大の効果などという話を持ってくればぴったりだ。

 しかし、こんなことを言ってしまったら、高知県自体に投資するのが日本全体としてもったいないということに気がついてほしい。東京近辺に集中投資した方がよいという理屈と同じなのだ。高知県人口は世田谷区より少なく、高知県がなくなったからと言って、日本全体が困るかというと、せいぜい生姜が少なくなって困るくらいなのだ。

 こういう理屈というのは、人の生活も地域の文化も否定した理屈でしかないのである。

 同じように、高知県内のどんなに小さい限界集落だって大事にしなければならない。

 それが地方自治というものだ。

 ところで合築は高知市民にとっても損なところがある。結局、高知市で買った本も県内全体にまわさなければならないからだ。

 県の本を市民に提供して、市の本を県民全体に提供するのだから、相殺していいではないか、と思いますか?

 これこそ相殺の反対だ。二重行政になってしまうのだ。市の本を県内の遠いところに貸し出したとする。すると、市の人が予約をかけたときに文句を言う。ちっとも返って来ないからだ。図書館としては、金で解決してもう1冊買ってしまう方がラクかもしれない。
 県の本を分館を通して市民に貸し出した。この本に県内の遠いところの市町村から協力貸出依頼があった。市民に貸してるから待ってくれと言ったら、やっぱり県立の機能が低下しているではないかと言われかねない。これももう1冊買ってしまえとなる。
 こうして無駄な複本が結局増えてしまい、合築の意味などなくなる。

 それぞれ、県と市に分かれて業務分担していれば、文句の出ようがないし、将来的に、県立は都立図書館のように協力貸出しのみで直接貸出ししないという選択肢も取れるのだ。

 そういう意味では県立の将来性をつんでしまう。

 ひたすら、利用が多そうなベストセラーばかりの図書館になりかねない。これは一度やったら引き返せない。

 こういう細かいわかりにくいところを小細工するためにコンピュータ・システムをいじくるとさらにお金がかかる。このメンテナンス経費もかかるし、修正もしょっちゅう必要となるだろう。

 そしてこのシステムは日本唯一だから全然汎用性がない。いつまで経ってもコスト・ダウンが図れない。

 ということで4の業務量に合った体制など本当に組めるのだろうか?

 デパートとスーパーを一緒にするような発想は失敗する。そういう例がなかっただろうか。
7

2011/3/5  21:00

高知県立図書館協議会(3月5日の読売新聞記事)  

 本日3月5日の読売新聞朝刊高知面に高知県立図書館協議会の記事があり、協議会委員より、図書館資料費が増加するのは良いことだが、それを整理する人員は大丈夫なのかという指摘があったことが書かれている。

 すでに、人員の問題は出てきているわけだ。
7

2011/3/5  20:33

合築と単独の比較8  

 合築と単独の比較表をさらに見ていく。

 「市町村立図書館の人的支援」「公民館図書室の充実や図書館設置の促進」という項目があり、これらは、県立固有の業務であり、単独整備でも合築でも変わらないような書かれ方がしている。

 ところがこれが、単独と合築では大違いなのである。

 県立図書館単独整備の場合、新市民図書館がよほどお粗末なものではないかぎり、直接の貸出利用者は市民図書館より少ないと考えられる。それは、市民図書館の方がよく借りられる本を県立図書館よりも多く買うからである。

 県立図書館は、高知県唯一の誰でも調査研究できる図書館として、それにふさわしい本はたくさん揃えなければならない。しかし、こういう本はどしどし利用されるというものではない。逆に言うと、県立図書館の評価はどういう本が揃っているかであって、単純な貸出数で評価してはいけない(そうかと言って、あまりに利用されないのも問題だが)。

 県立図書館は市民図書館より貸出が少ないから、レファレンス(調査・研究の援助)に時間も人もかけられるし、また、市町村支援にも時間も人もかけられるのだ。

 もし、合築にして、高知市が十分な人員配置を行わなかったら、県がこれをかぶらなければならない。これは確実に市町村支援に影響する。

 そうかと言って、では、市民図書館には貸出だけやってもらおうなどという考え方もあまりにも素人考えというか、図書館を利用したことのない人の考えと言わざるを得ない。日常、本を借りるところでも、いろいろ本のことを尋ねたりする場面が発生するものだ。

 それに貸出をやったことのない人が市町村支援をやるのは危険である。助手のようなことならともかくも。

 それで、県の職員は市の方に派遣とかその他の形でカウンターにも立つということになるのだろう。しかし、これもどういう配分にするのかというのは、ヘタをするとモメる種になりかねない。少なくとも、市町村支援の人員は県がしっかり数も質も確保しておかなければならない。

 今まで人員削減圧力が大変強く、また、その原因である財政難もどうにもしようがない見込みからすると、とても不安であり、ちょっとやそっとの美辞麗句では信用できないのである。

 たぶん、現場を知らない役人は県と市を一緒にするのだから、2つのカウンターが1つになるくらいにしか考えていないのではないか?

 そうだとしたら愚かすぎる。仮にカウンターを1つにしたって、業務量が増加すればそこに配置する人間を増やさなければならない。また、どうせ増やすなら機能別にカウンターを分けた方が効率的になる。さらに、調査・研究支援やビジネス支援を行っていこうということになれば、さらに人が必要になる。これらは誰でもいいというものではない。

 それから、合わせて大規模なものをつくった場合、利用者は、単独の場合の利用者数それぞれAとBの和A+Bではすなまいのだ。A+B+αに必ずなる。大きい施設というものはそういうものなのだ。

 利用者が増えるのはいいことだが、対応する人員は単独より必要ということである。

 そこまでの包容力がある財政豊かな自治体ならこういう飛び抜けた発想もありうるかもしれないが、およそ現実的でない。

 また、本当に財政豊かな自治体だったら、そもそも、大きな図書館が2つも要らないなどと考えないだろう。それよりも、それぞれの機能や蔵書の違いをはっきり出してくれということになるだろう。東京などは典型だが、都立図書館は日本語の専門的な図書の他、各分野の雑誌、新聞(全国の地方紙や業界紙も)、外国語資料(図書も雑誌も英語も中国語やハングルも)という構成になっている。

 それでは大学の図書館みたいだって? いやいや、今や大学の図書館はもっと値のはる電子ジャーナルなどに予算をかなり食われているのだ。それに専門書というものは英語の本も入れるとかなり種類があるので、ちょっとやそっとで集まるものではない。東京都立図書館で持っている英語の本など、大学に比べればたかが知れている。それでいいとは思えないが。
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