2011/3/3  23:16

合築と単独の比較5  

 合築と単独の比較表を見ていこう。

 「専門職員(司書)」として、単独では「それぞれの方針や業務の重点に応じた人材育成が可能」とし、合築では「県・市が一致した方針が必要」となっている。

 合築では一致した方針が必要ということは、レファレンスや協力貸出しがメインの県と、直接貸出しや気軽な案内や利用支援がメインの市とで、無理してすりあわせしなければならないということになってくる。市立図書館でもレファレンスは必要だが、あまり気難しいものにすると市民は使ってくれなくなる。何でも聴く姿勢が必要だ。これは司書としてはレベルが高くないとかえってできない。県の方は、よりつっこんだレファレンスに対応することになるから、市とは違った意味での水準の高さが求められる。

 どういうことかというと、市の方では、子どもが捕まえてきた虫を持ってきて、これは何という虫なのか調べたいと言ってきたりする。司書は生物学者じゃないから、自分の知識で答えることはできないが、昆虫の図鑑をいろいろ持ってきてアドバイスすることができる。

 県の方では農業者が同じ虫でも害虫について調べていて、もうこれは事業と直結していて正確なことを調べたいというようなケースが想定される。こんなときは、普通の本だけでなく、雑誌やデータベースも整備していないと回答するのは難しそうである。そこで、費用のかかる専門雑誌やデータベースも県の方で用意すれば、それをいろいろ紹介して司書がアドバイスすることができる。

 結局、司書の仕事とはこういう仕事である。「スーパー司書」は本当は存在しない。司書は地道に資料のことを知っていることの方が必要である。資料に基づいて回答するので、資料がないことは司書ではわからない。ただし、どういうところに尋ねればわかるかもしれないということを、これまた資料に基づいて回答することはできる。

 司書が情報の水先案内人であるというのはこういう意味である。

 実際に探すのはやはり本人であって、本人になりかわって研究したり学習することはできない。ましてやレポートや仕事を代理でやってくれる便利屋というわけではない。学習や研究や事業の支援者にすぎないのだ。

 しかし、いくらそれぞれの専門家でも、自分の専門とはちょっとそれてくる事柄を調べる必要性は必ず出てくる(よほどタコツボ的研究をしている人は除いて)。その時は、いつも資料のかたまりや流れを見ている司書に尋ねてみた方が早いこともあるのだ。わからない、見つからないということも実はまた情報である。そういうことなら、新たに研究したりやってみる価値があるからだ。

 こういうことを考えていくと、危惧されるのは、県立図書館のコレクション(蔵書構成)のあり方だ。

 県立図書館は市立図書館ほど直接的な利用度合いを気にしない。というより気にすべきでない。もし、単純に貸出数の多さを目指すなら、人気のある本をどんどん買えばよい。しかし、こんなことをしていたら、本気で研究している人には役に立たない本ばかりになってしまう。

 市町村の図書館の場合は、税金だって払っているのだから、そんな難しい本ばかりでなく面白い本を置いてくれという要求は当然である。しかし県立までそうなったら、高知県ではまともな調べ物はできないということになる。いや、実は現在でもすでに図書館が貧弱すぎてそういう状況である。

 これは全国の中で恐ろしいほど大きいハンデになっている。

 疑う人は一度、東京都立や大阪府立の大きな図書館と区立や市立の図書館のいくつか見てくるとよい。本というものはこんなにたくさんあったのかと思うだろう。また、蔵書の構成に違いがあることがわかるだろう。

 合築・一体型の図書館をつくると、おそらくは、面白い本ニーズの方を優先せざるを得なくなる。市民要求としては当然だ。実は面白い本をどんどん買う方がお金がかかるのである。しかし、こちらの方が多数決では勝利である。

 世界中どこの地域でも、難しいことを研究している人の方が少数派なのである。しかし、こういう人たちをないがしろにしてしまうと、社会全体の知的水準がガタ落ちになる。

 そうなってしまっていいのだろうか?

 今は、県立と市立がわかれているから、この方向性の違いは出せる。しかし、ひとつになったら両方向くのは難しい。現在、日本の出版物だけでも、漫画などをのぞけば、年間約8万点弱ある。2億円近くないと1冊ずつでも買えない。

 研究のためには、専門の雑誌も必要である。これをそろえるともっと費用がかかる。

 東京の世田谷区は人口が80万以上で高知県より多い。世田谷区立図書館の資料費は分館も合わせると3億円くらいある。東京都全体では47億円くらいある。確かに人口が圧倒的に違うが、情報の選択肢があまりにも違いすぎる。

 こういうことを総合的に考えると、高知県のように財政の弱いところでは、むしろ県と市は住み分けた方がかえって情報の選択肢の幅を確保できる。そういうところまで突っ込んで検討しないといけない。

 何でもそうだが、もっと緻密な分析が必要なのだ。そして緻密な分析にはやはり時間がかかるし、かけなければならない。他の県や市で非常に良い図書館ができているところでは、どのくらい検討や計画に時間をかけていることか。10年くらいかけているところだってあるわけだ。

 図書館とはそれだけの大事な存在なのである。

 
19

2011/3/3  22:59

合築と単独の比較4  

 合築と単独の比較表をさらに見てみよう。

 「情報発信機能」として、単独では「県・市それぞれの特性を生かした発信が可能」、合築では「インターネット上の蔵書検索やホームページの在り方を検討しなければならないが、機能は単独同様に発揮できる」としている。

 県と市の図書館一緒の情報発信は極めてわかりにくい。すでに今回の問題でも県のホームページと市のホームページでパブリックコメントの条件が微妙に違うように見える。市の方のパブリックコメントは市民に限るのだろうか?

 蔵書検索を一括でできるのはいいことだが、こんなのは高知県立と高知市立だけではなく全県的に出来ればよい。しかし、これは、すでに民間のサイトでできあがっている。

 カーリルローカルがそれだ。

http://calil.jp/local/

 これは高知県どころか自分で設定して横断的に検索させることができる。

 もっとも、それぞれの図書館がWeb上の目録サイトを持っていなければならないが。

 コンピュータ上の一括サイトは、何も建物まで合築しなくても構築はできる。ただ当然費用がかかるが。無理して費用をかけてつくらなくても、民間でつくっているものがあるのだから、それにできるだけ乗ればよい。未導入の図書館も、今後、安いシステムができてきそうだから、あわてて高いものを掴まされることはない。それにコンピュータ・システムを導入するなら、あわせて蔵書の充実をしないと意味がない。

 もし、高知市側が分館・分室の資料を全県にまわすのは難しいということになると、合築図書館の目録はよくわからないものになる。県立分と市民本館分だけの目録と、市民本館分と分館・分室分の目録2本立てとなり、高知市民が予約する場合は両方、高知市民以外が予約する場合は前者のみ利用できるなどという妙なことになる。

 これでは毎日トラブルが絶えないだろう。


8

2011/3/3  21:21

単独と合築の比較3  

 単独と合築の比較表をさらに見てみよう。

 「調査研究資料の充実」として、単独整備では「資料の問題であり、予算が同額ならば合築と変わらない」とあり、合築では「資料の問題であり、予算が同額ならば単独と変わらないが、財源論で言えば単独よりも充実した資料の収集が可能」となっている。これまた、よくわからない「財源論で言えば」というフレーズがある。合築の方が、県と市が単独に整備した場合よりも資料費がたくさんになるのだろうか? その根拠がよくわからない。合併特例債のように、合築補助金でもあるのだろうか?
7

2011/3/2  21:59

図書館合築はもはや理由を失っている  

 今日(2011年3月2日)の高知新聞朝刊26面によると、もともと合築による面積縮小によって18億1千万円削減できるとしていたものの、面積を見直し、さらに駐車場整備費を入れると19億6千万円追加で必要となったということだ。

 これでは、削減効果どころか、合築によってかえって、差し引き1億5千万円余計にかかるというものだ。

 さらに隣に書いてある記事で、新資料館の面積を確保するために、隣接する駐車場を14億9900万円で購入するとある。

 片一方で駐車場をつぶしてお金を払い、片一方で駐車場をつくるためにお金を払うのだ。この金額まで入れれば15億9900万円損することになる。

 県立図書館を県有地である高知駅前にでもつくれば、こんなことをする必要はない。追手前小敷地に新市民図書館と新資料館を一緒に整備すればよいのだ。そうすれば駐車場を購入する必要もない。

 だいたい、合築になったら、面積を減らせるということに大きな根拠はない。もともと複本が必要な本を除くと、県立図書館と市民図書館の蔵書の重複は4%程度ではないかと言われている。この程度で減らせる面積はごくわずかで1万7千平米から1万3千平米になったりしない。1万5千平米でも減りすぎである。

 閲覧室や集会室などが共用できるというのは浅はかな考えだ。なぜなら、土曜日曜は閲覧室は県立も市立もいっぱいなのだ。ということは、新しい図書館では両方合わせた収容力が必要ということだ。しかも、蔵書が増えるのだから、利用者も格段に増える。それ以上必要ということだ。

 集会室が共用できるというのも短絡的な考えで、今でも県立図書館を使った集まりと市民図書館を使った集まりがある。そういう集まりを主催する会が県市一体化に合わせて、一本になるわけがない。ニーズは両方あるのだ。しかも、これから図書館活動を活発にして研修や県民・市民向けの企画をいっぱいやろうとするなら、集会室だって複数必要だ。ビジネス支援までやりだしたら、もっと必要だ。図書館の資料を使ってパソコンも持ち込んで、そこでミーティングできるくらいでないとビジネス支援などにはならない。

 なんとなく余裕があるのは最初の内だけで、そのうち余裕のない本棚の林立する図書館になりかねない。それを防ぐ方法は、本をあまり買わないことだが、それでは魅力がない。では、書庫を詰めた形にすればよいかというと、これは取り出してもらうのに時間がかかるか、あるいは大げさな機械仕掛けの経費のかかるものとなる。

 なんでわざわざこのような選択をするのだろうか?
19

2011/3/2  0:45

館長を2人置く本当の理由  

 館長を2人置く本当の理由も、責任をはっきりさせないためではないでしょうか?

 うまく行っているときはともかく、何か問題が起きたら、お互いに責任は向こうだと言い出すでしょう。

 もうすでに障害者サービスをめぐっては、面倒なので市と県でなすりあいを始めていませんか?

 結局、マイノリティが最終的に損をします。高知県自体、日本全体の中ではマイノリティであることを認識すべきです。

 これはよくよく考えないと半世紀先まで目に見えて残る失敗となりかねません。
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